武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

道祖神

2008年03月21日 | Weblog
この道祖神は区内にあるものです。家の近くです。
道祖神は「文字を刻んだもの」と「男女双体像」の二種類でが、これはもちろん後者で品格あるものだと思います。
図柄には男女のからんだものとか、おもしろいもの(?)も時にあります。

もともと五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈願する石仏で、今は安曇野のシンボルみたいになっている。現在、お祭りをして色彩をほどこしているのもある。
穂高には120余あって今も道々の辻にたって春をまってます。

やしょうま

2008年03月20日 | Weblog
昨日は敬老会の総会に来賓として出席した。お昼がでて手作りの「やしょうま」が食卓にいろどりをそえていた。
「やしょうま」はお釈迦様涅槃(亡くなった)の時に食べたお米の粉でつくったもちの名前である。それをつくったのが妻のヤソダラー姫だとか、弟子のヤシューだったとか。どっちにしろお釈迦様は「うまかったーーー」と言ったという。名前と「うまかった」がくっついて「やしょうま」という名前になったそうだ。お釈迦様は日本語もしゃべれたらしい?
このおもち、信州のそれも一部の地方色豊かなおもちである。

犬神家の一族

2008年03月19日 | Weblog
市川こん監督の追悼番組で「犬神家の一族」を見る。(「こん」と言う字は出てこないのでひらがな。)
ぼんやりと湖から死体が足からでてくる場面を見ていて、まわりがどこか見た感じと思った。どうやら、そこは大町市の青木湖らしい。そこが撮影場所だ。まちがいないのでは?

この版画はその青木湖である。秋の風景であり、南端であり、きわめて単純化したのでちょい感じがちがうかもしれない。

飛び出す不思議・・・教室

2008年03月17日 | Weblog
参加の人数と低学年のお子さんが多くて、なかなかうまくはかどらなかった。
うーーーーん。反省の多いクラフト教室でした。
学年差が大きいと大変と・・・・いいわけばかり。
写真を撮ることも頭から消えていた。自分の試作品です。

甘酒の思い出

2008年03月16日 | Weblog
こたつの季節も終わろうとしている。
コタツの中に甘酒のかめがあった。甘ずっぱいにおいがしていた。
今はさっぱり見たことがない。まれにお客の多いお寺の境内にあったりする。
そういえば昔、スキー大会のゴールに甘酒があってゴールするとありつけた。あれが一番おいしかった思い出だな。へたなほどスタート順が遅いので、山の上ですっかり冷えあがっているので、よけいおいしいのだ。

松尾寺

2008年03月15日 | Weblog
信州穂高の山麓にある寺である。建立は天文三年以前だという。天文三年とは西暦1534年である。肘木の形式など室町末期の特徴があり、信州のこの時代の貴重な建物と言われている。こういうことには詳しくないので、違いはよくわからないが、屋根の反りなど美しい。

中国の版画家

2008年03月14日 | Weblog
この作品は中国の方の作品です。しばらく作品の交換をしていたのですが・・・・

図書館の司書をやっておられたS嬢が手紙など訳してくれたので続いたのですが、お嫁に行くとかで退職なすったので自然に終わってしまったのです。
作品は刀の切れ味がよくて、さすがーーリアリズムと言う感じですが。
問題の中国の餃子工場のあった河北省の方です。

教会の広場で・・・・

2008年03月13日 | Weblog
縦にして見てください。ブタペストの風景です。
教会の建物が空をつけぬけ建っている。堅牢な石組の建物の存在感が迫ってくる風景だ。
この広場ではいろいろな人が出ている。なぜかなんか鷹匠らしい人もいた。観光客相手になにかするかもしれない。
手前には大きな木があり、実をつけていた。実を拾ってみると日本にある栃の実に似ていた。そこらへんは詳しくわからない。
ビールが効いて数回トイレにいった。有料だった

飯沼飛行士

2008年03月12日 | Weblog
この版画は飯沼飛行士の記念館の近くの蔵である。飯沼飛行士と言ってもピンとこない人もいると思うが、信州の安曇野の偉人である。
昭和12年に東京からロンドン間を飛行機で94時間ちょいで飛行した方だ。当時としては世界的な記録に残る偉業だ。リンドバークもびっくり。
その飛行機の名は「神風」と言う。神風というと特攻隊とイメージするが、それより以前の話である。第二次世界大戦が始まってじきに戦死なさっている。30歳であったという。