戦国の今川義元が好んで食べていたと言う説はない。
江戸の今川橋付近の店で売られたので、こういう名前がついたらしい。穂高神社の近くの駄菓子屋さんでは時々店頭でおやじさんが焼いている。日が決まっているらしく、その日は並んで待ってる人がいる。
名前と言えば、明治8年2月13日に一斉に苗字がつけることになった。「隣のくま」さんでは、おさまらず「山中熊助」とかになったのだ。困った人は、ものしりや庄屋さんに頼み込んだだが、頼まれた方も種が切れ、お前の家には大きな木があるから、「木下」とか。・・・「大根」「ニンジン」など目の前の野菜に頼ったこともあったとさ。