その昔、ルアー(フライ)フィッシングが今ほどポピュラーでなかった時代には、当然のことながらインターネットなどある訳がなく、情報元といえばまだ数少なかった雑誌(当時はフィッシングと隔月刊のアングリング程度)と、その道のパイオニアの方々とのクラブを通じた交流等に限られていました。
当時、私もJLAAの九州北支部に所属しており、ルアー釣り業界で有名なY・T氏も同じ支部に所属していました。
やがて、九州各地のエリアでも様々なターゲットが開拓されるようになり、鹿児島の池田湖でモンスター級のトラウトが釣れることが話題になると、私たちも当然のように池田湖通いに明け暮れていました。
その結果、ミノーイングで1986年3月にブラウントラウトの76cm、1987年1月には77cmのブラウンを釣り上げることができ、当時のアングリングに掲載されましたが、同誌に本栖湖で釣れた82cmのブラウンが掲載され、上には上がいるもんだと感心したのを覚えています。
77cmのブラウンは剥製となり、今でも我家の玄関でにらみを利かせています。
大きな魚を釣ると、その魚は思い出となり、何度も何度も繰り返し思い返し心の中を泳ぐため「ライフフィッシュ」と呼ばれると聞いたことがあります。
残りの人生の中でも「ライフフィッシュ」と呼べるような魚と出会いたいと思う今日このごろです。
当時、私もJLAAの九州北支部に所属しており、ルアー釣り業界で有名なY・T氏も同じ支部に所属していました。
やがて、九州各地のエリアでも様々なターゲットが開拓されるようになり、鹿児島の池田湖でモンスター級のトラウトが釣れることが話題になると、私たちも当然のように池田湖通いに明け暮れていました。
その結果、ミノーイングで1986年3月にブラウントラウトの76cm、1987年1月には77cmのブラウンを釣り上げることができ、当時のアングリングに掲載されましたが、同誌に本栖湖で釣れた82cmのブラウンが掲載され、上には上がいるもんだと感心したのを覚えています。
77cmのブラウンは剥製となり、今でも我家の玄関でにらみを利かせています。
大きな魚を釣ると、その魚は思い出となり、何度も何度も繰り返し思い返し心の中を泳ぐため「ライフフィッシュ」と呼ばれると聞いたことがあります。
残りの人生の中でも「ライフフィッシュ」と呼べるような魚と出会いたいと思う今日このごろです。