

そのレジメに、「考えることが出来る要約筆記が必要」とレジメに記しておいた。
「その場で分かる要約筆記」と言い方をしたがもう少し踏み込んだ説明はしなかった。
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以上は2007年8月13日に記したままになっていた。
説明を続けたい。
難聴者も要約筆記者も要約筆記はコミュニケーション支援技術の一つと理解しているだろう。
要約筆記は話の言葉をそのまま文字に変える以上の「支援」が受けられる。
要約筆記を見ながら、相槌を打ったり、そういうことか、それはそうだがこういう場合だってある、それは違うねなどと考えている自分がいる。
ノートに板書も書き写しながら、資料に自分のメモも書ける。
要約筆記に書かれた文字を見て、講師の顔や口を見て理解することが出来る。
こうした経験をした難聴者は多分多くない。
要約筆記者は話者の話の内容を聞き、何を一番伝えたいという「メッセージ」を理解し、要約筆記を見ている難聴者にどういう言葉で伝えられるかを考えて、文章化している。
要約筆記者は話し手の過去の文筆や話を書き起こしたものやインターネットなどで事前に学習をしてくる。
学習出来ないのは、難聴者が何を知りたいか、何を知っているかということだ。
これがわかっていれば要約筆記者は聞こえたことを全部書く必要がなく、書き伝える内容を絞ることが出来る。逆に書かねばならないことに厚みが出る。
○会議に参加している場合は会議の目的、自分の立場、過去の議論、予想される発言者と内容、自分の話したい内容を要約筆記者に説明する。
○講義や講演に参加している場合は、講師や講演内容について、学習しておく。
講師の話す内容、方向がわかっていれば要約筆記は自分の思考を自由に飛ばせる。
誤解を恐れずに言えば、積極的に関わらなくては、要約筆記は使えない。関われば大いに使える。
「書いてもらう」から「書かせる」への転換だ。
ラビット 記