武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

やがて悲しき魚になり・・・・・

2012年07月18日 | Weblog


ようやく梅雨明けらしい。
日本中、いままでの気候状況が変わってしまい・・・・・世界中か・・・・
地球の異変かもしれない。

今年石川啄木没、100年になるらしい。啄木が小学校にあがったのは皆より、一年はやかった。神童と言われた子どもだった。
後に生活におわれ・・・・27歳で没している。亡くなって2ヶ月後、次女が生まれている。

そのかみの神童の名の
かなしさよ
ふるさとに来て泣くはそのこと

・・・・と言う和歌もある。

エンマ

2012年07月17日 | Weblog
エンマの起源は地獄を司る神であった。それが人間を苦しめる仕事柄・・・・・生きている人間の間では「悪」の印象が強まり・・・・いつしか「悪魔」のような存在になってしまったのだ。だだ、西洋のサタンのように善人まで苦しますことはない。
「地獄図」を題材にした絵本が店頭に並んでいる。売れてるのは不明なれど、話題にはなってるようだ。昔は「うそをつくとエンマ様に舌をぬかれる」とか、躾の部分もあったけど・・・・・いまはエンマが登場するのはゲームくらいだ。

怖い真っ赤な顔して、豪華な衣装をきて・・・これが一般的な姿だ。
けど、これは道教の世界で、密教の世界では笑みのたやさない優しい姿で描かれている。

どっちにしろ生きてるうちの罪を裁いてくれるのだ。お前は天国、お前は地獄と・・・・・・・三途の川で死者の衣服をはぎとる仕事をしてる「奪衣婆」はエンマ様の奥さんだ。
かせぎが少ないせいか、共働きをしてるのだ。

魑魅魍魎・・・・・・

2012年07月15日 | Weblog
この漢字は「ちみもうりょう」と読む。
さまざまな妖怪のことである。ニホンに棲むお化けたちだ。

夏は幽霊の季節である。
民俗学の柳田国男先生はお化けは出るところは決まってるが、幽霊はどこにでもでかけるという。お化けはだれにもバーとか言うが、幽霊は特定の人をねらうと言う。幽霊は丑三つとか言って、出る時間が決まってる。お化けはめんどうなこと言わず、いつでも出る。そういう違いだそうだ。

そんなことでシリーズで魔獣とか魑魅魍魎を彫ることにした。

文学の結び

2012年07月14日 | Weblog
ラジオカルチャーを聞く。
「文学の名表現を味わう」がタイトルで、今回は「むすび」の講義だ。
内容もともかく30分の中にぴったりおさめる話術もすごいことだ。

終わりはストンと落ちがついて終わるのは作家の衰弱だと・・・・・結びであるからギュとしめて・・・・そのまま終わるのではなくフワァと放してふくらます感じを出すのが理想と吉行淳之介は言ってる・・・・・・

ギュときてフワァとしめるのだ。ニワトリの首をしめるとは違うのだ。

国民の生活が第二

2012年07月12日 | Weblog

ウナギ業界がピンチだそうだ。稚魚がとれないらしい。
土用のウシの日が近い。
ウシ年生まれの人はウナギを食べるな・・・・・・ならわしがあったところからウシの日になったとか・・・・そういう不確かな説もある。
ウナギが食べれないなら、陸ウナギでも食べればと思うが・・・・・・最近、陸ウナギも行き会わない。
シマが一番かな。

廃仏棄釈・・・・・その後

2012年07月11日 | Weblog
本日、ボランティア会の作業に参加した。施設の草刈、草取りだった。
ビーバーで参加したが午後ちがうボランティアがはいるので、ここはいいですとかで作業量は少なかった。

生家の仏壇の始末をした。お寺を呼んで「魂抜き」と言う儀式を行った。塩と洗米を用意するよう言われた。お塩はわかるが米はなんだろ・・・・

仏壇の仏は仏具屋で供養してもらえと言うことで、松本の仏具屋にお願いした。あちこちお金がかかる仕組みになっている。もともとは人間が作った仕組みなのだ。
お金がなくとも成仏しますよ・・・・・・と言う世界はないのだ。

木彫りの仏像は裏をみると「天保〇〇年」とあった。家は明治元年に大火にあってるので、この火事の時は難をさけることができたのだろう。

「天保」年間と言えば、「天保の改革」とかで習ったことがある。あらためて年表をみると、1840年ごろで海外では「アヘン戦争」があり、アメリカでは南北戦争の少し前だ。

我が家の廃仏も時代の流れ・・・・・・・・・・・・か。

最近のカラクリ事情

2012年07月10日 | Weblog


横のレバーを押すと、カタカタと動き出す「馬」を作った。
木製である・・・かなり動いても騎手は落ちない・・・・・・・
そこらの木片を削って作ったので、細かい細工は難問だった。

ま、ウマくいったと言えば、70パーセントかな。
>

石川啄木と石原裕次郎

2012年07月08日 | Weblog
昔、石川啄木は「一握の砂」で

いたく錆びたピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに

と詠った。啄木は小説家志望で短歌はそんなに力を入れてなかった・・・とか。
そういうことはどうでもよくて、
かの石原裕次郎は

砂山の砂を掘ってたら
真っ赤に錆びたジャクナイフが出てきたよ
どこのだれかが埋めたか・・・・・となような歌を歌っていた。

生家を片付けていたら、写真のような金属の輪が出てきた。これは牛の鼻輪だ。版画の牛の鼻のところを見ていただければ・・・・鼻の穴に通すのだ。

♪生家を片付けていたら
 錆びた牛の鼻輪が出てきたよ
 どこのだれかが捨てたのか・・・・・・・・裕次郎風に歌えるな。

ビゴー・・・・・・・

2012年07月06日 | Weblog
ビンゴではない。ビゴーだ。
歴史の好きな人は知ってるだろう。
中学校の歴史の教科書にニホン人を風刺した外人のマンガが載っていた。今は載っているか不明。
これが明治にニホンに来て十七年間住み、作品を残した。風刺画もあるがニホン人の生活も描写している。デッサンもたいしたものだ・・・・単なるマンガ力ではない。
当時ヨーロッパに渡っていた浮世絵の世界にあこがれニホンにきた。
フランスの残っていればフランス絵画史上名を残しただろうと言われた才能の持ち主であった。・・・・これがニホンにあこがれてしまったのだ・・・・・まだ浮世絵の世界が残っていたので、満足したのだろうか。

ニホンでは評価されたのは、日本人が生活に余裕ができた戦後である。あまりにも当時の日本人がリアルに描かれていたので、ニホン人はは許されなかったのだ・・・・・・・。写真とちがって又楽しい。