印画紙の乾燥の仕方を教わった。ガラス窓などに貼り付けて半乾きになったらスケッチブックなどの挟んで徐々に乾かすというもの。ダイソーの安物のスケッチブックを買ってきてそれでやったが、少ししわがよってしまった。乾燥が足りなかったか、それとも紙が薄すぎたか。なかなか難しい。
印画紙の現像時間を以前の1分30秒から5分に伸ばした。余計に黒化が進むため、結果的に露光時間を削る必要がでてきた。このプロセスのお陰で、ダーク部はしっかり黒くなり、また露光時間が短いので結構ハイライトも伸びがある。プリントがぐっとしまった感じがしてきた。一段高いところに出た感じだ。
今日の主な現像条件:
フィルム:フジ NEOPAN400PRESTO 撮影感度=160
フィルム現像:D-76(1:1)22℃ 7分30秒
印画紙: フジ レンブラントF2 六切り
印画紙露光 :F11 #2 5秒
印画紙現像: PROTOL STANDARD(1:2) 5分
できればEI=200にして、もうちょっと現像時間を長くしてみたい。
来週末に発送するプリントを作ろうと思う。
今日の主な現像条件:
フィルム:フジ NEOPAN400PRESTO 撮影感度=160
フィルム現像:D-76(1:1)22℃ 7分30秒
印画紙: フジ レンブラントF2 六切り
印画紙露光 :F11 #2 5秒
印画紙現像: PROTOL STANDARD(1:2) 5分
できればEI=200にして、もうちょっと現像時間を長くしてみたい。
来週末に発送するプリントを作ろうと思う。
Televue85 Nagler5(16mm) with BinoView
先日端っこに見えていた黒点が真ん中まで移動してきた。(太陽は自転しているんですねえ。)もっと大きな群ではないかと期待していたが、それほどではなかった。シーイングはあまり良くなく、意識が遠ざかるような感覚を持つほど、時に像は大きく乱れる。ふと、本当にこれは像の乱れなのか、自分の心の乱れなのか区別が怪しくさえなる。大きく息をして心を落ち着かせると、不思議と黒点の像もピシッと安定するような気がするのだ。像が乱れたからといってむやみにフォーカスをいじるのも良くない。どうせ無限遠にある対象なのだからぴんとの位置が動くはずもない。どっちかというと自分の目の調節機構が動いてフォーカスが外れてしまうと考えた方が納得感がある。じっと待つ気持ちが大切なのだろう。
先日端っこに見えていた黒点が真ん中まで移動してきた。(太陽は自転しているんですねえ。)もっと大きな群ではないかと期待していたが、それほどではなかった。シーイングはあまり良くなく、意識が遠ざかるような感覚を持つほど、時に像は大きく乱れる。ふと、本当にこれは像の乱れなのか、自分の心の乱れなのか区別が怪しくさえなる。大きく息をして心を落ち着かせると、不思議と黒点の像もピシッと安定するような気がするのだ。像が乱れたからといってむやみにフォーカスをいじるのも良くない。どうせ無限遠にある対象なのだからぴんとの位置が動くはずもない。どっちかというと自分の目の調節機構が動いてフォーカスが外れてしまうと考えた方が納得感がある。じっと待つ気持ちが大切なのだろう。
プリントエクスチェンジを企画しているサイトで写真に関するサイトを紹介してもらった。暗室のすすめというサイトだ。いろいろためになることがたくさん書いてありそう。ぱらぱらと見ていたら、バライタ紙の現像は5分とあってビックリ。大体、90秒から2分くらいと説明書には書いてあったので、いつも90秒で取り出していた。でも、ダークの濃度をしっかり出すにはもっとやった方が良いとのこと。まあ、言われてみればその通りなんだが。
なんだか、こんなところから考え直すと、これまでの実験結果というのもどうもあやしくなってくるなあ。でも、プリントしてダークが甘い(というか薄い)写真ってすごく気持ちが悪いので、時間を長くしてちゃんと黒がでるならお安い御用である。是非試してみよう。
なんだか、こんなところから考え直すと、これまでの実験結果というのもどうもあやしくなってくるなあ。でも、プリントしてダークが甘い(というか薄い)写真ってすごく気持ちが悪いので、時間を長くしてちゃんと黒がでるならお安い御用である。是非試してみよう。
現代は情報化社会だとよく言われる。確かに会社にいても家にいても回りはパソコンだらけで、それらはインターネットで世界中につながっている。ちょっと思いついたことがあったら、まずは検索エンジンで調べてみれば大抵の情報を集めることができる。便利な世の中になったものだと思う。
ところで、我々は簡単に「情報」という言葉を使っているが、一体情報とは何かということをまじめに考えたことがあるだろうか。そんな難しいことを言わなくても情報なんて誰でも知っているというかも知れない。データベースに入っている情報、会社の機密情報などなどである。確かにそうだ。誰でも知っている。
しかし、そんな誰でも知っている情報という概念、少し考えてみるだけでなんだか不思議なことが見えてくる。例えば「社内限定情報」という情報があったとしよう。これはもちろん社内の人だけしか見てはいけないということである。こういう情報にどれだけの意味があるのだろうか。大きな会社でその情報を知っている人と知らない人がいる時、社内限定情報には、まだ何がしかの意味がある。つまり、
「きみは、その情報もしらないのか。ちゃんとお知らせを見ておきたまえ。」
などと、上司が言うことによって部下を叱責することが出来たりする。しかし、社内の人がみんなこの情報を知ったが最後、もうこの情報は情報ではなくなってしまう。なぜならその情報を知っている人は、社外の誰にもそのことを話してはいけないのだから。「社内限定情報」は、あくまで社内に限定されなければならない。では、こういう情報の価値を高めるためにはどうするかというと、社外の人にチラッとそういう情報をもらしたり、いや漏らさないまでも、そういう情報の存在を示唆するのである。社内限定情報というのは、社外の人にとっては特ダネなのである。そういう行為の是非はここではおいておくとして、情報がある価値を持つためには、そういう微妙な状況を作る出すことが必要なのである。
こういうことは、別に社内限定情報に限った話ではない。ビジネスの世界では、こういう駆け引きは日常茶飯事である。値段や仕様を決める交渉では、相手が知らない情報の存在をちらちらさせながら駆け引きをする。インターネットのショッピングサイトでも、会員になれば販売価格をお知らせします、などというのを良く見るがこれも同類といえるだろう。
バーゲンのパソコンの値段というのは、それをみんなが知ってしまっては意味がない。
「あなただけのために特別にこのお値段を提示します。他では言わないで下さいね。」
他ではいわないでね、というこのセリフが大切だ。消費者はこの言葉にクラッと来て、そこに提示された69800円という情報に大きな価値を置くのである。
こんな風に考えると情報というのは、普通我々が考える静的なものではなくもっとダイナミックなものであることが分かる。情報を知っている人と知らない人の接触によって情報は意味をもつ。
でもこんなことを言うと辞書は誰でもアクセスができるのに意味があるという人がいるかもしれない。さすが、その通りである。でも考えて見よう。辞書というのは、ものすごい量の情報が詰め込まれている。その情報を全て知っている人は世の中にはいないのである。だから、誰かが辞書にアクセスするとき、そこには情報の流れが発生する。その意味においてパブリックドメインの辞書情報にもちゃんと意味はあるのである。
ところで、我々は簡単に「情報」という言葉を使っているが、一体情報とは何かということをまじめに考えたことがあるだろうか。そんな難しいことを言わなくても情報なんて誰でも知っているというかも知れない。データベースに入っている情報、会社の機密情報などなどである。確かにそうだ。誰でも知っている。
しかし、そんな誰でも知っている情報という概念、少し考えてみるだけでなんだか不思議なことが見えてくる。例えば「社内限定情報」という情報があったとしよう。これはもちろん社内の人だけしか見てはいけないということである。こういう情報にどれだけの意味があるのだろうか。大きな会社でその情報を知っている人と知らない人がいる時、社内限定情報には、まだ何がしかの意味がある。つまり、
「きみは、その情報もしらないのか。ちゃんとお知らせを見ておきたまえ。」
などと、上司が言うことによって部下を叱責することが出来たりする。しかし、社内の人がみんなこの情報を知ったが最後、もうこの情報は情報ではなくなってしまう。なぜならその情報を知っている人は、社外の誰にもそのことを話してはいけないのだから。「社内限定情報」は、あくまで社内に限定されなければならない。では、こういう情報の価値を高めるためにはどうするかというと、社外の人にチラッとそういう情報をもらしたり、いや漏らさないまでも、そういう情報の存在を示唆するのである。社内限定情報というのは、社外の人にとっては特ダネなのである。そういう行為の是非はここではおいておくとして、情報がある価値を持つためには、そういう微妙な状況を作る出すことが必要なのである。
こういうことは、別に社内限定情報に限った話ではない。ビジネスの世界では、こういう駆け引きは日常茶飯事である。値段や仕様を決める交渉では、相手が知らない情報の存在をちらちらさせながら駆け引きをする。インターネットのショッピングサイトでも、会員になれば販売価格をお知らせします、などというのを良く見るがこれも同類といえるだろう。
バーゲンのパソコンの値段というのは、それをみんなが知ってしまっては意味がない。
「あなただけのために特別にこのお値段を提示します。他では言わないで下さいね。」
他ではいわないでね、というこのセリフが大切だ。消費者はこの言葉にクラッと来て、そこに提示された69800円という情報に大きな価値を置くのである。
こんな風に考えると情報というのは、普通我々が考える静的なものではなくもっとダイナミックなものであることが分かる。情報を知っている人と知らない人の接触によって情報は意味をもつ。
でもこんなことを言うと辞書は誰でもアクセスができるのに意味があるという人がいるかもしれない。さすが、その通りである。でも考えて見よう。辞書というのは、ものすごい量の情報が詰め込まれている。その情報を全て知っている人は世の中にはいないのである。だから、誰かが辞書にアクセスするとき、そこには情報の流れが発生する。その意味においてパブリックドメインの辞書情報にもちゃんと意味はあるのである。
僕が最初に天体望遠鏡を買ったのはミードのETXという機種だった。3,4年前になるだろうか。自動で星を導入できるといううたい文句で、よく売れた機種らしい。望遠鏡のタイプはマクストフカセグレンというものだ。
残念ながら、機構部の作りがチャチですぐ壊れてしまい、鏡筒だけを微動経緯台に乗っけて使っていた。結局、それに満足できなくなって人に譲ってしまったのだが、今にして思うと望遠鏡そのものはなかなか良く見えたと思う。入門用の望遠鏡としてコンパクトな大きさも良い。
まあ、10万円だして自動導入装置を買っても、どうしてもそこは玩具にならざるをえないだろう。周りに天文のことをちょっと知っている人がいるなら、同じくらいの大きさの望遠鏡だけの物を買えば安く手に入るはずだ。たとえば笠井トレーディングのマクストフ鏡なんて安くて良いんじゃないかなあ。あっ、もちろん商品を見たわけではないので保証の限りではないけど。
残念ながら、機構部の作りがチャチですぐ壊れてしまい、鏡筒だけを微動経緯台に乗っけて使っていた。結局、それに満足できなくなって人に譲ってしまったのだが、今にして思うと望遠鏡そのものはなかなか良く見えたと思う。入門用の望遠鏡としてコンパクトな大きさも良い。
まあ、10万円だして自動導入装置を買っても、どうしてもそこは玩具にならざるをえないだろう。周りに天文のことをちょっと知っている人がいるなら、同じくらいの大きさの望遠鏡だけの物を買えば安く手に入るはずだ。たとえば笠井トレーディングのマクストフ鏡なんて安くて良いんじゃないかなあ。あっ、もちろん商品を見たわけではないので保証の限りではないけど。
会社の帰りに空を見上げると、ちょっと輝きの盛りを過ぎた火星と半月を過ぎいよいよ勢いを増す月とがランデブーしていた。都会の空の下では、それ以外には一つも星など見当たらない。ちょっと不思議な光景だった。
そういえば、ねえちゃんさんはちゃんと双眼鏡つかえるようになっただろうか。ちゃんと月のクレーター見えたかい?あんなにでかいんだから、なんとかなるでしょう。見たらきっと感動するから、がんばって!!
そういえば、ねえちゃんさんはちゃんと双眼鏡つかえるようになっただろうか。ちゃんと月のクレーター見えたかい?あんなにでかいんだから、なんとかなるでしょう。見たらきっと感動するから、がんばって!!
ふたご座にある変わった名前の星雲。拡大してみるとエスキモーの顔のようにみえるからそんな名前がついたらしい。残念ながらエスキモーの形はちっとも分からない。星を取り巻く星雲がにじんだように見えるだけ。
さざなみさんに教わった両目でファインダーを見る方法で、ずいぶんスムーズに星を導入できるようになった。星を探すのが楽しい感じさえする。感謝、感謝。
さざなみさんに教わった両目でファインダーを見る方法で、ずいぶんスムーズに星を導入できるようになった。星を探すのが楽しい感じさえする。感謝、感謝。