早い梅雨入りも好天が続く日、再開発して姿を変えたJR奈良駅 に降り立った。
キャリーと肩掛けバッグを持った夫婦は、拡張中の市街路を興福寺に向かった。
旅行を生業にしてきた ひげ爺には、修学旅行の添乗で慣れ親しんだ地である。
三条通から猿沢の池を見て左に入り、西国九番札所「興福寺南円堂」を訪ねた。
興福寺は藤原氏の創建により、飛鳥厩坂寺と山城山階寺をへて現在地にある。
納経してからホテルに荷物を預け、奈良公園を南大門・東大寺大仏殿・二月三
月堂・若草山・春日大社を巡って、飛火野から猿沢の池に近いホテルに戻った。
二日目はレンタカーを使っての急ぎ足。 郡山から阪奈道路で藤井寺市に入り、
駅近くの細い路地を進んで西国五番札所の「葛井寺(ふじいでら)」を参拝した。
市街地で駐車場が遠いため、路傍に止めて役割分担での納経と朱印を済ます。
続いて国道170号線を南に向かい、途中で左に山道をとって槇尾山に入った。
弘法大師と縁深い四番札所「槇尾山施福寺」は、札所中の難所で知られた所。
土産店が一軒だけの駐車場から舗装道を10分で中門、そこから自然石を並べ
積んだ坂道を25分で愛染堂、さらに切り石の急階段を5分で本堂に着いた。
車を170号線に戻し、途中で軽いカレーを食べて大阪阪南の親戚宅を訪れた。
その叔母さんは大阪に嫁いでから家庭を守り続け、月末には100歳を迎える。
久しぶりの訪問では、挨拶や近況を話題に和やかな時を過ごして次に向かう。
途中にある根来寺に立ち寄り、西国三番札所「風猛山粉河寺」に4時前に到着。
豪壮な本堂や枯山水庭園を眺め、京奈和道で奈良に帰り 古都の味での夕食。
それにしても、標高600mの槇尾山にある札所が私には超難所になっていた。
「最高齢でエベレストに登頂した三浦雄一郎は、すご~い」と、ひげ爺の独り言。
叔母さん100歳 三浦雄一郎80歳、ひげ爺は70歳を前にして:『どうする?』。
キャリーと肩掛けバッグを持った夫婦は、拡張中の市街路を興福寺に向かった。
旅行を生業にしてきた ひげ爺には、修学旅行の添乗で慣れ親しんだ地である。
三条通から猿沢の池を見て左に入り、西国九番札所「興福寺南円堂」を訪ねた。
興福寺は藤原氏の創建により、飛鳥厩坂寺と山城山階寺をへて現在地にある。
納経してからホテルに荷物を預け、奈良公園を南大門・東大寺大仏殿・二月三
月堂・若草山・春日大社を巡って、飛火野から猿沢の池に近いホテルに戻った。
二日目はレンタカーを使っての急ぎ足。 郡山から阪奈道路で藤井寺市に入り、
駅近くの細い路地を進んで西国五番札所の「葛井寺(ふじいでら)」を参拝した。
市街地で駐車場が遠いため、路傍に止めて役割分担での納経と朱印を済ます。
続いて国道170号線を南に向かい、途中で左に山道をとって槇尾山に入った。
弘法大師と縁深い四番札所「槇尾山施福寺」は、札所中の難所で知られた所。
土産店が一軒だけの駐車場から舗装道を10分で中門、そこから自然石を並べ
積んだ坂道を25分で愛染堂、さらに切り石の急階段を5分で本堂に着いた。
車を170号線に戻し、途中で軽いカレーを食べて大阪阪南の親戚宅を訪れた。
その叔母さんは大阪に嫁いでから家庭を守り続け、月末には100歳を迎える。
久しぶりの訪問では、挨拶や近況を話題に和やかな時を過ごして次に向かう。
途中にある根来寺に立ち寄り、西国三番札所「風猛山粉河寺」に4時前に到着。
豪壮な本堂や枯山水庭園を眺め、京奈和道で奈良に帰り 古都の味での夕食。
それにしても、標高600mの槇尾山にある札所が私には超難所になっていた。
「最高齢でエベレストに登頂した三浦雄一郎は、すご~い」と、ひげ爺の独り言。
叔母さん100歳 三浦雄一郎80歳、ひげ爺は70歳を前にして:『どうする?』。