特に何を買おうという気はなくても、フラリと本屋に入ることがある。
本屋に入って、何気なく雑誌などを眺めているうちに、フト、健康関係の雑誌が目に入る。
「壮快」とか「安心」とか「わたしの健康」とか、そういったたぐいの雑誌…
そういったたぐいの雑誌の表紙には、「ドクダミで手足のしびれが治った」とか。
「スギナ茶で耳鳴りめまい不眠が治った」「根昆布で悩み続けた夜間頻尿が治った」などの「治った」関係の記事の見出しが大きく出ている。
そういう見出しに心をひかれ、「ホー」と感心してその中の一冊を取り上げる。
パラパラとめくって、「フム」とうなずく。
この「ホー」から「フム」に至る時間が短ければ短いほど、その人の高齢者率指数度は高いといわれる。
人間も若いうちは、「フト」もなにも、健康雑誌など視野の中に入っているはずがない。
ドクダミだの、スギナ茶だの、根昆布だの、朝鮮人参だのの文字に関心を持つわけがない。
そういうたぐいの健康雑誌ではなく、むしろ「脱いだ」とか「見えた」とかの身体の一部の部分的健康雑誌に関心が向かう方が、むしろ健康なのである。
ところがどういうわけか、人間も折り返し点を過ぎたあたりから、ドクダミ、スギナ茶、根昆布といった言葉に妙に懐かしさを覚えるようになる。
クロレラとか深海鮫エキスとかローヤルゼリーとか、そういった言葉にも心が躍るようになる。
耳鳴り、しびれ、めまい、といった言葉も身近で心やすいものとなる。
かすみ目、ぜんそく、腰痛、頻尿などの文字も、何だか心楽しく目に映る。
血糖値、コレステロール、GOT、尿酸値などの文字は、これはもう日常茶飯の会話そのものだ。
「バカ、ケチ、マヌケは酢を飲まない」と言われれば、これまで酢を飲まなかった自分を深く深く反省する。
このように健康雑誌には、表紙からすでに自分が待ち望んでいた文字、心が躍る文字、心楽しい文字ばかりが並んでいるのである。