史上最大のドジ?
8月29日、ひとつ年上の兄貴が急逝した。まだ3人の子どもは父親が必要な年代なのに、何ひとつ言い残すことなく亡くなってしまった。
「おい、仕事に行ってくるぞ」
と明るく出かけて行った兄貴は、仕事中に事故死してしまったのである。兄貴の仕事は板金業で、建築中の工場の高所から墜落したわけだが、もう20年以上のキャリアからいっても到底考えられないアクシデントである。
高い所は得意で、屋根の上をヒョイヒョイと身軽に渡り歩きながら、高所恐怖症の私を感心させてばかりの仕事ぶりだった。いつだって、兄貴ならと安心して見ていたのに……!
告別式の日、私は遺された3人の子どもたちとともに、兄貴と最後の別れをしたが、閉じた目を二度と開くことのない兄貴の顔を見ると、無性に悲しくて悔しくて涙が止まらなかった。
無類のお人好しで、誰彼となく他人の面倒を見て毎日走り回っていた兄貴がやっと面倒を見てもらう立場になったのが、こんな最悪の形でだとは……全くドジ以外の何物でもない。
「兄さん、大きいドジ踏んじまったよな。二度とは取り戻せないドジなんて、ほんまにバッカヤロー!だ」
心優しい弟思いの兄貴だっただけに、その命を失った一瞬のドジが、もう憎くてならない。
これから兄貴の代理として、遺された3人の子どもたちの父親を務めなければならない私には、兄貴と同じドジは決して許されないのだ。命がかかるドジなど、まっぴらご免である。(サンデー毎日掲載・1990年10月)
いちばんつらい家事だった子育て
夕方から翌朝まで働いているから、家に帰り着くとなにもする気力が起きない。しかし私は、すぐに寝られるわけではない。ゴミだしの担当だからだ。私が住む地域では、最近分別が厳しくなった。でも、妻は昔のままゴミ箱に放っている。だから仕分けも私の仕事。これが面倒くさいのだが、早く終わらせて床に入らないと、入れ替わりにパートに出ていく妻とぶつかる。そうなると、「忙しいから手伝ってよ!」と、小4になる息子の朝の支度から、朝飯の準備、洗濯、たまには掃除と、フルに命じられるからだ。しかしリストラされ、再就職先が決まらない中年フリーターの私は、いいなりになるしかない。反論すれば、「私がパートに出るはめになったのは、誰のせいよ1」とキレられるからだ。
しかし最近、長く働いているせいか、残業を命じられるようになった。帰宅すると、ちょうど妻の起床時間。もろもろの家事を命じられるが、残業をやった帰りでの家事はかなり辛い。だから私は、「最近忙しいから、帰宅したらすぐ寝たい。ゴミ捨てはやるけど、他はできないよ」
というと、夕方、子どもの相手をすることと、夕飯をチーンして息子に食べさせるように命じられた。これなら、これまでより楽だと思い、「わかった」といったが、その読みはまるっきり違っていた。疲れて熟睡をと思っても、幼稚園から戻って来た息子は、「ただいま1」と叫んで私の布団に飛び乗って来る。しぶしぶ起きると、「お菓子~~!」「ご飯~~!」「宿題~~!」とうるさいになんの。あさの家事より過酷なので根を上げた私が、「子どもの世話は勘弁してくれよ」というと、「なにいってんのよ。選んだのはあなたでしょ1あとでブツブツいっても、もう手遅れ!」そのとおり。そして、お前を選んだのもこの私だ。ホントだ!スカをつかむのは、俺って得意なんだよな。ああー!イヤになる……!
(週刊ポスト平成17年9月掲載)
争いは、やる気のもと
夫婦で、ちいさな喫茶店を経営している。もともと夫が一人でやっていたのを、結婚と同時に、私も手伝うようになったのだ。
夫はこの道20年近いプロ。結婚当初は、保母の経験しかない私に、手取り足取り教えてくれた。しかし、私は生まれつき、興味が持てないものにはいい加減にしか取り組まない性格で、いつまでたってもパートやアルバイト気分から抜け出せなかった。しまいには夫も、
「もう好きにせえ!」
とサジを投げた。
あれからすでに7年。途中、府警のあおりを受けて、沈没寸前になったこともあった。そのころから、夫と私の立場が逆転し始めたのだ。
意気消沈の夫とは裏腹に、私は俄然奮い立ち、テキパキと仕事をこなす。自分でも驚くほどの変身ぶりだったのだ。
「お前はいつも手遅れや。もっと前にその気になってくれてたら、店がもう一軒ぐらい増えてたのに……」
最近、めっきり老け込んだ感じの夫の未練がましい言葉に、
「何いうてんの。これからが勝負やない。しっかりしてよ」
と、私は遠慮なくはっぱをかける。
でも、さすがは男、
「そんなんより、こないしたらどう?」
と口を出すと、
「うるさい!俺はプロや」
と怒る。
「この方が能率的やわ」
と手を出そうとすると、
「素人がなにをいうとる。俺がやる!」
と頑張る。
妻にポンポンいわれればいわれるほど、ムキになってしゃかりきに働くのである。
わが家は、一見、夫婦の争いが絶えないように見えるが、実はこれ、すべて生活のため、夫にやる気を出してもらうためなのだ。
(週刊朝日昭和63年10月号掲載)
8月29日、ひとつ年上の兄貴が急逝した。まだ3人の子どもは父親が必要な年代なのに、何ひとつ言い残すことなく亡くなってしまった。
「おい、仕事に行ってくるぞ」
と明るく出かけて行った兄貴は、仕事中に事故死してしまったのである。兄貴の仕事は板金業で、建築中の工場の高所から墜落したわけだが、もう20年以上のキャリアからいっても到底考えられないアクシデントである。
高い所は得意で、屋根の上をヒョイヒョイと身軽に渡り歩きながら、高所恐怖症の私を感心させてばかりの仕事ぶりだった。いつだって、兄貴ならと安心して見ていたのに……!
告別式の日、私は遺された3人の子どもたちとともに、兄貴と最後の別れをしたが、閉じた目を二度と開くことのない兄貴の顔を見ると、無性に悲しくて悔しくて涙が止まらなかった。
無類のお人好しで、誰彼となく他人の面倒を見て毎日走り回っていた兄貴がやっと面倒を見てもらう立場になったのが、こんな最悪の形でだとは……全くドジ以外の何物でもない。
「兄さん、大きいドジ踏んじまったよな。二度とは取り戻せないドジなんて、ほんまにバッカヤロー!だ」
心優しい弟思いの兄貴だっただけに、その命を失った一瞬のドジが、もう憎くてならない。
これから兄貴の代理として、遺された3人の子どもたちの父親を務めなければならない私には、兄貴と同じドジは決して許されないのだ。命がかかるドジなど、まっぴらご免である。(サンデー毎日掲載・1990年10月)
いちばんつらい家事だった子育て
夕方から翌朝まで働いているから、家に帰り着くとなにもする気力が起きない。しかし私は、すぐに寝られるわけではない。ゴミだしの担当だからだ。私が住む地域では、最近分別が厳しくなった。でも、妻は昔のままゴミ箱に放っている。だから仕分けも私の仕事。これが面倒くさいのだが、早く終わらせて床に入らないと、入れ替わりにパートに出ていく妻とぶつかる。そうなると、「忙しいから手伝ってよ!」と、小4になる息子の朝の支度から、朝飯の準備、洗濯、たまには掃除と、フルに命じられるからだ。しかしリストラされ、再就職先が決まらない中年フリーターの私は、いいなりになるしかない。反論すれば、「私がパートに出るはめになったのは、誰のせいよ1」とキレられるからだ。
しかし最近、長く働いているせいか、残業を命じられるようになった。帰宅すると、ちょうど妻の起床時間。もろもろの家事を命じられるが、残業をやった帰りでの家事はかなり辛い。だから私は、「最近忙しいから、帰宅したらすぐ寝たい。ゴミ捨てはやるけど、他はできないよ」
というと、夕方、子どもの相手をすることと、夕飯をチーンして息子に食べさせるように命じられた。これなら、これまでより楽だと思い、「わかった」といったが、その読みはまるっきり違っていた。疲れて熟睡をと思っても、幼稚園から戻って来た息子は、「ただいま1」と叫んで私の布団に飛び乗って来る。しぶしぶ起きると、「お菓子~~!」「ご飯~~!」「宿題~~!」とうるさいになんの。あさの家事より過酷なので根を上げた私が、「子どもの世話は勘弁してくれよ」というと、「なにいってんのよ。選んだのはあなたでしょ1あとでブツブツいっても、もう手遅れ!」そのとおり。そして、お前を選んだのもこの私だ。ホントだ!スカをつかむのは、俺って得意なんだよな。ああー!イヤになる……!
(週刊ポスト平成17年9月掲載)
争いは、やる気のもと
夫婦で、ちいさな喫茶店を経営している。もともと夫が一人でやっていたのを、結婚と同時に、私も手伝うようになったのだ。
夫はこの道20年近いプロ。結婚当初は、保母の経験しかない私に、手取り足取り教えてくれた。しかし、私は生まれつき、興味が持てないものにはいい加減にしか取り組まない性格で、いつまでたってもパートやアルバイト気分から抜け出せなかった。しまいには夫も、
「もう好きにせえ!」
とサジを投げた。
あれからすでに7年。途中、府警のあおりを受けて、沈没寸前になったこともあった。そのころから、夫と私の立場が逆転し始めたのだ。
意気消沈の夫とは裏腹に、私は俄然奮い立ち、テキパキと仕事をこなす。自分でも驚くほどの変身ぶりだったのだ。
「お前はいつも手遅れや。もっと前にその気になってくれてたら、店がもう一軒ぐらい増えてたのに……」
最近、めっきり老け込んだ感じの夫の未練がましい言葉に、
「何いうてんの。これからが勝負やない。しっかりしてよ」
と、私は遠慮なくはっぱをかける。
でも、さすがは男、
「そんなんより、こないしたらどう?」
と口を出すと、
「うるさい!俺はプロや」
と怒る。
「この方が能率的やわ」
と手を出そうとすると、
「素人がなにをいうとる。俺がやる!」
と頑張る。
妻にポンポンいわれればいわれるほど、ムキになってしゃかりきに働くのである。
わが家は、一見、夫婦の争いが絶えないように見えるが、実はこれ、すべて生活のため、夫にやる気を出してもらうためなのだ。
(週刊朝日昭和63年10月号掲載)