こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

添い寝はお父さんの役目?

2015年03月15日 10時29分32秒 | 文芸
 次男坊は四人いる子どもの中で唯一の『お父さんっ子』。次男坊を授かったのは、長年やっていた喫茶店を閉めてしばらく仕事がなかった時。妻は保母として働きに出ていたので、育児が私の手に委ねられた。
 オムツ替え、哺乳瓶……なれないことばかりだったが、中でも一番悪戦苦闘したのが赤ちゃんの傍での添い寝。スヤスヤと素直に眠ってくれると御の字だが、そうは問屋がおろさない。ぐずる、泣く、少し大きくなるととにかく動き回って寝てくれないのだーっ!
 だから、添い寝と言うより、寝転んだ体勢で胸の上に羽交い絞めに近い抱っこが最も効果的だった。父親の胸の鼓動が赤ちゃんにはいいユリカゴがわりに。すぐスヤスヤ。ちょっと寝ないと感じたら、お得意の『七つの子』を口ずさむ。音程の外れた父親の子守唄でも、赤ちゃんには心地よかったらしい。
 それでも添い寝で先に眠ってしまう親失格(?)の体験はないのが自慢だ。

                                         (週刊誌ミセス通信掲載)
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大人の手記

2015年03月15日 00時42分43秒 | 文芸
社内恋愛は危機管理を!

 高校卒業後、働き始めたS書店は、従業員二十人というから結構大きかった。支店も三つあり、そちらも五人ずつ働いていた。社長が女性のせいか、全店従業員三十五人のうち二十八人が女。それも若い子から勤続二十何年のオバさんまで揃っている。
 私が配属された店は男性が私を含めて、たったの二人である。しかも相手は五十歳近いオッチャンなので、二十前だった私は大モテであった。
 まず主任のM子が好意を見せてくれた。三十過ぎのオールドミスで、美人のグラマーであった。後輩の私になにくれとなく世話を焼いてくれた。それも文字通り手取り足取りで、身体が触れ合うほどの距離とあって、若い私はときどき衝動的な欲望を覚えたものである。
 ある日、集金回りにM子とコンビを組まされた私は、なんと車の中で誘惑されたのだった。真っ昼間、山道の脇に車を停めて、私はM子の洗礼に歓喜したのである。
 以来、ちょくちょく人目を忍んでM子とデートを重ねていたが、まさか十以上年上の女と結婚するつもりなどない。(遊びなんだ!)と徹底してM子に甘えていた。
 翌年、新入社員の中に好みの女の子を見つけ、今度は結婚を考えてアプローチした。付き合っていくうちにお互いに好感を持ち合い、やがてS子と肉体関係も生まれた。
 つまり、そのころはS子と付き合いながらも、M子とも切れないでいたのだ。男のズルさで、豊満なM子、楚々としたS子、両方のセックスを堪能していたのである。しかし、これが間違いだった。
「本当にS子と結婚するなら、ちゃんと手切れ金を出しなさいよ!」
 S子との結婚話が職場で噂になったとき、逆上したM子に呼びつけられて、こっ酷く責められたのである。
「そ、そんな……ぼくらはお互い合意の上で楽しみ合ったのに……お金なんて…」
「なめるんじゃないわよ。私だって上等な女なんだから。それをもてあそんでおいて、なんにもなしで、ハイ、さようならで済むと思っているの!」
 エクスタシーのときにみせる、あのなまめかしい表情はどこへやら、M子は凄い形相で詰め寄った。
「あんまり無責任なこといってると、あんたらの結婚、メチャクチャにしてやるからね」
 そういわれても、まとまった手切れ金など出来るはずもなく、ほうりっぱなしにしておいた。
 すると間もなく職場中に“女だましの○○”という、とんでもない噂が広まった。そしてS子のところに、私を中傷する電話がいろいろな声でかかってきた。名前は名乗らなかったという。
 結局、S子とは気まずくなって、だんだんに遠ざかり、そのうちデートも出来なくなってしまい、職場に居づらくなった私は、ついに辞めることにした。
 辞表を出して家に戻った夜、、M子からしつこく電話がかかってきたが、もう恐ろしくて切ってしまった。
 新しい職場に移っても、社内恋愛の恐ろしさを骨身にしみて知っていたから、二度としなかった。
(週刊読売・平成元年十一月二十六日号掲載)
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