武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

続編・・・・

2012年06月18日 | Weblog
今もそうかもしれない。
村出身の画家が帰郷した時は、学校では全校生徒を集めてお話を聞いた。
・・・と言っても分教場だったので数十人だった。
もうえらく遠い話だ。
ひとつだけ覚えているのは、「男は▽、女は△のように描け」と言うことだ。よっぽど印象深い言葉だったのだろう。前後の話は覚えていない。
よっぽど納得したのだろう。

・・・・・今まで、いろいろの方の話を聞いたが、これほど残ってる言葉はない。

筆も達つ方で、これは石川啄木の歌をしたためている。

村の偉人

2012年06月17日 | Weblog

この絵は「東尋坊」を描いてる。
作家は「武田新太郎」と言う。私の生家の五軒ほど上の家が、この作家の出た家だ。
年代は私の祖父と同年代の方だ。武田と言うから親戚とか聞かれるが、全然違う。
集落の大半が武田姓なのだ。
私の祖父と友達関係で、この絵が残っている。
こういう絵が村にあるので日本画家と思われているが本業は版画である。活動の場は京都で日本版画画集などに載っており、知ってる人は知ってる存在なのだ。
当時、教員から芸大をめざし合格し京都で活躍したのだ。当時芸大・・・帝国芸術大学に田舎から入るなどすごいことなのである。

私も版画をやるので影響あったか?と聞かれるが全然ない。
格が違う話だ。

池田讃歌

2012年06月16日 | Weblog


新築祝いに一枚ほしいと言うので彫り始めた。

池田の方なので、池田にちなんだ「手まり唄」を彫り込んだ。
昔からの「てまり唄」だけど・・・・

一つ池田の赤ポスト
二つ二宮金次郎の親孝行・・・・・以後はおもしろくないので自作。

三つみごとなラベンダー
四つ良い子は池田学問所
五つごめんなさいと返ってきました毘沙門天
六つ浅原六朗てるてる坊主
七つ七色大カエデ
八つ八幡の礼大祭り
九つここは陸郷山桜
十は陶芸相導寺

名所など勝手の入れ込んだ。

「池田」と言う地名は全国に多いらしい。

馬琴の原稿料

2012年06月15日 | Weblog


いやに暑い夜であった。
母親が生活保護を受けていたと言う芸人の母の住むマンションをテレビで写していた。
豪華なマンションだった。
こんなとこに住んでると、しょうないなとなってしまうな。

テレビで売れるとかなり収入がよくなるのだろう。いったん顔が売れるとテレビ外の営業もかなり稼げるらしい。わたしの教え子の芸人もそうらしい。

人気の作家も売れ出すとかなり収入があるらしい。

人のふところを探るのも情けないのでやめる。・・・・・・ところで江戸時代の大衆人気作家滝沢馬琴は年収40両だそうだ。
1両を今の価値に換算するのは難しいが・・・だいたい4万円とすると160万くらいだ。・・・・なっとくする話だ。

なぜ鳥は空を飛ぶのだ・・・・

2012年06月14日 | Weblog

松田聖子が結婚するそうだ。
そういうことは私と関係ないことだ。
しかし、最近カッコウがよく木のてっぺんで鳴いている。カラスもけっこう側に行ってもなれなれしく逃げない。
これらふわりと宙に飛ぶのは不思議なことだ。
ダ・ビンチが空飛ぶことを考えても不思議でない。

新たまねぎの課題

2012年06月13日 | Weblog
たまねぎが倒れてきたので収穫をした。
二、三日畑で日にあてろと言うことなので、この梅雨時のタイミングはむずかしい。
さいわい今日は晴れでめでたい。・・・・夕方は雨もありそうだ。
だいたい今時は梅雨の時期だ。梅の実が熟す頃だから「梅雨」なのだ。旧暦の五月に降る雨は「さみだれ」という。結局同じ雨なのだけど・・・・「梅雨が降る」とは言わない。「さみだれ」は雨本体のことで、「梅雨」は時期を表すのだ。
日本語の微妙なところだ。
どっちにしろタマネギを家のどこに吊るすか問題なのだ。

版画という仕事

2012年06月12日 | Weblog


赤いような抽象的な作品は木版である・・・・ある公募展の作品だ。
具象的な作品は私の。
東京風景は小泉と言う昔の版画家の作品である。どーーーーも抽象はなじまない。
なじまないものを作ってもはじまらない。
生家の片付け二日目・・・・・だいぶ疲れて一休みしてたら・・・前の家のおばさんが「一日版画彫っていると違うでね」と言われた。・・・なんか私が大版画家と勘違いしてるようで「一枚ほしい」と言う話になってしまった。
ま、いいか。

人間が神様になるまで・・・

2012年06月08日 | Weblog
日本で最初に時計を作ったのは天智天皇となっている。水時計と言うやつだ。作った日を太陽暦になおすと6月9日にあたるそうで6月9日を「時の記念日」と言う。
だいたい昔の人は太陽が出たら動き、太陽が沈んだら寝る。・・・・こういうことだから現代のように6時29分の電車に乗る・・・だから朝飯は6時に食べ・・起床は5時半・・・・なんてセコセコ時間に追われる必要がない。時計はいらないのだ。
しかし、外国の船がひんぱんに来ると西洋への学問への関心が高くなった。間宮林蔵は北海に探検に・・・伊能忠敬はエゾへ向かった・・・地方の「からくり」の発明家の「伊賀七」と言う人は木製のやぐら時計を作った。
知らない人は知らないが、この世界では有名人だ。
しかしながら最初は狂人扱いで、後には神様扱いになった。

最初から、神様はいない。人間で終生終わる人もいる。

昔の記録

2012年06月07日 | Weblog
生家の後片付けをしていたら小学四年生が出てきた。
パラパラとめくると、私のマンガ投稿が載っていた。・・・・・あの頃はセッセと投稿をしていた。
あの頃、ポストはなかったので配達の郵便屋さんに持っていってもらういた。
ホストはあったかもしれないが、サービスでやっていたのかも。
「きょうはないかい?」などと、郵便家さんも投稿魔をごぞんじだった。

人形の人生

2012年06月05日 | Weblog

ダ・ビンチは天才だ。・・・・そういうことはわかってる。飛行機や自転車のスケッチをみると具体的だ。自転車のチェ-ンのアイデアが描かれている。
それには負ける。

人間の姿をした人形は表情のないものはつまらない。人形の人生を感じさせる詩情をもたせることにした。単なるおもちゃでなく・・・・雰囲気を大事にすることにした。