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こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

帰郷ーそして何かが・完結

2015年03月14日 00時13分35秒 | 文芸
神輿を担ぎあげた誇らしげな男衆らの顔、顔、顔。龍悟は、その目撃者だった。
(時代は変わってるんや。今やったら、オレはオヤジに会える!)
 龍悟は口を軽く結んで目を閉じた。
「龍悟。お前が何を考えちょるか、お母ちゃんには分かる」
 母は息子の表情のわずかな変化も見逃さない。
「そやけど、世の中、まだまだ甘いことないで。お母ちゃんの頃と、どない変わってる?なんも変わっとらん。そら外面は、みんなええ顔して付きおうてるわいな。ほやけど、何か起こったら、こない言い出しよる。あないなことするんは、あっこのもんしかおらん!間違いない、あっこのもんの仕業や。ほんまに怖い地区や。何しよるか分からんわ、東畑崎は。わかるか、龍悟。みんな揃ってそない言い寄るんや。一体何が変わっとる?いくら時代が変わっても、世の中がいくら便利で何でも手に入るようになったかて、人の心は、ちっとも変ってない」
 母のうちに怒りが見える。それを表に出すまいとする母の忍耐と強さが、龍悟には理解できる。
「……それを、お前は、自分が東畑崎の男の…子どもやて告白するっちゅうんか?そらなあ、お前はそれで満足出来っか知れへんけど、理香子はんは、龍一は、奈津実は、犠牲にしてええんか!お母ちゃんはかまへん。そやけど、お前の家族は……なんも考えよらんのか、お前は」
 龍悟は唇を強く噛み締めたまま、歯に背を向けて歩きだした。
「お前は差別の根深さと怖さを、ホンマに知らへんのや!」
立ち去る息子の背に向けて、声を震わせた。
 
祭りの翌朝、龍悟は夜が明けきらぬ時間に目を覚ますと、足を忍ばせて家を出た。
表札には谷間則夫とあった。家族の名前を書き込むスペースには、百合子、雅誉、龍司と並んでいる。
(オレの兄弟たちか……)
父親に家族がいることは考えもしていなかった。だが、父親には新しい家族がいる。龍悟は大きくため息をついた。じーっと表札を見つめたまま、立ち尽くした。
家の中で住人が動き出した気配がする。そろそろ誰もが起きる時間だった。
龍悟はくるっと踵を返した。もう迷いはなかった。
(もういい…!)
もう一人の自分が呟く声を聞いた。龍悟は谷間家の玄関を離れた。振り返る未練はなかった。
「みんなのしあわせに、いらん波風立てて誰が喜ぶかい」
 母の言葉が龍悟の脳裏に翻った。


 龍悟は停めた車を中国縦貫道路の路肩に設けられた緊急避難エリアに寄せた。
「どうしたの?お父さん」
 理香子が怪訝な顔で訊いた。
「ああ。ちょっとな。後のタイヤの具合が気になるんや」
「そう。でも、気をつけてよ」
「うん。分かってる」
 車の外に出た龍悟は愛車の後部に回った。騒音をガードする遮蔽壁がすだれ状になっている。そこから龍悟の故郷が一望出来る。清土と東畑崎がつながって彼の目の前に広がっている。
(…やっぱり、オヤジに会えなかったなあ)
 龍悟は口にした煙草の煙をフーッと吐き出した。
「…それでも、オレは変わった…!」
 いや、変われると思う。被差別の東畑崎とそうでない清土と、その双方の血を受け継いだ自分が、変わらなくてどうする。差別が品を変え形を変えて存在し続ける世間を変えるための礎になるのは自分しかいない。
(果たして、これまで世間の差別意識に触れることを恐れて、事なかれ主義に生きて来た自分に、そんなことが出来るだろうか?いや!やらなきゃあいけないんだ!)
 龍悟は目を見開いた。遮蔽壁の向こうに広がる自分の故郷を見据えた。母が生きている清土、父が生きている東畑崎が、そこにあるのだ。龍悟は二度三度頷いた。
「どう?タイヤ、何でもなかったの」
 痺れを切らした理香子が車の窓から身を乗り出して訊いた。
「ああ、大丈夫だ。すぐ出発する」
 龍悟は胸を張って大きく深呼吸した。なぜか笑いが込み上がってくる。半分ほどになった吸い殻を指ではじいて捨てた。
「オレはまたここへ戻ってくるぞ!」
 龍悟は叫んだ。
「えー?何か言った?なにかあったの?」
 理香子の何とも言えないのんびりした声だった。
「何でもないよ!」
 龍悟は答えた。そして足を揃えると背筋を張った。そのまま深々と自分のルーツに頭を下げた。
(完結)
(のじぎく人権文芸賞平成十年度入選作)














コメント
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