“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

恋する主婦たちの反乱と憂鬱・・・

2008年06月18日 23時55分59秒 | Weblog
そろそろ子供に手がかからなくなった主婦・・・
働き盛りのダンナは仕事が忙しいのか家に帰って来ない・・・
つまらないので仕事でも始めようか・・・
そんな矢先に、忘れかけていた恋のときめきが起こる・・・
最近、そんな既婚女性からの鑑定依頼が増えています。

本日もそうでした。
「私の望むような結論になるんでしょうか?」という問いかけをしてきたのは、
お子さんが3人いらっしゃるそんな年頃の主婦。
個人情報の保護があるので詳しいことは言えませんが、
彼女は現在いわゆるW不倫の真っ只中にいます。
その彼女からの婉曲な物言いの鑑定依頼を僕なりに解釈すれば、
「私は果たして夫とすっきりと別れ、彼も家庭を捨て、二人はつつがなく結ばれる
ことが出来るのでしょうか?」ということです。

僕は言いました。
「貴女の望むような結末に至るまでにはまだ幾多の困難や時間がかかります」と。
ただ「来年は天剋地冲の年なので、あなたにすべてを捨ててやり直す気持ちが
あるかどうかだ」と。
「もしその気持ちがあれば来年は再出発の年なるでしょう」と。
でも、すぐに意中の彼と結ばれ、ハッピーエンド、すべてが丸く収まるのかというと、
決してそうではなく、仮にそうなるにしてもまだかなりの紆余曲折があるはずです。
しかしながら、結局は壊さないことには新しいことは何も始まらないのです。
だから、あとは彼女の決断次第だといえます。

さらに、少しだけ希望を言わせてもらえれば、
今はなにかとうまく行かなくても、
彼女の人生を長いスパンで見れば、
彼女のこれからの人生は決して悪くないと・・・
そんなこんなで、結局午後7時から鑑定を始め、
じっくりゆっくり語りかけ、説明し、
終わってみたら21時半を回っていました。
ホント、僕もよくしゃべるよなぁ・・・

でも、個人的にはすごく切なかったです。
家庭を顧みず妻をほったらかしにする(意図してしたわけではない
かもしれませんが)ダンナさんから心が離れてしまった奥さんが・・・
あまりに切なくて、帰りにいつもの「居酒屋(店名)」で微醺して帰りました。

と、店からとぼとぼと歩いて帰る道すがら、
南東の方角に出た真ん丸い月・・・
これもまたなにげに寂しげでした。


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副都心線って都心線じゃまずいの?

2008年06月17日 20時59分38秒 | Weblog
14日に開業した我が渋谷に着く東京メトロ・副都心線が、
平日初日となった昨日、遅れや停止駅通過でダイヤが乱れたのに続き、
今日も停電の影響があって混乱したそうです。
開業早々ご難続きで難儀ですね。

でも、先日もこのブログで東急東横線のことを書きましたが、
通勤時に都心を走る電車なんて遅れるのはもはや日常茶飯事なんですから、
喉元過ぎればなんとやらで、
そのうちこの副都心線も多少遅れようがなにしようが
誰も文句なんて言わなくなりますって。
もちろん遅れないことが望ましいし、遅れちゃいけませんけど・・・。

たとえば地下鉄丸の内線なんて、いつも朝は3分はダイヤが乱れていますし、
ラッシュ時はほぼ2分間隔くらいで運行されている銀座線なんて、
ダイヤ通りなのかすらわかりません(笑)

僕がしばしば利用する都営浅草線なんて、
毎度毎度相互乗り入れしている京急線や京成線、
北総線などの事故やトラブルの影響をひっかぶって、
ダイヤが乱れるなんていうのはほとんど常態化しています。

いや、JRだってそうですよ。
渋谷駅の改札口で駅員さんがペコペコ頭を下げながら
遅延証明証を配っているなんてしょっちゅうです。

ところで、僕は前々から思っているんですが、
この副都心線はどうして副都心線という名称になったのでしょう?

いろいろな情報を読み聞きすると、
池袋・新宿・渋谷など副都心を結んでいるからそうついたらしいのですが、
この3つの街は都心じゃなくて副都心なんですか?!
いや、そもそもこの3つの街を副都心と呼ぶというのは誰が決めたんですか?
国?東京都?
さらにいえば、この3つを副都心と呼ぶということは、
その反対側、ないしは中心部分に都心があって、
その都心とは、銀座とか秋葉原とか内側の赤坂あたりを指していうのでしょうか?!
う~ん、疑問だ!

副都心というのは、
もともと山手線の外側の新宿西口周辺の再開発地区のために
つけられた名前だったと記憶しています。

かつて新宿駅の西口といえば、
駅に隣接して小田急百貨店と京王デパートがあるだけで、
あとはだだっ広い淀橋浄水場が広がっているだけの非常に寂しい街でした。

それが1971年に京王プラザホテルが出来たのを皮切りに、
KDDビル、三井ビル、住友三角ビル・・・と次々に超高層ビルが建てられ、
徐々に日本のマンハッタン地区が形成されていったわけですが、
あの頃はたしかに副都心と呼ぶにふさわしい気がしました。

そして、1991年に都庁が移転するや、
新宿副都心はもはや名実共に新都心になったと思うのです。
違いますか?

ましてや、今回副都心線が走っているのは、
その新宿副都心から500mは皇居寄りの山手線の内側です。
それも池袋~雑司が谷~西早稲田はともかく、
その後は新宿~原宿~渋谷と明治通りに沿って、
堂々と都心のメインストリートを貫いて走っているわけです。
だったら、これはもう副都心線なんていかにも傍流の名前をかぶせないで、
都心線とか新都心線のほうが自然だし、
もともとの計画段階での東京14号線でもよかったと思うのですが・・・
こういうへんなところにこだわるのが僕の悪いクセなんです。
どうもすみません!

でも、どうもこのあたりがあの新東京タワーを東京ハイツリーと呼ぶのと同じで
気に入らないんですよね。
東京ハイツリーなんて、
なんだかかつてのよぼよぼのプロレスラーのスカイ・ハイ・リーみたいで、
僕には到底なじめません。
巨大な首くくりの木かってなもんです。
あれ、新東京タワーじゃどうしていけないのかな?
せんとくんは、どう思う?


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再びシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)が起きたかな?

2008年06月16日 21時22分31秒 | Weblog
先週の週末のこと、東横線の中で、以前占いの専門校の横浜校に、
手相の勉強に来ていたMさんと偶然再会しました。
彼女は日吉のカルチャースクールでで手相を学ばれたのがきっかけとなって、
そのカルチャーの講師を務めていたH先生の紹介で横浜校に来た方で、
主婦ですが、お子さんがおられないので、
毎日のんびり気ままに主婦業をされているという感じの30代の奥様でした。

そういえば、そのMさんの手相が非常に印象的でした。
小指の下に結婚線が1本だけくっきりと長く横に伸びている、
いわゆる最初におつきあいをした方と結ばれる一途な初恋成就タイプ。
Mさんはパッと見た感じは20代の前半に見える可愛らしいタイプの女性です。
おそらく旦那さんは目の中に入れても痛くないほど可愛がっているんだろうなと
占いを教えながら、思ったものでした。
結局、渋谷から自由が丘までのほんの束の間の再会でしたが、
なんとなく懐かしさでいっぱいになりました。

と思っていたら、その翌日、そのMさんを横浜校に紹介したH先生から、
「どうされていますか?」と電話がかかってきました。
この時に、また思ったんです。
う~ん、つながっている・・・と。

実はこのところ、僕の運気の流れは低迷期にあり、
僕の自慢の霊感(というほどのこともなく山勘)もいささか鈍りがちでした。

しかし、ここ数日、再び例のシンクロニシテイ(意味のある偶然の一致)の傾向が
見えて来たのです。
そうなんです。
身の回りで起きることがすべてピタゴラ装置(ルーブ・ゴールドバーグ・マシン)
のようにつながっているし、
そこには何か特別なメッセージが感じられるようでもあります。

昨日も不思議なことがありました。
ラジオの仕事を終え、都営浅草線の大門駅の入口に向かうと、
黄色いビートルが停まっていました。
そのビートルを見た瞬間、僕はなぜか友人の舞台女優のMのことを思い出したのです。
「ああ、Mもビートルに乗っていたっけ。彼女のは赤だったかな?」
そう思いながら、地下鉄の入口から大門駅に降り、
浅草線のホームのいつも乗車する場所にたどりついたとたん、
「あっ、ハリー先生!」
見ると、そのビートルに乗っているMがすぐ横に立っていました。
本当に不思議なこともあるもんです。
ふだんはそのビートルで移動する彼女ですが、
父の日の昨日、「わざわざ行った」という括弧つきの勿体をつけるために、
電車に乗って麻布十番の豆源まで、
お父さんの好きな豆菓子を買いに行ってきたんだそうです。
不思議だなぁ・・・

しかも、豆源と聞いて、またびっくり!
豆源の豆菓子は、死んだうちの父も大好物で、
特に父は豆源の塩豆さえあれば何もいらないというほどでした。
そのせいで、僕は何かというと父の御機嫌取りのために、
豆源にせっせと足を運んで、塩豆やら何やらを買い込んで来たものです。
そして、よく「死んだら棺桶の中に入れてやるんだ」と言っていたものでした。
でも、晩年の父は歯がダメになり、
その大好物の塩豆さえあまり口にしなくなっていました。
そんな父のことを思い出しました。

偶然は今日もありました。
原宿のテイチクレコードで打ち合わせをしていたら、
携帯に「昨日原宿に行ったんだけど・・・」とメールが入って来ました。
これも不思議でした。

こんなふうに、ここ数日、また運命のピタゴラ装置が稼働し始めたようです。
この不思議なリズムに上手に乗っていけたら、
きっと何かいいことがあるかも!爆発の予感?!


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岩手宮城内陸地震から島倉千代子さんまで・・・

2008年06月15日 20時20分43秒 | Weblog
岩手・宮城内陸地震の規模と被害はかなり甚大だったようです。
被災された皆様に心からお見舞を申し上げます。

昨日は、朝から千葉の九十九里浜にある
小さな小さな別荘に出かけていたもので、
現地に向かう途中の千葉東金道路の野呂PAで朝食を食べている時に、
TVのテロップで地震の発生を知り、愕然としました。
マグニチュード7.2、震度6強なんて揺れは想像もつきませんし、
たった今走っていた高速道路を通行中にこんな地震に襲われたらと考えると、
ぞっとしました。

今日6月の第3日曜日は父の日ですが、
千葉の九十九里浜にある別荘は、
昭和37年に今は亡き父が建てたものです。
父は太平洋戦争末期に陸軍に召集されて、
米軍の本土上陸に備えて、
九十九里浜の海岸で穴掘り作業にあたっているうちに
終戦を迎えたと聞きます。
そして、そんな縁もあり、
高度経済成長の波に乗って事業を発展させる中で、
現地で出来た知己を頼って、この地に別荘を建てたのです。
その背景には、父も母も東京の人間で、
盆暮れに帰るべき田舎を持たなかったこともあります。
つまり、東京生まれで東京育ちの両親を持つ田舎のない僕にとって、
この九十九里浜は、小さい頃から自分にとって代用の田舎であったのです。

小学校時代の夏休みは、毎年ひと夏、母とここで暮らし、
毎日海で泳ぎ、
すぐ前の家の3つ年上のお兄さんに
蝉とりやホタル狩りに連れていってもらった想い出、
千葉大付属病院で扁桃腺とアデノイドの手術を受けた想い出、
日曜日にやってくる父や大人の人たちと川でうなぎ獲りをした想い出、
血気さかんな高校生や大学生の頃は海辺でナンパを繰り返したり、
乱痴気騒ぎをした想い出などなど、
僕の原体験にある田舎の風景や夏の想い出は
この九十九里浜の海岸にあるといっても過言ではありません。

ところが、この九十九里浜へのアクセスも、首都高速湾岸線や東関道、
さらには前述した千葉東金道路や東金九十九里道路などの開通により
時代と共に飛躍的に向上し、
かつて別荘を作った当時は3時間近くかかっていた道のりも、
混んでいなければ1時間ちょっとで行けるようになりました。

しかし、そのおかげで、かつては泊まりで出かけていた九十九里浜も
いまや完全に日帰り圏内・・・どころか東京への通勤圏となり、
往時は何百とあった民宿も見る影なしの状態で、
夏の海水浴シーズンこそ日帰りの海水浴客がいますが、
あとはキムタクを始めとするサーファーたちの天国となりました。
噂では、大網の季美の森にはそのキムタクの別荘があり、
キムタクはそこから九十九里まで通っているとか・・・
(本当かどうかは知りません!地元の人が言っていたもんで・・・)

僕の家の別荘は、別荘といっても本当に名前ばかりの小さな小さなしもたやで、
10数年前に一度全面的に改築しましたが、
現在では1年に数度行くか行かないかの完全な野ざらし状態なので、
夏前には掃除を兼ねて行っておかなければならないのです。

今回も、非常に久しぶりに行ったこともあり、
家の中に蜘蛛の巣があったり、干からびたゴキブリの死骸が転がっていたりで、
一緒に行った嫁さんや子供たちの悲鳴があちこちでこだまする惨状でした。
そして、その後はその後で掃除やらなにやらで大変・・・
マジ、別荘とかは常時使うか管理する人間がいないとダメですね。
そうでないと、別荘なんて持つ資格がありません。
父からの相続だとはいえ、そんな現実を痛感しました。

でも、土曜日はひとしきり梅雨の中休みの晴天の海辺で、
家族でのんびりと過ごしました。

そして、今朝早く東京へ戻り、
生放送のある文化放送へ直入りしました。

本日から番組にあの島倉千代子御大が不定期で加わるということで、
少し緊張しました。

僕はかつて6年ほど、島倉さんの座付き作家として、
新宿コマ劇場公演やツアーのステージの構成や、
テレビ・ラジオの番組を作りました。
そんな経緯もあり、僕は島倉さんを今でも
“看板(一人の名前で大きな舞台の看板を張れるような大スターの意味)”
と呼んでいます。
そんな“看板”との久しぶりの仕事です。

ご存知のように島倉千代子という人は、
事故、離婚、借金などなど波乱万丈の人生を送ってきた、
いや今でも(現在進行形で)送っている人です。
そこには何があるのか、
彼女とはいったい何者なのか・・・
これに関しては、一時は彼女の一番身近にいた作家として、
また彼女をより冷静に正確に占える占い師として、
そのうち書き綴ってみせたいと思います。

えっ?!今だっていいって?
正直、今日はちょっとお疲れです。
失礼してまたの機会にさせて下さい。


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副都心線の開業はJRvs私鉄のデスマッチの始まり!?

2008年06月14日 07時49分52秒 | Weblog
本日、東京メトロの副都心線が開業!
副都心線の渋谷駅は僕の事務所がある山手線の内側に位置するので、
宮益坂を中心にしたエリアがこれを機にもっと活性化してくれると嬉しいです。

この副都心線の開業に関しては、
どのメディアを見ても
この副都心線が結ぶ池袋~新宿~渋谷の各地区の
デパート戦争が勃発なんてことがいわれています。
各地区とも、その地区のライバルのデパート同士が共に手を結んで
他の地区に対抗などと書いてあります。

でも、それっていうのは、僕は非常に近視眼的な見方だと思うのです。
この副都心線の開業が意味するものは何かというと、
それは池袋~新宿~渋谷のデパート戦争の勃発なんてローカルなレベルではなく、
実は埼玉~東京~神奈川を結ぶ南北のラインにおける
JR東日本対他の私鉄の利用客をめぐる
強烈なガチンコ対決にあると思うんです。

近年、東京を中心にした電車の交通網は飛躍的に進歩しましたが、
JR東日本vs私鉄の戦い(なんていうと物騒なので“競争”と言い換えても
いいかもしれません)の伏線というか発端は、
70年代から始まった東急線や小田急線など都心に乗り入れる大手私鉄と
東京の2つの地下鉄との相互乗り入れにあります。
東京の地下鉄網が東西南北に次々に新設・延伸されるとともに、
他の私鉄と相互乗り入れという形でつながりました。
これによって東京近郊のベッドタウンより都心に入る電車の交通網は
著しく進歩した「わけですが、
これに対し、分割民営化後のJR東日本も手をこまねいて見てはいませんでした。
総武線と横須賀線をつないだことに始まり、
果ては埼京線を延伸して横須賀線や東海道線につなげる湘南埼京ラインを開通させるなど、
次々に活気的な新手を打ってきました。
そして、そのたびに利用客の流れが刻々と変化して来ました。
今から20年前、誰が渋谷駅を成田から横浜に向かう列車が走り、
横浜から埼玉の先まで新宿経由で行けるルートが出来るなんて考えたでしょう!

今回の副都心線の開業も、
そんなJR東日本vs他の私鉄の利用客ぶんどり合戦の一環です。

この副都心線が西武線や東武線とつながっているために、
埼玉の西部方面から新宿・渋谷方面に向かう客は、
池袋でわざわざJRに乗り換えることなく、
新宿や渋谷に向かえるようになりました。

そして、数年後、この副都心線が東急東横線とつながるといいます。
そうなると、こんどは埼玉~東京だけでなく神奈川まで巻き込んで、
まさに湘南埼京ラインとのガチンコ勝負となります。

なにしろ東急東横線は、横浜駅だけでなく、
菊名まで延伸される相鉄線とつながるというくらいですですから、
もう埼玉~東京~神奈川にまたがる壮大な私鉄ネットワークが出来上がるといえます。

一方、JR東日本だってただ黙ってこの状況を見ているわけではありません。
新たに横須賀線に武蔵小杉駅を作って南武線とつなぎ、
東横線から目黒線・南北線方面に流れていた
東京の海側に向かう利用客を横取りしようとこれまた必死の抵抗をしています。

このへんの5年、10年先、いや50年先まで見越した
JR東日本と他の私鉄の水面下のガチンコ対決はすごいの一言です。

これって僕ら利用客にとってはより便利になっていいことですけどね。
渋谷に来るのもますます便利になるので、
皆さん、ぜひ僕のところにいらして下さいね。


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13日の金曜日に何かが・・・起こらなかった

2008年06月13日 23時53分41秒 | Weblog
今日は13日の金曜日でした。
とかくゲンかつぎをする僕は、めざましテレビの星占いも僕の魚座が11位だし、
朝から嫌だなと思っていたのですが、
結果的にはそれほど不穏なことは起こりませんでした。
例によって、添付のメール送信をすると
送れなかったり、文字化けしたりという
ここんところの異常が今日もまた出た以外は・・・。

ところで、今日ネットのニュースで見つけたのですが、
多くの国で「不吉」な日とされるこの13日の金曜日は、
実際は通常よりも「安全」な日であることが、
12日のオランダの統計学者らによる発表で分かったとか。
同国の保険統計センター(CVS)よると、
13日の金曜日はほかの金曜日と比べ、
事故や火事、盗難の件数が少なかったといいます。
過去2年間でオランダの保険会社が受けた金曜日の交通事故の報告件数は
平均7800件ですが、
13日の金曜日の平均は7500件だったそうです。
これは13日の金曜日を意識して、人々がかえって出控えたため?という
見方もあるそうですが、
でも、やはり13日の金曜日は不吉という言い伝えは
迷信の域を出ないということでしょう。
たしかに、今日もこれといって大きな事故も事件も起きていませんよね。

ちなみに、西洋で13日の金曜日が不吉とされるのは、
キリストが磔にされた受難の日が13日の金曜日だったという説に基いているそうですが、
聖書をみると、それが金曜日とは書かれているものの、
日にちまでは記されていないということです。
また、その他にもキリストの最後の晩餐に 13人の人がいたからとか、
イヴによるアダムの誘惑も
大洪水からノアが脱出したのも
バベルの塔が壊されたのも13日の金曜日だと言われ、
それが13日の金曜日の風評を高めていったようですが、
これらについても聖書にそのような記述はないということですね。
ということは、13日の金曜日はOKだということじゃないですか!
なんだ、今日、宝くじでも買えばよかったな・・・
フランスでは逆に13日の金曜日に宝くじを買えというらしいですよ。


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人生の転機を思う

2008年06月12日 19時21分17秒 | Weblog
雨ですね。
今年の梅雨は非常に“順当な梅雨”という感じがしますね。
“ほどほどに降れば 恵みの雨といい”と江戸川柳にも詠まれているように、
ほどよく降る雨ならば、作物を育て、飲料水を補い、
人々にうるおいを与えてくれますが、
自然というのは往々にしてこちらの思うようにはいってくれません。
降りすぎて鉄砲水が出たり、土砂災害を起こしたり、
そういうニュースを耳にするたびに、
やっぱり雨降りは嫌だなと思ってしまいます。

この雨降りの中を鑑定に来て下さった皆さん、ありがとうございました。

鑑定していて興味深いなと思うのは、
男性にとって、いわゆる厄年の前後、
あるいは東方が天剋地冲になる54歳や66歳、
はたまた同じく東方が律音になる満60歳、還暦の時というのは、
不思議に人生の転機にあたっているということです。
といっても、何もそこで今まで歩んできた道を捨てると言っているのではなく、
改めて歩んできた道を振り返ると同時に、
これから進もうとしている方向をしっかりと見定める時、
人生の見直しを図る節目の時期だということです。

しかも、こういう転機の時期は、その影響が家族にも及びます。
家族というのは一つの集団の単位ですから、
一家の長である主人の運気が、他の家族にも及ぶわけです。
それだけに、お父さんの進路の選択が大変重要だということにもなります。

僕も然り。
今年、東方が天剋地冲の僕は、占い学校の講師を辞め、
自らの船を作り、占いという羅針盤を携えて、運命の旅に出立しました。
この船には、いちおう家族も乗船しています。
ただし、彼らは全然航海術なんて知らないので、
僕が漕ぐ船に乗っているだけで、
途中嵐が来れば、僕と一緒に逆巻く波に翻弄されてしまいます。
けれど、僕は進むしかないし、願わくば家族が安心して乗ってられるように、
慎重に航海を続けるしかありません。
いちおう今年の夏にはブレイクして、忙しくなる予感ありだけど・・・

「パパ、今年の夏休みはどこに連れて行ってくれるの?」
「う~ん、明日の潮路はラッパルまかせだな」
「なにそれ?へんなの」
娘の言葉が胸に痛い!


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また再び古閑選手と西岡選手のカップルを占いました!

2008年06月11日 14時09分01秒 | Weblog
今朝、宮益坂の途中にある松屋に朝ごはんを食べに入ったら、
テレビのワイドショーのコメンテーターとしておなじみのO弁護士が
納豆定食を食べていました。
実はO弁護士の事務所もこの宮益坂に面したビルの中にあるんです。
あれだけ売れている弁護士さんでも、けっこう庶民的なんだなと思いましたが、
それにしても松屋は安い!実にリーズナブル!
牛めし、350円で味噌汁つきですよ!助かるんだなぁ、これが・・・

さて、そんな今日、ネットを見ていたら飛び込んできたニュース。
僕がお気に入りの女子ゴルフの古閑美保選手のこと。

あるテレビ番組に出演した古閑選手が、
「いま好きな相手は、人生で好きになった3人の中の1人。
結婚すると言ってくれたら、きょうにでも結婚する」と大胆告白。
さらに「最近は“この人”の子供がほしいと思うようになった」と、
お酒を飲みながらの番組だったこともあり、
酔った勢いも手伝って、そんなふうに西岡選手に対する熱い思いを語ったとか。

古閑選手と“恋人”の西岡選手のことに関しては、
これまでにこのブログでも過去二回ほど書いてきました。

二人は干合相手で、しかも共通干支(律音)を持っているので、
縁がある互いに惹かれあうカップル。
しかも、来年は二人とも干合する年で、
古閑選手が司禄星、西岡選手が牽牛星と結婚の星が回る年、
だから結婚へ進むのは必然か?と。
でも、いかにせんいまは二人とも子丑の天中殺の真っ只中です。
だから、もしそばに占い師がついていたら、
再来年まで結婚は待てと忠告するでしょう・・・
そんなふうに予言して来たわけですが、
今回の古閑選手の発言を聞くと、
もう古閑選手が絶好調に燃えちゃっていますね。
天中殺だろうがなんだろうがおかまいなしの感じ(笑)
僕は「美保ちゃん、焦らない焦らない」と言いたいんですがね・・・
なんだか僕の大胆予言が刻一刻と当たりそうになってきた感じ?
でも大逆転の破局があるのも天中殺。
だから、結果は下駄を履くまでわかりません!
また、テレビなどでこういう発言をするということは、
逆に不安の裏返しの要素でもあるのです。
とにかく頑張れと応援したい気持ちです。

たしか古閑選手は、今週は日本の女子ゴルフツアーをお休みして、
賞金が半分の韓国ツアーに出場するとかで、
突然なぜ?という報道もありました。

ま、そんな大きな理由なんてないんじゃないですか、
自由奔放な彼女のこと、
「韓国エステって気持ちいいんだよ」とか、
「プチ整形も楽だよ」なんて誰かに言われたら、
「じゃあ韓国へ行っちゃえ」くらい勢いよく、
韓国だってシベリアだって飛んで行ってしまうところがあると思います。
また、その奔放さが彼女の魅力だと思うんですが、
皆さんはどう思いますか?


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“水の都”東京、“山の街”東京

2008年06月10日 18時06分55秒 | Weblog
めちゃくちゃ暑くもなく、
からっとして気持ちの良い梅雨の中休みの1日でしたね。
こういう日は掃除や洗濯がはかどります
僕も渋谷の事務所に着くや掃除機をかけ、拭き掃除をしました。

さて、ここ2、3日、暗くつらい書き込みが続いたので、
今日の天気のようにがらりと変えて別の話題を・・・

僕の家は馬込の丘の上(それもほぼ頂上)にあるため、
自宅を出て駅に向かうには坂を下らなくてはいけません。
今朝も僕は自宅を出て、坂を下り坂を上りして、
東急池上線の長原駅まで行き、
そこから電車を乗り継ぎ乗り継ぎして渋谷にたどり着きました。
でも、渋谷に着くと今度はまた宮益坂を上らなくてはいけません。
考えてみると、僕は1日にかなりのエネルギーを消費して、
坂の上り下りをしていることになります。

地方にお住まいの方の中には、
東京は関東平野の要にある平坦な土地だと思っている人がいるかもしれませんが、
このように東京は意外に坂の多い、山間の土地にあるんです。
東京は山のない平らな街・・・
そういう地方の人が抱いている東京の潜在的なイメージには
かなり誤解があるといえます。

それと似たようなことですが、
俗に“江戸八百八町、京都八百八寺、浪速八百八橋”という言葉があります。
江戸時代、江戸には町が多く、京都には寺が多く、
大坂(当時は大坂と表記)には橋が多いということを、
八百八という大きな数字にたとえて表現したものです。

事実、江戸時代の初期、江戸城下にあった町は全部で300町だったそうですが、
それが年とともに拡大し、
延享年間(1744~1748)には1678町まで増えたそうです。
実に、八百八町の倍以上です。

では、“水の都”といわれ水上交通が発達していた
大阪(当時は大坂)の橋はどうかというと、
江戸時代、江戸に架けられていた橋が約350橋ほどあったのに対し、
大坂に架けられていた橋はせいぜい200橋ほどだったそうです。

つまり、江戸の街は、それだけ堀や水路が縦横無尽に張り巡らされていた
大坂以上の“水の都”だったということになります。
ただ現在はその水路もすっかり埋め立てられて道路になったり、
公園になったりし、当時の面影を偲ぶよすがもありません。
(※かつて日本映画新社から僕の構成による『産業遺産紀行№7 橋の都 東京』
というビデオが出ましたが、これに詳細が紹介されています)

そんなわけで、東京は本来は“水の都”であり、坂の多い“山の街”なのです。

だから、東京には緑が少ないといいますが、決してそんなことはありません。
たしかに他県の都市に比べれば近くに自然が少ない、
緑の少ない街だということになるかもしれませんが、
大阪などよりはずっと緑が多いのではないでしょうか。

そのあたりのことを、僕が私淑する織田作之助は、『木の都』という作品の中で、
「大阪は木のない都だといはれてゐるが、
しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついてゐる」
と逆説的に書き綴っています。

ところで、“山の街”東京の都心にある山といえば、
僕は新宿区の戸山公園の中に箱根山という小さな山を思い出します。
ここは海抜44.6mと山手線の内側で一番高い場所といわれています。
それだけに、ここから見る新宿副都心の超高層ビルの眺望には一見の価値があり、
早稲田大学の文学部のキャンパスの裏手にあるため、
よく早大生とポン女のお姉ちゃんのカップルのデートの穴場として利用されたものです。
あいにく現在はこの箱根山の頂上付近は樹木が茂っていて以前よりも眺望が利かず、
ガイドブックなどによれば副都心のビル群もあまり見えないみたいですが、
その分、藪が多そうなので人目を避けたカップルには最適かな?
でも、最近の若者はこういうところでデートなんてしませんよね。
デートはもっぱらネットカフェかカラオケボックスなんでしょう?
ま、デートはやっぱり太陽の下を手をつないで歩かなくちゃね。
ちっと考え方が古いかな・・・


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秋葉原の通り魔殺傷事件に思う・・・

2008年06月09日 23時42分37秒 | Weblog
どこへ行っても秋葉原の通り魔殺傷事件のことで持ちきりです。
昨日は、事件発生から数時間のうちに書き込みをしたため、
多少書いた意見も情報不足でその瞬間の感情優先のところがありました。

で、本日いえることは、
やっぱり犯人は許せないということです。
断固、許せません!

いろいろな報道を見ていると、
犯人は仕事のことで、ツナギがなかったことでキレたから事件を起こしたとか。
つまり、彼はキレて、この凶行に走ったとあります。

しかし、これはちょっとヘン!
“キレる”というのは、我慢が限界にきて、怒りが爆発するということです。
つまり、その行動というのは瞬間的なものであり、衝動的なものであり、
反動的なものであり、感情的なものであるはずです。
つまり、キレて凶行に走ったのなら、
その時その直後に、せいぜい静岡あたりで犯行に及んでいたはずです。

ところが、犯人はわざわざ福井までナイフを買いに行き、静岡まで出て車を借り、
わざわざ東名高速に乗って、東京までに行き、バカな事件を起こしたのです。
これはもう衝動的な犯罪ではなく、
キレたという言葉に名を借りた周到に用意された計画的な犯罪でしかありません。
つまり、キレる奴はもっと瞬間的で、
こんなに長く冷静にキレている奴はいないということです。
彼は、前々から何にでもいいからきっかけを待って、
こういう犯罪を起こそうと思っていた殺人鬼であり、
そのためにネットに数日前から犯行予告をして、
自分の行動を書き込みすることで誇示し、
正当化しようとしていたとしか思えません。
そして、その行為に途中から酔っていた・・・
あれだけの犯罪を、アルコールやクスリの力も借りずに、
しらふで行なう犯人はよっぽど冷静な殺人鬼です。

100歩譲って、彼のことを思うとき・・・
ああいう犯行予告の段階で、
誰かに止めてもらいたかったのかもしれませんね。
でも、彼の周りにも、ネットの中にも、
彼の話を真剣に聞き、彼の暴挙を止めてくれる友達も理解者もなく、
彼はそれだけ孤独だったということでしょう。

ちなみに、今回の事件を振り返り、改めて驚かされたのは、
犯行の現場が“秋葉原”であるということ。
“銀座”や“新宿”、ましてや僕のいる“渋谷”ではなく
“秋葉原”であるということ。
つまり、そういう友達も理解者もいない、ネットの中にだけ生きる若者にとっては、
東京の中心は“秋葉原”なんですね。
このへんこの事件は今までにない新しい犯罪だと思いました。

亡くなられた被害者のお父さんの
「出来ればこれは夢であってほしい」という言葉が心に沁みました。
ホントだなぁ・・・。


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