夏の夕方、積乱雲が空にモクモクと立ち昇っていって急にあたりが暗くなる。
ポツリと一滴手に当たったと思ったとたん、ザーッという激しい音とともに降ってきてすぐに通り過ぎていくにわか雨、通り雨とも言った。
そのあとあたりに雨上がりの匂いが立ちこめる。
土埃が雨に打たれて舞い上がり、それが雨の湿気と混じってあたり一面に漂う。
にわか雨ということになると雨宿りということになる。
すぐ止むことがわかっているので、しばしよそんちの軒下で雨が止むのを待つ。
雨が止んだあと、ふと見上げれば上空に七色の虹。
懐かしい昭和の匂いがこもっている。
いま急に降ってくるにわか雨はゲリラ豪雨という名前になっている。
土煙立たず、いま人家に軒下なし。
昭和の時代は人んちの軒下で宿っていた。
学校から帰宅時に、にわか雨があるとお迎えというものがあった。
いま「お迎え」は不吉な言葉であるが、昭和の時代のお迎えは嬉しくて楽しい学校の出来事だった。
ピッチピッチチャップチャップランランランの出来事だった。
下校時ににわか雨が降ると、母親が傘を持って学校に迎えにくるという習わしがあった。
昭和の時代の母親はパートに行かずいつも家に居て、いつ雨が降ってきてもいつでもお迎えに行けたのである。
そうして母親と一緒に学校から帰りながら、♪あめあめふれふれかあさんが、じゃのめでおむかえうれしいな、ピッチピッチチャップチャップランランラン、と歌ったものだった。
ピッチピッチチャップチャップランランランとは当時の道路事情を物語っている。
当時の道路は舗装されておらず土だったので、あちこちに穴ぼこがあいていた。
その穴ぼこに雨が溜まって水溜まりというものがあちこちに出来る。
この水溜まりにわざと長靴で入っていくときの音がピッチピッチチャップチャップである。
そしてランランランになったものだ。
「蛇の目」というのは傘のことである。
令和の時代になって死語に近いかもしれないが、蛇の目傘、蝙蝠傘と呼ばれた傘があった。
軽すぎるビニール傘をさして歩きながら、昭和の時代を思い出すのであった。