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こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

詩・年のせい

2015年03月27日 15時26分06秒 | 文芸
年のせい?

目覚めると
腰が痛い
背中が痺れてる

年を経ると
骨がもろくなる
そして
身体中のあちこちに
現れる
痛みに、痺れ……

な~んだ
年のせいか?

起きて
しばらくすると
痛くない
痺れがない

まだ
私の中に
若さは
残っているようだ
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病院もうで

2015年03月27日 13時08分00秒 | 日記
12時23分。いつもの病院から帰宅。もう三か月近く続く通院です。交通事故に遭遇して頸椎捻挫で、リハビリで首つりの日々です。待合室もリハビリ室も高齢者ばかり。腰、腕、足……電気や物理治療で顔をゆがめています。考えてみれば、その痛みやしびれは、生きている証しなんですね。10分ほどの頸椎牽引中、療法士の先生が時々話しかけてくれるのに、ちょっと閉口です。なにしろ顎から頬を経て固定したのをひっぱりあげているのだから、まともに喋れるはずがない。答える間に感じる情けなさといったら。まあ、それはともかく、治療後は不思議に気分がよくなる。もしかしたら中毒になってしまったのかも。気分よくなっておひるごはん。これが私の最近のライフプログラム。早く普通に戻りたいけれど、もう年だもんね。まあ慌てず騒がず。さあ、おひるは何を作るかな?
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別れの予兆

2015年03月27日 08時13分23秒 | 文芸
それは突然に訪れた。
 一つ違いの兄。それも二人きりの兄弟との別れだった。当時の私は厄年、兄は後厄。総ての厄を兄が引き受けてくれたとしか思えない出来事が起きた。
 その日、いつも朝早く仕事に出かけて顔を合わせる機会のない兄が珍しく顔を覗かせた。
「おはよう。いまから仕事に行ってくるわ」
 それが兄の声を耳にした最後だった。にこやかに挨拶をする兄の顔を今でも思い出す。
 兄が仕事に出かけた四時間後。入った電話は兄の死を知らせるものだった。仕事の現場は増築中の工場。5メートル近い足場から足を踏み外したのだ。脳挫傷で即死だった。
 当時、他のことは考えられない日々が続いたが、落ち着いたころに、ふと考えた。あの朝久し振りに顔を見せたのは、なにか兄自身に別れの予兆があったのだろうか?
 災厄を引き受けてくれた兄のおかげで、人生六十六年、無事今日に至っている。
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小説・ぼくらの挑戦ーそれは(その4)

2015年03月27日 00時30分45秒 | 文芸
 いつしか誠悟は脚本にのめり込んでいた。ページを繰るのももどかしく、彼の目はひたすら行を追った。描かれた場面の情景が何とも鮮やかに誠悟の脳裡を駆け巡る。
 誠悟はハッとした。そうだ、知っている!このストーリーは、ただの創作ではない。真実に基づいている。確信があった。誠悟の記憶にまざまざと刻まれた、ごく身近に起きた事件が、脚本に展開している。
(有ちゃんと真治のことじゃねえか!)
 誠悟は脚本を読めという真剣な中川先生の顔が目の前に浮かぶ。先生は真剣に彼を説得して来る。誠悟の目を見つめたまま、逸らす気配は微塵もない。
「この脚本は、君らこの地域に生きる若い人やないと、ほんまに理解できひん。舞台で表現するんは無理や、君らでないと。この芝居だけは、嘘ごとで舞台に上げとうないんや」
 中川先生の真意が、いまようやく理解出来た。先生は心底から誠悟ら連合青年団の仲間に、是が非でも舞台を作ってほしいのだ。そう、差別に翻弄される若い夫婦を支えた友達にしか、表現出来ない、いや表現してほしくないと、中川先生は無言の中で訴えている。
 誠悟は慣れない脚本をなんとか読み終わって、軽い疲れを生じる目を閉じた。真っ暗な闇に閉ざされた眸の裏側に、精悍で正義感と優しさを備えた大村真治が蘇った。あまりにも誠実な気性だったゆえに、自らを精神的に追い詰めて自ら死を選んでしまった友人である。
 真治は誠悟の前に加・印地区の連合青年団の団長を務めた若者だった。周囲の信頼は厚かった。リーダーの資質は、その信頼に充分応えた。副団長として、彼の傍にいたのは、末松有子だった。
 若者たちの先頭に立って積極的な活動を実現させた真治が、いきなり自らの命を絶ったのは、そう二年前の夏だった。忘れる筈はない。ただ悲しく救いのない空しさを帯びた記憶だけに、心の奥深くにズーッと仕舞い込んでいた。その記憶を、中川先生はいとも見事に引っ張り出した。
 真治が自殺に至った、その背景と動機らしきものを、的確に描いた脚本は、中川先生だから書き上げられた。真治と有子の結婚式で仲人を務めた中川先生だから、若い二人の現実を前に無念な敗北をちゃんと理解出来る。先生自身が二人の家を行き来して、双方の親を説得したのである。
 誠悟はグッと目を見開いた。脚本『壁よ!』に込められた真実を決して見逃すまい。彼は脚本の最初のページに戻った。まだまだ時間は充分ある。友達の胸を共有するための…!

 加・印地区連合青年団の定期総会で、誠悟はいの一番に提案した。中川真人作『壁よ!』は正式に舞台上演の企画が決まった。それも、一年後に控えた全国青年大会参加を目標に据えた一大企画となった。
「同じやるんやったら、全国大会に兵庫県代表として、日生会館の大舞台に上がろう。全国に、僕らの訴えを叫び伝えるんや。自殺しか救いを見出せなくなるまで追い詰められた、われらが大村前団長の無念を、ついに克服し得なかった差別の現実を、真実を、真治が心から叫びたかった真実の闘いを、いま生きている僕らが代弁せなあかんねん。そやろ。それは若い僕らにしか出来ひんことちゃうやろか」
 とうとうと熱弁を奮った誠悟に迷いはなかった。その姿が、あまり乗り気でなかった団員たちを揺り動かした。まだ純粋さを持つ彼らの決意は、もう変わらない。
『壁よ!』の舞台作りは具体的に走り出した。誠悟を代表の実行委員会を立ち上げた。演出に中川先生が全員一致で決まった。先生が代表を務めるアマチュア劇団『絆』の全面協力も依頼した。若い力は走り出すと、もう止まらない。だから想像を超えた結果を生み出したりする。
 公募で選んだ顔ぶれが揃った初稽古の日。顔合わせした参加者の中に、脚本に描かれた若い恋人のひとりである末松有子の顔があった。彼女を発見した誠悟は驚きを隠せなかった。青年団を卒業した有子は、アマ劇団『絆』のメンバーとしての参加だった。
 有子のほかにも被差別の青年たちが数人参加している。青年団、『絆』それぞれからの参加だった。誠悟の知っている顔ぶれもかなり揃っている。心強さを覚えた。
 顔合わせが終わると、誠悟は急いで有子の籍に寄った。優子は会釈で応じた。向かい合わせの籍に座った。
「久し振り。元気か?」
「うん」
「有ちゃんも参加するんやな?」
 有子は誠悟の顔に目を据えて答えた。
「そうするんが一番やと思うたんや」
 有子のキッパリとした口調に迷いは見られなかった。
(つづく)
(平成6年度のじぎく文芸賞優秀賞受賞作品

 
 
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