めちゃくちゃ暑くもなく、
からっとして気持ちの良い梅雨の中休みの1日でしたね。
こういう日は掃除や洗濯がはかどります
僕も渋谷の事務所に着くや掃除機をかけ、拭き掃除をしました。
さて、ここ2、3日、暗くつらい書き込みが続いたので、
今日の天気のようにがらりと変えて別の話題を・・・
僕の家は馬込の丘の上(それもほぼ頂上)にあるため、
自宅を出て駅に向かうには坂を下らなくてはいけません。
今朝も僕は自宅を出て、坂を下り坂を上りして、
東急池上線の長原駅まで行き、
そこから電車を乗り継ぎ乗り継ぎして渋谷にたどり着きました。
でも、渋谷に着くと今度はまた宮益坂を上らなくてはいけません。
考えてみると、僕は1日にかなりのエネルギーを消費して、
坂の上り下りをしていることになります。
地方にお住まいの方の中には、
東京は関東平野の要にある平坦な土地だと思っている人がいるかもしれませんが、
このように東京は意外に坂の多い、山間の土地にあるんです。
東京は山のない平らな街・・・
そういう地方の人が抱いている東京の潜在的なイメージには
かなり誤解があるといえます。
それと似たようなことですが、
俗に“江戸八百八町、京都八百八寺、浪速八百八橋”という言葉があります。
江戸時代、江戸には町が多く、京都には寺が多く、
大坂(当時は大坂と表記)には橋が多いということを、
八百八という大きな数字にたとえて表現したものです。
事実、江戸時代の初期、江戸城下にあった町は全部で300町だったそうですが、
それが年とともに拡大し、
延享年間(1744~1748)には1678町まで増えたそうです。
実に、八百八町の倍以上です。
では、“水の都”といわれ水上交通が発達していた
大阪(当時は大坂)の橋はどうかというと、
江戸時代、江戸に架けられていた橋が約350橋ほどあったのに対し、
大坂に架けられていた橋はせいぜい200橋ほどだったそうです。
つまり、江戸の街は、それだけ堀や水路が縦横無尽に張り巡らされていた
大坂以上の“水の都”だったということになります。
ただ現在はその水路もすっかり埋め立てられて道路になったり、
公園になったりし、当時の面影を偲ぶよすがもありません。
(※かつて日本映画新社から僕の構成による『産業遺産紀行№7 橋の都 東京』
というビデオが出ましたが、これに詳細が紹介されています)
そんなわけで、東京は本来は“水の都”であり、坂の多い“山の街”なのです。
だから、東京には緑が少ないといいますが、決してそんなことはありません。
たしかに他県の都市に比べれば近くに自然が少ない、
緑の少ない街だということになるかもしれませんが、
大阪などよりはずっと緑が多いのではないでしょうか。
そのあたりのことを、僕が私淑する織田作之助は、『木の都』という作品の中で、
「大阪は木のない都だといはれてゐるが、
しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる」
と逆説的に書き綴っています。
ところで、“山の街”東京の都心にある山といえば、
僕は新宿区の戸山公園の中に箱根山という小さな山を思い出します。
ここは海抜44.6mと山手線の内側で一番高い場所といわれています。
それだけに、ここから見る新宿副都心の超高層ビルの眺望には一見の価値があり、
早稲田大学の文学部のキャンパスの裏手にあるため、
よく早大生とポン女のお姉ちゃんのカップルのデートの穴場として利用されたものです。
あいにく現在はこの箱根山の頂上付近は樹木が茂っていて以前よりも眺望が利かず、
ガイドブックなどによれば副都心のビル群もあまり見えないみたいですが、
その分、藪が多そうなので人目を避けたカップルには最適かな?
でも、最近の若者はこういうところでデートなんてしませんよね。
デートはもっぱらネットカフェかカラオケボックスなんでしょう?
ま、デートはやっぱり太陽の下を手をつないで歩かなくちゃね。
ちっと考え方が古いかな・・・
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渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
からっとして気持ちの良い梅雨の中休みの1日でしたね。
こういう日は掃除や洗濯がはかどります
僕も渋谷の事務所に着くや掃除機をかけ、拭き掃除をしました。
さて、ここ2、3日、暗くつらい書き込みが続いたので、
今日の天気のようにがらりと変えて別の話題を・・・
僕の家は馬込の丘の上(それもほぼ頂上)にあるため、
自宅を出て駅に向かうには坂を下らなくてはいけません。
今朝も僕は自宅を出て、坂を下り坂を上りして、
東急池上線の長原駅まで行き、
そこから電車を乗り継ぎ乗り継ぎして渋谷にたどり着きました。
でも、渋谷に着くと今度はまた宮益坂を上らなくてはいけません。
考えてみると、僕は1日にかなりのエネルギーを消費して、
坂の上り下りをしていることになります。
地方にお住まいの方の中には、
東京は関東平野の要にある平坦な土地だと思っている人がいるかもしれませんが、
このように東京は意外に坂の多い、山間の土地にあるんです。
東京は山のない平らな街・・・
そういう地方の人が抱いている東京の潜在的なイメージには
かなり誤解があるといえます。
それと似たようなことですが、
俗に“江戸八百八町、京都八百八寺、浪速八百八橋”という言葉があります。
江戸時代、江戸には町が多く、京都には寺が多く、
大坂(当時は大坂と表記)には橋が多いということを、
八百八という大きな数字にたとえて表現したものです。
事実、江戸時代の初期、江戸城下にあった町は全部で300町だったそうですが、
それが年とともに拡大し、
延享年間(1744~1748)には1678町まで増えたそうです。
実に、八百八町の倍以上です。
では、“水の都”といわれ水上交通が発達していた
大阪(当時は大坂)の橋はどうかというと、
江戸時代、江戸に架けられていた橋が約350橋ほどあったのに対し、
大坂に架けられていた橋はせいぜい200橋ほどだったそうです。
つまり、江戸の街は、それだけ堀や水路が縦横無尽に張り巡らされていた
大坂以上の“水の都”だったということになります。
ただ現在はその水路もすっかり埋め立てられて道路になったり、
公園になったりし、当時の面影を偲ぶよすがもありません。
(※かつて日本映画新社から僕の構成による『産業遺産紀行№7 橋の都 東京』
というビデオが出ましたが、これに詳細が紹介されています)
そんなわけで、東京は本来は“水の都”であり、坂の多い“山の街”なのです。
だから、東京には緑が少ないといいますが、決してそんなことはありません。
たしかに他県の都市に比べれば近くに自然が少ない、
緑の少ない街だということになるかもしれませんが、
大阪などよりはずっと緑が多いのではないでしょうか。
そのあたりのことを、僕が私淑する織田作之助は、『木の都』という作品の中で、
「大阪は木のない都だといはれてゐるが、
しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる」
と逆説的に書き綴っています。
ところで、“山の街”東京の都心にある山といえば、
僕は新宿区の戸山公園の中に箱根山という小さな山を思い出します。
ここは海抜44.6mと山手線の内側で一番高い場所といわれています。
それだけに、ここから見る新宿副都心の超高層ビルの眺望には一見の価値があり、
早稲田大学の文学部のキャンパスの裏手にあるため、
よく早大生とポン女のお姉ちゃんのカップルのデートの穴場として利用されたものです。
あいにく現在はこの箱根山の頂上付近は樹木が茂っていて以前よりも眺望が利かず、
ガイドブックなどによれば副都心のビル群もあまり見えないみたいですが、
その分、藪が多そうなので人目を避けたカップルには最適かな?
でも、最近の若者はこういうところでデートなんてしませんよね。
デートはもっぱらネットカフェかカラオケボックスなんでしょう?
ま、デートはやっぱり太陽の下を手をつないで歩かなくちゃね。
ちっと考え方が古いかな・・・
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