こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

ありがとう

2016年10月16日 00時51分23秒 | 文芸
ウオーキング・ディ、帰宅して確認すると25000歩。
きょうは早く寝よう。
というわけで、思い出の原稿をアップです。

私を変えた、先生の「ありがとう」

(学校なんか、行きとうない……!)
 朝を迎えるたびに、私の切羽詰まった思いはぶり返した。時には頭が痛くなったり、腹痛を憶えたりと、登校したくない気持ちが、そんな体の変調を次々と生み出した。
「また怠ける気か?仮病使うてもあかん、はよ行かんかいな。遅刻してしまうやないの!」
 最初の頃は息子の訴えを素直に認めて、学校を休ませて甲斐甲斐しく看病までしてくれた母も、そういつまでも騙されていてはくれなかった。私が暗い顔で訴えると、(なに甘いこと言うてるのん!)といった調子で、母は私を玄関から押し出した。結局、私はイヤイヤながら登校するはめになった。
 私がそこまで学校を嫌いになったのは、私の性格が影響していた。対人関係は全くダメな、ひどく内向的な人間だった。授業であてられて発表するのにさえ、言いようのないプレッシャーに襲われ、顔を真っ赤にして何も言えず、立ち往生する有様だった。何とか口が開けても、自分でも驚くほどの、蚊の鳴くような声で、しかも震え声とあっては、どうしようもなかった。発表が予想される授業がある日は、朝から緊張感に苛まれることが、しょっちゅうだった。
 そんな私を、同級生の何人かがからかうのも、私を学校嫌いにさせていた。
「頼んないやっちゃなあ、お前」
「こいつ、国語の本、読みながら、震えてやんの。本が睨みよるんけ?」
「猫つまみ、猫つまみ、授業の邪魔やさけ、猫つまみつまんで、放り出したろこ」
 猫つまみとは、私の頭が富士額みたいになっていたところから、付けられたあだ名だった。私のぶざまな仕草の物真似をして笑い転げる級友らを前に、悔しさが募って目が潤むと、また、すかさず級友らはからかった。
「こいつ、泣きよるこ!」
「猫つまみが泣きよるど!」
 自分の机に突っ伏して、彼らを無視するしか方法を知らなかった。そうしていると、頭の中が真っ白になった。もう誰の声も聞こえなくなった。
 そんな苦しい思いをしなければならない学校。いやになるのは当然だった。だが、母や父は私のそんな思いを知らない。私は家で、学校のことはいっさい口にしなかった。ただ、黙々と宿題をするぐらいだった。団欒で話題にしたくなるような楽しいことは、学校生活にはなかった。話そうとしたら、たぶん泣けてきて、どうしようもなくなったに違いなかった。
 ただ、私が話さなくても、父や母には察してもらいたかった。それが叶えられないのも、焦れったかった。
(誰も分かってくれへん……)
 むりやり家を出された格好で登校する私の心は、言いようのない不満と絶望感に苛まれた。
 そんなある日だった。授業が終わった時、教壇から、先生が私に声をかけた。五年の時から持ち回りで担任の吉田先生だった。
「おい、齋藤。ちょっと頼みたいことがあるんや」
「は?」
 戸惑う私の席へやって来た先生は、白い画用紙四枚と神戸新聞を机の上に置いた。
「この漫画を紙芝居にしてくれへんか?お前、絵が得意やったやろ」
 四年生ぐらいまでは、毎年、絵画コンクールや写生大会でなにがしかの入賞を果たしていた。それを吉田先生は言っていた。
「僕の奥さんが先生をやっとる、W小学校の授業で使うんやと。そやから頼むわ」
 私が返事もできずにいると、先生はニコリと笑った。そして、ポンと肩を叩くと、席を離れていった。
 新聞の漫画は、佃公彦のもので、よく見慣れたものだった。
「お前、すごいやないけ」
 いきなりかかった声に振り返ると、いつもからかってくる級友の一人だった。
「先生に、もう頼まれるなんて、ほんま、ごっついわ」
 私の席に何人かの級友が集まって、口々に褒めてくれた。照れくさくなった私は、頭を掻いて、「へへへ」とにやけてみせた。
 私は懸命に白い画用紙に向かった。新聞の漫画を拡大して描き写す作業に没頭した。その日、寝たのは、もう夜明け近かった。できあがりはまあまあだと思った。
「おう、もうできたか!」
 朝のホームルームが始まる前に先生に手渡すと、吉田先生は喜んだ。
「お前、やっぱり上手いのう。うちのやつも喜びよるわ。ありがとう」
 漫画が描かれた画用紙を食い入るように見ながら、先生は私に礼を言った。不思議に私の緊張感は解けていた。
 その日以来、私をからかう声は消えた。漫画を描いてくれと頼んでくる級友もいた。さすがに授業で覚えるプレッシャーに変化はなかったが、私の毎日は嘘みたいに楽しくなった。学校に通う楽しみを、私はやっと得たのだった。
 卒業式の日。教室で吉田先生は私を呼んだ。五冊の厚い白地のノートを手渡すと、
「これは、あの紙芝居のお礼や。一年生のみんな、喜んでくれたそうや。ほんまにありがとう、な」
 また先生は礼を言った。面映ゆい気持ちで先生を見た私に、
「中学に上がっても、頑張れよ。お前には、ちゃんと、こんな得意なもんがあるんや。誰にもできるこっちゃないんやど。自信持って、行けや。ええな」
 私はノートを受け取りながら、背中越しに級友らの賛辞が込められた拍手を聞き、自然と目が潤んでくるのを感じた。
 昨年末、私は五〇歳になった。振り返ってみれば、挫折と失意の繰り返しだった。だが、それを乗り越えさせてものの原点は、あの吉田先生との出会いにあったと、今さらながら鮮明に思い出し、感慨を深くする。
         (平成十一年P誌掲載)
コメント
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