武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

ジョセフ・ヒコと6月

2010年10月20日 | Weblog
ジョセフ・ヒコという方はジョン・万次郎より有名ではないかもしれない。ジョン・万次郎と同じく船が難破しアメリカ船に救助され日本人として最初にアメリカに帰化した人だ。
後に通訳として横浜にくらしていたらしい。

そこで知り合った岸田、本間という方と西洋にある「新聞」なるものをやってみようということなりはじめたのが元治元年6月28日。そして第一号を発刊した。中身は「西洋新聞」を手に入れヒコが訳し、他の二人がそこに日本の事情を加え日本文にした。最初は手書きであったが、部数を増やすに「版画」を使った。器用な医者岸田が板に彫り、月3,4回・100部発刊したという。ほとんど文字だから、彫るのもさぞかし大変だったでしょう。とにかくこれが日本の新聞の元祖なのです。

今日10月20日から「新聞週間」がはじまります。なんで6月じゃないかといえば、10月にアメリカに「ニュースペーパーウイーク」というのがあります。戦後まだアメリカが占領していた頃アメリカと同じ週間を作れということで設置されたのです。
この週間はヒコとは関係ないことがしゃくですね。まったく。