こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩・畔焼き

2015年03月23日 13時51分37秒 | 文芸
畔焼き   さいとうつねよし
冷たい風が頬を刺激する
きのうまでは
温かかったのに
ああ~!だまされた
春先は油断できない
いつもこうだ

きょうは畔焼き
正真正銘の春を
迎えるための行事だ

冬の厳しい寒さに凍え
浅茶色に枯れた雑草を
焼き払う
冬の痕跡を跡形もなく
冷たい風の未練を
炎を走らせ断ち切ってしまう

てんてんと黒く焦げた跡
そこに土筆が顔を出す日は
もうすぐだ

春がやってくる
手筈は万全だ

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夜空の記憶

2015年03月23日 09時33分17秒 | 日記
 隣の村で祭りがあると、ガキ大将について子どもらだけで飛んで行った。隣村と言っても、ひと山越えていく。山の頂きにそった山道をどんどん歩いた。それがまた面白かった。
 出かけるのは、まだ日が高い時。みんな元気いっぱいでワイワイガヤガヤと歩いた。着いた神社は大賑わい。縁日の屋台がずらりと並んだ神社の境内で人ごみに揉まれながら、楽しくて夢中で時間を忘れた。  
・とっぷりと日が暮れた頃ようやく帰り道に着いた。日が落ちた山道は、来た時と違って細く狭く感じる。みんなの口は重くなった。仲間はいてもやはり夜は怖かった。それでも足元は明るい。見上げた暗い夜空にはくっきりとお月さまが浮かんでいた。暗い夜空にその黄色は映えて大きく頼りがいがあった。
 懐中電灯などめったにお目にかかれない時代。でも、月や星の明かりが、その代わりだった。夜空は星や月が競い合い、子供心をいつも楽しませてくれたものだ。
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就職はらしいところへ

2015年03月23日 00時09分27秒 | 日記
ほぼ五十年前、工業高校の電気科を卒業した。工業高校は製造分野の人材育成を目標に設置された教育機関だった。当時は入学すれば百%の就職率ともうたわれていた。
 級友らはそれぞれ名の知れた企業に就職した。工業高校の卒業生は、当時引く手あまただった。企業は学校で習得した専門技術を生かせる即戦力の人材を求めていたからである。
 電気科を卒業しながら、私が選んだ仕事は、書店の販売員を手始めに職種を転々とした。就寝雇用の時代に、そぐわぬ異端児だった。
 最終的には調理師になった私。同窓会の役員として創立五十周年記念行事に携わった時、会合で自己紹介の度に肩身の狭い思いをした。
「パナソニックで」「川崎重工で」「三菱で」と工業高校らしい職種を口にする役員たちの中で、「コックです」というのはかなり勇気を要した。別に恥じる事はないが、工業高校OBとしては、やはり気になる。学校推薦で就職していたら、同じように胸を張れたかも。
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