武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

夏目漱石伝

2010年12月11日 | Weblog

昨日に続いて夏目漱石。日本の近代文学の巨峰だ。

どなたが描いたか不明なれど・・・・・中味はともかく当時のさしえとか本の装丁に目がいく。なんとなくホッとするデザインはケバケバ平成から出る明治大正への郷愁感か。「彼岸過ぎ前」など、色彩から心地良い。

ところで漱石先生は神田錦町に医院を開いている佐藤先生に肛門周囲炎の治療に行った。「この病気はいつ治るか」と問えば「さあ、彼岸過ぎまでかかりましょう」と佐藤先生は答えた。さっそく漱石先生はこれをいただいた・・・・とか。


夏目漱石の命日

2010年12月10日 | Weblog

12月9日は漱石忌。夏目漱石の命日だ。49歳の若さである。ロンドン留学中、英文学を研究するも西洋と日本の圧倒的な隔たりのショックで極度の神経衰弱陥ったらしい。

胃腸を痛めていたらしい。知人の義理で結婚式の出席。好物のピーナッツが出ていて胃には悪いとわかっていたがムシャムシャ。帰宅後、好物のツグミの味噌漬けがあったのでムシャムシャ。・・・・・その後大出血し亡くなってしまったという。

こういう話は有名人ほど、おもしろおかしく脚本される。でもロンドンの話は本当らしい。

写真はまったく関係なく、以前作ったものをリメイクした。建設中のスカイツリーも入れてみた。

 


近くに天才がいる

2010年12月09日 | Weblog

「ファーブル昆虫記」の挿絵を描いていた熊田千佳慕と言う画家をご存知だろうか?細密描写で、徹底的な観察がきめ細かく驚嘆する。当然のごとく作品にかかる時間と努力は並たいていではない。・・・・言葉でいうと説明がピッタリこないのでやめます。どこかで見てください。残念ながら昨年亡くなられた。話少しとんで「ファーブル」だ。1823年の12月に生まれている。ファーブル90歳の時、彼の住むセリニアンという小さな村に大統領が来た。ファーブルの業績を讃え訪問してきたのだ。村人はなぜこの風変わりな虫ばかり追いかけている老人に大統領が逢いにくるのかよりも、大統領が来ることで興奮していた。・・・・広場には大砲がだされ、楽団が整列し・・・・・・と当時のことが書かれたものがあった。そうですね大統領が来るなどは村にとって大事件です。昔、災害があった時当時の建設大臣の亀井さんが来るということでもえらくアタフタしてた思いがありますし、知事が黒塗りの車でくると興奮してる人もいましたね。こういう人も役がないと、ただのおっさんになってしまいますが・・・・

昔も今も意外と近くにすごい人がいて、近所の人は知らないということはありますね。虫をを研究するということではリッチにはなりませんしね。ま、そういう話です。


表札どろぼう

2010年12月08日 | Weblog

国際的な学力検査で日本はいい結果が出たようである。それはそれでいいが、喜んでばかりでいいのか・・・・・・・と思う。現場の努力が結果として出たとなれば、それはそれでいいことだ。いろんな調査もあるが、なんとなく調査というのは全体をみれるのかと思ってしまう。

現実的には受験のシーズンがはじまり新入生ができ、卒業生は押し出される。押し出されても就職がないという現実もせつない。

昔々、受験シーズンになれば表札が盗まれる事件が起きた。四軒盗むと・・・試験に受かるとか・・・言ってた。今はこんなことは流行らない。だいいち最近表札なるもが出てないし、出ていてもしっかりはめこまれている。出てないから表札泥棒も失業し、出てないと郵便屋さんの方がよっぽど困るだろうに・・・・。

ゴッホのシリーズをカラーで仕上げてみた。ゴッホに見えないところが・・・・残念である。


あなた待つのも松のうち・・・

2010年12月07日 | Weblog

12月に入ったばかりだが・・・・・・昔、昔で恐縮だが13日が松を迎える日だ。現在だと正月の松は買ってくるが昔は山から切ってくるのだが。13日だと暦の上で大安だの仏滅など関係なく行われた。13日以外になると暦で日を選んだそうだ。

昔はこの大安、友引、仏滅、赤口などまじないは生活のうえでかなり食い込んでいた。現在は多少であるが、結婚式など仏滅など関係ない傾向が強くなってきてる。家の方角などもま四角な家の構造になり、どうでもよくなっているらしい。

もともと根拠のないおまじないであるからあてにならないが、悪い方に出ると気持ちいいものでないが・・・先日、駅ビルに行ったらカーテンをかけた怪しげな占いコーナーがあった。こういうのが商売になったりブームになるのも世の中、平和なのか不安定なのか・・・・・


冬のひまわり

2010年12月06日 | Weblog

昔、ヒマワリに「向日葵」という漢字あてて花の解説をした中国の学者がいて、それは正確でないが正答になってしまった。

もともとは「向日葵」という漢字を使ったのはフユアオイという植物だそうだ。ときおり海浜にあるそうだが、名前を奪われひっそりと自生しているらしい。図鑑を見たが載ってない。たんなる雑草あつかいかもしれない。どうでもいい話だが、フユアオイはおもしろくないだろう。ひまわりを色紙で織り込んでおいたところ猫の遊び道具となり、朝になったら部屋のアチコチにちらばっていた。

朝のテレビで酒くせの悪い役者が怪我をして、代役にたった役者の話をしていた。怪我をした方はこの道のエリートで、代役の方は普通の家庭育ちの人とか・・・・おもしろゆかいにやっていた。

 

 


耳を埋める

2010年12月05日 | Weblog

夜は人権学習会に呼ばれ出かけた。「耳塚」という場所です。

名前のように「耳」を埋めたところです。あんまりくわしくはないのですが・・・・・・この穂高では(今度の朝ドラの舞台にもなるとか)八面大王というの民話があり、これを退治にきた坂上田村麻呂が、その耳を切り埋めたということです。胴体は近くの「立足」というところに埋めたとか。

戦う相手は徹底的に一族皆殺しをするのが昔のルールだったようですから、かなり残酷のものです。お情けで子ども生かしたため、後になって仇をうたれる例もありますし。

秀吉などの話でもつかまえた敵の耳をそぐようなことはやってますし、信長などは敵将のどくろで酒を飲むようなこともしてますし。今考えると残酷に思えますが、一歩油断すると殺される時代ですから・・・・江戸時代の刑罰も残酷なものもあります。人間は残酷な面もってますからね。


国民の義務に納税がある

2010年12月04日 | Weblog

後、1ヶ月で年越しだ。はやいものだ。

昔は貧しくとも豊かさがあった。ほとんど家の中という場所に牛もいた。にわとりもいた。ねずみもたくさんいたので猫も活躍の場があった。ネズミに年取りさせろといって煮干を出そうな場所においたものだ。当然牛などもいつもより餌が多かった。

猫には年取りをさせないというのは、ネズミをとらなくなって怠けるということか。ま、猫にはセッセとまじめに働くという感じがないが・・・・・

税務署に呼ばれ税金の修正申告となった。行く前は一言文句でも言うかという気分であったが、順番がきて腰を低く応対されると「オセワカケマス」としおらしく帰ってきた。

明日にでも納めなければならない。多額にごますってる奴がいるはずだ・・・・・・


AKB48

2010年12月03日 | Weblog

東京の「秋葉原」は最近名を売っている。

歩行者天国で数年前、ひどい事件があったりした。

名前の由来は静岡県に秋葉神社というのがあり、火伏せの神様を祭っている。つまり防火の神様だ。

江戸ではこの信仰が盛んで、あちこち秋葉神社の分社ができた。江戸は火事が多かったせいかも。そのひとつの神社の広場を「秋葉が原」と呼んでいたのが「アキハバラ」になったらしい。名前のルーツは歴史的なものもあるし、なんか思いつきのもあったりする。


来年の干支はうさぎ

2010年12月02日 | Weblog

来年の干支はうさぎだそうだ。

今は熊・鹿などの出没の話題があるが、野ウサギのニュースとしては聞こえてこない。結構植樹した若芽を食べるのだ。野ウサギもそうだけけど奥地まで人間の手が入り、山の動物が人間の近くで住まなくてはならなくなった結果だ。深い森あれば、そこは安住の場所なのだ。

針金でわっこをつくり、ウサギの通り道にしかけておくと、ウサギが通過しようと頭をつっこむ。そこであわてて暴れる。そうすると針金が首にくいこみおだぶつ。・・・・という仕掛けで小さい頃一羽獲ったことがある。そんなに簡単にかからないので、見に行くと数日前にかかったのが死後硬直してた。もちろん食べた。

野ウサギがいたら棒切れなど投げると、鷹やとんびとまちがえて動かない。そこをいけどりにする方法もおそわったけど、それほどウサギに接近するチャンスもなかったが、どだいチョイ無理な方法だ・・・・・・・。