こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

芸術?

2016年10月11日 00時20分20秒 | 文芸
朝から発熱でダウン!
夜すこしおちついたものの、
頭がまだスッキリしない。
ブログを書こうと思っても頭が働かない。
そこで手元に積んでいる原稿の束から
1枚抜き取った。思い出が詰まったものだ。
今日はこれで行こう。


 新設間もない工業高校で、
同好会を申請して認められた。
ストーリマンガ同好会である。

「今度文化発表会が検討されてるんやけど、
君らも参加するか?」

 顧問の先生が持ってきた話に
異存があるはずもない。
自分たちの作品が発表されるのだ。

「ただし、美術部としてや」

 言葉を失った。
漫画はまだ色目で見られる時代。
文化発表会にはふさわしくないとの判断。
部への昇格条件が美術部に衣替えなのだ。

 同好会員の多数決で美術部は生まれ、
ストーリーマンガ同好会は
アッサリ消え去った。

 油絵の即席講習で稚拙な作品を書き上げた。
講師は顧問。
美術教諭だからお手の物だ。  

文化発表会で一番
文化部らしかったのは美術部。
作品は油絵を見たこともない生徒には
かなりの人気だった。
稚拙すぎる絵が好評?
芸術とはこんなものかと
割り切れなかった。
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祭り前夜

2016年10月10日 01時25分31秒 | 文芸
いよいよ秋祭りだ。
もう太鼓屋台を担ぐ頭数に入らなくていい
年齢になってしまった。
昔は炊き出しや酒の燗などを担う役回りが
年寄りにはあった。
おにぎりやおでん、煮しめなんかを
乗り子や舁き手、周旋役らの昼飯に用意したのだ。

最近は炊き出しはなくなった。
仕出し料理屋に、昔ながらの献立にオードブルなどを頼む。
日本酒も今やビールに取って代わられた。
しかも祭りといえどアルコールを昔ほど飲まなくなったのだ。
年寄りは数人で事足りる時代になってしまった。
一軒に一人は祭りに顔を出すという原則が崩れ始めている。
出張ってもやることがないのだから仕方がない。

祭りの賑わいも、大きく様変わりしている。
子供時代は、狭い境内に臨時の芝居小屋が建てられた。
いまでいい大衆演劇や浪花節が舞台で披露された。
境内は露店も数軒並び、
賑わいもかなりなものだった。

いまはカラオケの余興だけ。
境内の中央にしつらえた土俵で、
子供奉納相撲が行われる。
そして欠かせないのは抽選会。
各戸に配られた祭りのチラシに番号が添付され、
賑々しく抽選会をやる。
こんなお得感がないと、村の民が神社に集まらない。

知られれば顰蹙を買うのは必定だ。

さあ祭りの本番が刻々と迫っている。
少しだが、期待感でワクワクする。
今回の写真は、
数年前のわが息子を含む
村の青年たちの雄姿(?)である。

祭りの詳細報告と、3トン屋台の全貌は明日に。
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ひと休み

2016年10月09日 00時43分30秒 | 文芸
ずーっと前から続けている断捨離、
懐かしいものがありすぎて、
なかなか進まない。
積み上げたままになっていた書庫の一角から見つけた「ギフトブック」を見つけて開いた。
また読み返してしまった。
一体いつになったら終活の先がみえるだろうか?
目にしたのは、私の公募デビュー作。
つたない文章だが、単純な思考と行動の持ち主だった自分に、思わず笑ってしまった。
30年以上も前の作品です。

「誕生日おめでとう。私が一番好きな絵本、プレゼントします」
 はにかみながらも、おしゃれなリボンのかけられた絵本の包みを差し出す彼女。保母1年生の彼女にとって、絵本は身近なもののひとつなんでしょう。
 付き合い始めて半年、ひとまわり以上の年齢差もあってなかなか進展しない間柄に、悩みジレンマが一段と深まったころのことでした。
 部屋に戻り、仕事の疲れでボヤッとしながら一人、そっと包みを解きました。
 やや大判の絵本、どこか墨絵を想わせる雰囲気の表紙です。黒いウサギが白いウサギにの頭に小さい黄色の花を飾っている絵。ウサギのまん丸い目、なんともいえない可愛さに惹き込まれます。書名ははズバリ!
『しろいうさぎとくろいうさぎ』
 単純明快なお話で、あまりにもスーッと読めてしまう。最初は物足りませんでした。でも二回目になると、ものすごくしあわせな気分になります。三回目にはなにかちょっぴり悲しくなりました。
 このくろいウサギの姿は当時のわたしそのものではありませんか。話し下手で引っ込み思案。相手に思いが募れば募るほど、思いきった意思表示にちゅうちょしてしまうのです。
 でも、絵本がわたしを励ましてくれています。
 うさぎたちのまん丸な赤い目。しあわせになるって本当は大変なんだよ。待ってたって向こうからやってこない。さあ、思い切って自分の心に素直になろう!行動しょう、いますぐに!と呼びかけてくれます。
 くろいウサギがやっと幸福を手にしたように、心の中をいっぱいにしている熱い思いを素直な言葉にして相手に届けるだけでいいのです。
 4回目を読み終えると、胸はジーンと熱く、もうたまらない気持ちになっていました……!
 それからどうしたのかって?
 もちろん彼女にプロポーズ!彼女は待っていてくれたのです、それを。そして結婚へ!
 現在は二人の子どもたちに恵まれ、家族そろってすこぶる元気でハッピーな生活です。優柔不断なわたしに業を煮やした彼女が、「見習いなさい!」と声なき声を秘めた絵本プレゼントは大成功したのです。
 いまでは子どもたちが、あの運命の絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』を読めよめとせがむ年齢になりました。それを傍らでにこやかに眺めている妻。その眼が、あのしろいウサギの愛くるしい、まん丸で すき通った目に見えてくるのは、私の思い過ごしなのでしょうか?
(昭和62年11月ギフトブック掲載文)

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サバ寿司

2016年10月08日 01時19分03秒 | 文芸
イオンに出かけて食品売り場を見て回る。
ウオーキングを兼ねた習慣になっている。

今日は金曜日、あまり安いものはない。
それに時間もまだ午前中とあって、値引き商品はほとんどない。

鮮魚売り場でエンドに陳列されているのは塩サバ。
丸々としている。
POPに<播州秋祭りの鯖寿司にどうぞ>とある。
そう、わが播磨の秋祭りには欠かせないごちそうの定番が
<サバ寿司>だ。

一本一本がパックされた塩サバを見ていると、
記憶がよみがえる。

秋祭りになる直前は、母ががぜん張り切っていた。
サバをさばいて骨抜きし、血などをきれいに洗いとる。。
たっぷりの塩をすり込んで塩で覆う。
そして、今度は酢で〆める。最後に薄皮をはいでネタは完成だ。
頭と尻尾はつけたままの腹割してある。
なんと仕込みに半日以上かかる。
家族や親せきを勘定に入れた大量のサバ。

すし飯をたっぷり握ったのに酢〆めのサバを乗っける。
それを木型の押し寿司器に積みいれて重しをおいておく。

秋まつり本番の日。
食卓にはドカッとサバの姿ずしが山盛り。
その隣にははちきれんばかりに具材たっぷりの巻きずしが、
これまた山盛りだ。
「やったー!」って満足しきった笑顔の母。
真っ白い割烹着が目に鮮やかだった……!

実は頭が付いたサバの姿寿司は、今では大の苦手だ。
上品に切りそろえたものがいい。
〆サバは好きだが、やはり頭はいらない。

11日だと思っていたが、今年は10日が秋祭り。
さて、我が家では最近鯖の姿寿司は作らない予定だ。
子供があまり食べないし、
夫婦二人じゃ食べる量が知れている。
仮に食べたいなあと思ったら、イオンで出来合いを買ってこよう。

もう秋祭りの伝統も、今は昔状態になりつつある。

ふっと我に返った。
目の前の塩サバが次々と売れている。
思わず手が伸びた。
一匹、買っておくか。祭りだもんなあ。(笑い)
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指輪

2016年10月07日 00時57分49秒 | 日記
今日は妻の休日。
居間でうたた寝中だ。
起こすまいと動きも慎重になる。
咳払いすらグッと抑える。

スーパーでサービスチーフの彼女、
毎日てんてこまいしている。
13若い妻は、いまが一番充実しているようだ。
夫のわたしは老いぼれつつあるというのに。

スーパーで最近の若いアルバイトの無責任な行動に、
翻弄されて、休日でも店舗に駆けつけたりと大変だ。
家でシフトを組んだり、指導プランを立てたり、
疲れをためっぱなしなのだ。

そんな彼女と結婚したのは、
彼女が20歳になったばかりの時。
事情(?)が出来て急ぎの結婚式へ突っ走った。
喫茶店を始めたばかりで、
懐事情はカツカツだったが、
そんなことは言ってられない。

「これ結婚指輪や」

 渡した指輪はいわくがあった。
六年前、別の女性と結婚直前の解消で、手元に残された指輪だった。

 彼女はその事情をよく知っていた。
それに、当時の私が新たな指輪を購入できない経済事情も。
そのうえで、彼女は許して受け取ってくれた。

 結婚式はちいさくて古ぼけた神社。
新婚旅行はシーズンオフの京都往復で形だけ。
そして彼女はあの指輪を大事にはめ続けてくれた。

 結婚十年目。彼女の誕生日に二人で貴金属店へ。
妻の胸には三人目の赤ちゃんが眠っていた。
上の二人はお留守番である。

「気に入ったものを選びなよ」
「うん。でもいいの」
「大丈夫や。一緒に頑張ったからな」

 彼女が選んだのはシンプルなダイヤのエンゲージリング。
十五万円だった。
彼女らしい控えめな選択が頬笑ましかった。

「頑張ったご褒美やから、もっと高いの……」

「いいの。子供やあなたと一緒にいられるだけで」

 涙を呼ぶ妻の言葉を聞き、仮の結婚指輪はついに役目を終えた。

あの指輪は、その後どうなったのか?
妻に尋ねたことはないから、まるで見当がつかない。

すやすやと寝入る妻をぼんやりと眺めていると、
彼女の若さとたくましさが、
頼りない私を、
この日まで引っ張り続けてくれたんだなあと
とりとめもなく考えてしまった。

あ?おのろけと勘違いされてしまうかな。(苦笑)

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祭り太鼓

2016年10月06日 01時28分38秒 | 日記
夕方7時。まだ家族は帰ってこない。
ひとりで食事を始めた。
今夜は、おでんを作った。
セブンイレブン風だしレシピをネットでピックアップ。
関西風より上品な味だ。
まして姫路おでんは生姜醤油がいる。
ネタはジャガイモ・サツマイモ、蒟蒻、練り物3種と安くあげる。

食べていると、窓越しに「ドンドン」と太鼓の音が聞こえてくる。
(もう始まったか)とひとりごちる。
いよいよ秋まつりだ。
この11日に向けて、準備がスタートしたのだ。
乗り子の太鼓うちの稽古は1週間。太鼓庫で行われる。
村中に響き渡り、祭り情緒を高める役目を担ってくれる。

私が子供の頃は、ほぼ2週間ぐらい稽古があったっけ。
しかも、太鼓庫ではなく、乗り子の家を順繰りに稽古場にするのだ。
かなりでかい太鼓を青年たちが毎日運んで回った。
稽古が終わると、甘いおやつが配られた。

現在の乗り子は少子化の影響をもろに食らって少ないので、
1年生になるとお呼びがかかる。
私の時代は、子供の数が多く、
4年生になるまで太鼓に乗れなかった。
一つ違いの兄がいたせいで、私が乗り子になれたのは6年生の時。
各家庭から一人が不文律だったのだ。
それでも嬉しかった。やっと一人前に認められた気がしたものだ。

当時の秋まつりは宵宮と本宮の2日間。
最近は休日(体育の日)1日となっているが、
あの頃は学校が休みになった。
祭りの日が決まっていたので、
平日の場合もあったからだ。
太鼓の乗り子になるより休みになることのほうが
嬉しかったと思う。

さあ、11日の秋まつり本番まで続く、太鼓の練習。
最近は鈍化の一途であるワクワク感を、
子供らの打つ太鼓を刺激剤に高めてみましょうか。
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懲りました

2016年10月05日 00時34分17秒 | 日記
芸能人の結婚披露宴の
ニュースをやっている。
司会は有名なアナウンサー。
さすがプロ、そつがない。
そういえば、
わたしも友人の結婚披露宴の司会をしたことがある。
人見知りで人前でしゃべるのが苦手だと
相手が知っていれば
まず頼まれることはなかったろうが、
当時の私は、
アマチュア劇団の舞台で役者のまねごとをやっていた。
それを見知っていた友人に頼まれたのが最初の司会。
ひやひやものながら、何とか務め上げると、
次の友人が頼んできた。
その友人、実は普通の仕事ではなかった。

「結婚披露宴の司会を
やって貰いたいんや」

高校時代のクラスメートの彼。
警察官で、
お父さんも警察官だったが殉職。
弟と妹も警察官の警察一家。

わたしはレストランのコック。
どう考えても釣り合わない。
第一、
高校を卒業後の付き合いは年数回、
それも同窓会でだけ。
個人的に頼まれるほどの間柄ではない。
それがどうして?


実は彼と共通の友人の結婚式の司会を
引き受けたことがある。
その司会ぶりを見て、
結婚する時は
絶対わたしに頼むと考えたらしい。

彼の懇願に、
ついに断れなくなった。

ところが、
警察官の結婚式は想像を絶した。
仲人の警察署長と面談、
警察官にふさわしい司会進行プランを練り、また署長と面談の繰り返し。

気が抜けず
緊張は積み重なった。

 
披露宴の客は警察官が目立った。
その独特の雰囲気に、
負けてたまるかと懸命に司会した。
終わった瞬間、
ガクッと力が抜けた。


「ええ司会でしたなあ。
ご苦労様でした」

署長の言葉に、
(終わった!)と
つい涙をこぼしてしまった。

それに懲りて、
もう二度と司会は引き受けなかった。

それにしても、
今となれば、
普通では味わえない
貴重な体験だったのだ
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運動会

2016年10月04日 00時23分22秒 | 日記
校区の小学校から
運動会の案内が届いた。
私も息子や娘らも通った母校だ。
「運動会か……?」
チラシのプログラムに目を走らせる。
準備体操……学級リレー……騎馬戦……!
もう子供らのすがたはないけれど、
ちょっと行ってみるかな。
もう運動会を毛嫌いはしない。
息子のおかげで、
わたしも成長したのだ。

60数年も前になるんだよな。
運動場で遊ぶより
図書室にこもっている小学生だった。
体育は大の苦手。
だから運動会は
大げさではなく
地獄の苦しみだった。
そんな私が
運動会を天国に思える日が
やって来た。

 
息子の運動会である。
親と違い
外で遊びまわるほうが好きなタイプ。
キャッチボールの相手をしても
ボールを受けられずに
オロオロするのは父親。
それでも、
息子が学校でも
運動を得意にしていたとは
考えもしなかった。

「集合!前へならえ!」

 目を疑った。
運動会の準備体操で
グラウンドに整列した
全校生の前の朝礼台。
立って笛を吹いているのは
紛れもなく息子だった。

 父親には別世界
そのものだった朝礼台で、
準備体操をリードするのは
わが息子。
その姿は輝き眩しい。
すぐぼやけた。
「イチ、ニー、サン、シー……!」
声だけが耳に心地よく響く。
嬉し過ぎ目が潤んで、よく見えない。

 騎馬戦の大将、
リレーのアンカー……、
息子の活躍に
人生初めて
運動会が好きになった。

あの日は
もう二度と戻らない。
最近は息子らも
めったに家に戻ってこないのが
現実である。
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台風

2016年10月03日 01時23分05秒 | 日記
台風18号が沖縄に接近中だという。
また大きな被害が出ないことを祈りたい。

わたしの住む田舎町は、台風の被害が少ない。
地震も何十年か前の山崎断層による地震ぐらいしか記憶にない。
近くまで迫っていても不思議にそれていく地域だ。
そんな環境下だと、危機意識はなかなか育たない。
いつかくるであろう大災害の折が心配である。

ところで、70年近く生きていると、
それなりの災害を体験をしている。
山崎断層の地震も、
当時やっていた姫路の喫茶店で、
カップやグラスが落下して砕け散った中
で立ち尽くしたものだ。

古くは、小学生のころ、台風の時の記憶が鮮明にある。
増水した川の急流に級友が流されたのである。
台風で学校を早期下校した直後だった。
吹き荒れる風雨の中、捜索も手の付けようがなく、
2日後に400メートルほど下流で発見されるまで、
彼は台風が収まった学校に
姿を見せると能天気に思っていた。

2メートルも幅のない小さな川に彼の命は奪われた。
物心ついてからこっち、
人の死に遭遇したことのないわたしには驚天動地の出来事だった。
以来、台風や地震はマジ怖くて仕方がない。
「おとうさん、臆病だね」
子供らに何度も言われるほどだ。

まだ天災の恐怖の直撃にあったことのない子供らが、
この先起こりうるといわれる南海トラフなど、
絶体絶命を前にして、
果たしてしぶとく生き延びてくれだろうかと、
危惧している。
命を取られないまでの災害を
体験しておくべきかもしれない。
自分を守る意識とすべを得るためにも。
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お米

2016年10月02日 03時28分54秒 | 文芸
「保有米、どうしはります?」
自家保有米の注文を取りに、
営農組合の青年がやってきた。

コメ作りを休止して3年目。
田圃を委託した営農組合から保有米を買っている。
とはいえ、1年目に30キロ袋5袋を購入したら、
3年目の今も自宅の保冷庫にまだ2袋残っている。
古古米になってしまった。
玄米だから、
そのたびに精米機にかけて炊飯する。
古古米といえど、それなりに美味な米だ。

「今年はええわ」
そう、残っているコメで十分足りる計算だ。
ただいま夫婦と娘の三人家族。
毎日1カップのコメで事足りている。

息子らが家にいたころは5カップ炊いても
追加で炊飯することがしょっちゅうだった。

コメの消費は嘘みたいに減ったのだ。

妻も私も年齢と健康を頭に、
コメを食べるのを控えめにしている。
娘は当然少食だ。

おかずはそれなりの量を作っても、
ご飯は敬遠気味が現実だ。

コメの消費量は全国的に見ても減る一方だが、
我が家の状態から見て、
さもありなんである。

自家米に保有米、
自分や営農が作ったコメは素性がわかるし
安心して食べられる。
それにうまい!
ごはんだけでおかずがいらないほどだ。

古古米のいまですら、うまさはそう変わらない。
炊飯の折に少し水加減を塩梅よくすれば、
炊きあがりは新米とそん色はない。
だのに、コメの出番はますます減るばかり。
血糖値やメタボ……やむを得ないのだが。

日本の農業の行く末が我が家の食事情からも推し量れる。
瑞穂の国、日本はどうなるのだろうか。
余計な心配をしてしまう昨今である。
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