浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

花を飾る

2021-04-29 | 日々是好日

花を見るときれいだとは思うのだけれど、自分で活けることはない。

花があると部屋が華やいで気分も上がるのに、あっという間にぐったりしたり枯れていったりする。

花って一週間、長ければ二週間は持つものだと思っていたが、三日くらいでぐったりしてしまうのは、自分の毒気が部屋に充満しているんじゃないか、って思ってしまう。

動物好きな人は、相手の動物もそれを察してすり寄ってくるといわれる。

多くの場合、犬や猫は尻尾を振ったり近づいてきたりして反応してくれる。

花にもそういう感覚があり、園芸に長けてる人や花に愛情を持っている人に対してだと「がんばって咲こう」、と花なりに努力してくれるのではないだろうか。

気まぐれで花を買ったような人間には、花の方もそれには応えてくれず、「どうせあんたはろくに面倒を見てくれないでしょ」、とさっさと枯れてしまうのだろう。

同居ババが季節の花を花瓶の中に突っ込んでいた          

花がある生活を日常にできればウレシイですね。

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雨上がりの匂い

2021-04-29 | 定年波止場

夏の夕方、積乱雲が空にモクモクと立ち昇っていって急にあたりが暗くなる。

ポツリと一滴手に当たったと思ったとたん、ザーッという激しい音とともに降ってきてすぐに通り過ぎていくにわか雨、通り雨とも言った。

そのあとあたりに雨上がりの匂いが立ちこめる。

土埃が雨に打たれて舞い上がり、それが雨の湿気と混じってあたり一面に漂う。

にわか雨ということになると雨宿りということになる。

すぐ止むことがわかっているので、しばしよそんちの軒下で雨が止むのを待つ。

雨が止んだあと、ふと見上げれば上空に七色の虹。

懐かしい昭和の匂いがこもっている。

いま急に降ってくるにわか雨はゲリラ豪雨という名前になっている。

土煙立たず、いま人家に軒下なし。

昭和の時代は人んちの軒下で宿っていた。

学校から帰宅時に、にわか雨があるとお迎えというものがあった。

いま「お迎え」は不吉な言葉であるが、昭和の時代のお迎えは嬉しくて楽しい学校の出来事だった。

ピッチピッチチャップチャップランランランの出来事だった。

下校時ににわか雨が降ると、母親が傘を持って学校に迎えにくるという習わしがあった。

昭和の時代の母親はパートに行かずいつも家に居て、いつ雨が降ってきてもいつでもお迎えに行けたのである。

そうして母親と一緒に学校から帰りながら、♪あめあめふれふれかあさんが、じゃのめでおむかえうれしいな、ピッチピッチチャップチャップランランラン、と歌ったものだった。

ピッチピッチチャップチャップランランランとは当時の道路事情を物語っている。

当時の道路は舗装されておらず土だったので、あちこちに穴ぼこがあいていた。

その穴ぼこに雨が溜まって水溜まりというものがあちこちに出来る。

この水溜まりにわざと長靴で入っていくときの音がピッチピッチチャップチャップである。

そしてランランランになったものだ。

「蛇の目」というのは傘のことである。

令和の時代になって死語に近いかもしれないが、蛇の目傘、蝙蝠傘と呼ばれた傘があった。

軽すぎるビニール傘をさして歩きながら、昭和の時代を思い出すのであった。

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