あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

西と東の交わり 1

2013-05-12 | 
僕がニュージーランドで一番好きな場所は南島の西海岸である。
初めてここを訪れたのは91年だから、もう20年も前になるか。
当時つきあっていたガールフレンドとロードトリップをした。
当時は国道がまだ全部舗装されていなくて、調子に乗って飛ばしていると突然砂利道になっってびびった思い出がある。
20年前の西海岸は今よりはるかに辺鄙で人や通る車も少なく、すれ違う車全てに指で挨拶をする、そんな場所だった。
西海岸の虜になったのは娘が生まれる前、友達のJCとホワイトベイト取りまくり山歩きしまくりというトリップをしてからだ。
自分が知っていたと思っていたこの国のことを実は何も知らなかった、という事に気が付いた。
まあこの国の自然にやっつけられてしまったわけで、そこからはひたすらこの国の自然の奥の深さへの旅である。
トレッキングガイドを始めてからも何かしら理由をつけ毎年のように訪れた。もちろん仕事でも何回も来ている。
今回は仕事のインスペクション・トリップ、12月にハイキングのツアーがあるのでそのコースの下見である。
「ちょっと西海岸へ仕事の下見へ」と称すれば「そう、ガイドさんも大変ねえ」とか「えらいなあ、ちゃんとそうやって下見をして」と人々は誉めてくれる。
たとえ気持ちの半分以上は遊びで、ウキウキワクワクしながら出かけたとしてもだ。下見は偉大である。
行く先はフランツジョセフ氷河。友達のタイの所に泊まりこんで、その辺りの山をほっつき歩く。
庭から大根、シルバービート、ズッキーニ、ネギ、そして卵をどっさりお土産にして雨のクライストチャーチを後にした。

国道73号線を西へ。アーサーズパスを抜ける頃には青空も見えてきた。予報どおりである。
峠を下っていくと植生も変わる。それまでは見られなかったパンガ(背の高いシダ)そしてリムが出てくる。
僕がこの国で一番好きなのがリムの木である。
固い木で古くから建築の材木としても使われてきたが乱伐がたたり数が減って今では伐採は禁止である。
だがブラックマーケットで高値で取引される為、密猟ならぬ密伐の話も聞く。
木の質は良く、建築廃材を加工しなおして家具なども作る。
西海岸を車で走ると牧場の中にポツリポツリとリムそしてカヒカテアといったポトカーフ(NZ固有の針葉樹)の木が立っているのが見える。
僕はこの景色も好きだ。
そんなドライブを数時間、夕方に目的地へ着くとタイが出迎えてくれた。
タイとの出会いは9年前になるか。
僕の所にヤツが弟子入りを申し込んできたのだが、当時の僕は自分のことで一杯一杯で弟子どころの騒ぎではなく、友達のJCにヤツを押し付けたのだ。
今やその弟子志望の男は立派な氷河ガイドとなり、山の技術や経験では僕より数段上へ行ってしまった。
そしていつかは西海岸でリムの森に住むという僕の夢をいとも簡単に実践してしまい、僕が羨ましいと思う数少ない人間の一人である。
以前はヤツから事あるごとにいろいろと相談を受けたが、その度に僕が言う言葉はただ一つ、「どんどん、やりなさい」だけである。
山の技術では僕より数段上だが、どちらが偉いというものではないので今では信頼できる良き友としてつき合っている。
心の奥で繋がっている人は性別とか年齢とか社会的地位は関係ない。
自分も相手もワンネスの中のものとしてつきあえるので楽なのだ。
久しぶりの再会に話は弾む。
ヤツは最近、ハンティングを始めたようで、その晩はヤツが撃ったシャモアをご馳走してくれた。
シャモアは分類上はヤギの仲間で、山に住む50kgぐらいの大きさの動物である。英語の読みはシャミー。
これのたたきをわさび醤油で食らう。
山に住むヤギの肉と聞けば臭いというイメージが湧くが、ところがどっこいこのシャモア、くせはなく肉は美味である。
その晩は我が家の野菜の味噌汁、そして僕が作ったシメサバ、サザンアルプスのシャモアのたたき、オアマルのブルーチーズ、ワインはピノグリからピノノアールへというニュージーランド美味い所取りの晩飯となった。



「タイよ、この肉は全くくせが無いじゃないか。美味いなあ」
「いけるでしょ?この肉のサラミも頼んで作ってもらってるんですよ。ハンターでもいろいろあって、トロフィーと言って撃った動物の頭だけ取って肉は取らない人もいるんです。」
「うーん、まあ色々いるだろうな。色々いていいんだろうけど、そういうトロフィーを狙う人は友達にはなれないな」
「全くです。俺は頭とか興味なくて肉しか持ってこないんですけどね。でもね撃った後の肉の処理とか大変なんですよ。毛を取ったり、ばらしたり」
「そうだろうなあ」
「スーパーで肉のパックとか買ったほうがはるかに楽ですからね」
「そりゃそうだ。卵にしても野菜にしても買うほうが楽だしな。よく人に言われるんだけど『そうやって自分でやってればお金がかからないでしょ』ってね。こういう食べ物をお金という物差しでしか見られない人のなんと多いことか」
「分かります。分かります」
タイの家では野菜も育てているし、以前はニワトリも飼っていた。魚も取るしウナギを捕まえて我が家の七輪で蒲焼をしたこともあった。
自給自足という方向に向かっている人との話は尽きない。
そうしているうちにタイのパートナーのキミが帰ってきた。
彼女は用事でグレイマウスへ行っていたそうな。
彼女がグレイマウスの魚屋で買ってきた物をみてびっくり。
カツオである。
「おおお、カツオじゃないか。昔、スーパーで並んでいるのを見てな、『この国でもカツオが取れるんだ』って思ったんだよ。それ以来二度と見なかったんだけどなあ」
キミが言う。「けっこう大きいし、買おうかどうしようか迷ったんだけど買ってきちゃった」
「でかした。キミ。よくやった」
「じゃあ明日はカツオの刺身ですね」
「いいねえ~」
ご馳走をつまみながら西海岸の夜はふけていくのであった。




続く
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旅の宿

2012-02-16 | 
♪浴衣の君は すすきのかんざし 熱燗とっくりの首つまんで
「もう一杯いかが」なんて 妙に色っぽいね

僕は僕であぐらをかいて 君の頬と耳は真っ赤赤
ああ風流だなんて 一つ俳句でもひねって

部屋の明かりをすっかり消して 風呂上りの髪 いい香り
上弦の月だったけ 久しぶりだね 月見るなんて

僕はすっかり酔っ払って 君のひざまくらにうっとり
もう飲みすぎちまって 君を抱く気にもなれないみたい


吉田拓郎の『旅の宿』はいかにも、というぐらい日本の情緒にあふれている。
昭和だなあ。
ニュージーランドの旅の宿は、ドライであっけらかんと明るく、そしてさわやかである。
今シーズンはテカポに泊まることが多い。
会社が用意してくれるロッジは、街の中心から徒歩5分。
国道から離れていて車の音も気にならない静かな環境の中にあり、ボクはこのロッジをえらく気に入っている。
レイクビューではないが、湖を見たければ5分歩けば見れるし、反対側に5分歩けば氷河を載せた南アルプスも見れる。
早朝、散歩して黄金色の朝日に輝く山を見るのもお気に入りである。
ロッジはいくつもの棟から成り、敷地の真ん中は受付とキッチン、リビング等の共有スペースがある。
寝室のある棟の軒にはちょっとしたテラスになっており、ソファーが置かれ日当たりが良い。
このソファーに座りビールを飲みながら僕はギターを弾く。
ボクの居場所である。



敷地の片隅には良く手入れされた菜園があり、味噌汁用の菜っ葉とかネギなどはここからいただく。
人様が大切に育てている野菜を根こそぎ取るわけではない。
その植物が育つのに支障をきたさないぐらい、自分が必要な分だけいただく。
ボクも野菜を育てているので、どれぐらいまでOKか分かる。
また敷地の端にはニワトリ小屋もあり何匹かのニワトリがいる。
菜園にニワトリ小屋、ボクのクライストチャーチの家と一緒だ。
まるで自分の家にいるように僕はくつろぐ。
テラスでギターを弾いてマオリの唄なぞ歌っていると、スタッフの女の子が働いているのが見える。
彼女の後ろ姿からボクの唄を喜んで聴いてくれているのが分かる。
あんのじょう、彼女が通る時に言った。
「いい歌だわ、そのまま弾き続けて」
幸せな瞬間だ。



ある時、ロッジのオーナーと話をした。
彼は昔はこの辺りで飛行機のパイロットとかバスのドライバーをしていたと言う。
マウントクックラインというクライストチャーチからクィーンズタウンにかけてのトランスポートをやっていた会社が昔あった。
スキー場もその会社が経営していて、ボクはそこで働いていた。
オーナーのマイケルもその会社で働いており、古き善き時代を知る者同士、僕たちは昔話に花を咲かせた。
マイケルは働き者でいつも庭の手入れをしている。
オーナーの人徳なのであろう。ロッジは清潔で居心地が良い。
別の言い方をすれば空間が持つエネルギーが高い。
マイケルの愛がにじみでているのだ。
「この菜園は良く手入れされているね」
「ああ、ここの野菜も取っていっていいぞ」
「いや、実はネギとかすでにもらっているんだけど」
「おお、そうか。人参なんかも良く育っているから料理に使ってくれ」
ここでもまた、ありがたやなのである。



ロッジに来る人は国際色豊かでいろいろな人種の人が集まる。
こういう旅人とのふれあいもまた楽しい。
前回泊まった時には若いイタリア人の男とアメリカからの熟年夫婦という組み合わせでボクが唄を歌った。途中から横のテーブルにいたシンガポール人のカップルもそこに加わった。
アメリカ人の夫婦は音楽家族で子供達もミュージシャンだと言う。
マオリの定番ソングを歌うと奥さんがアドリブでコーラスで合わせてきた。
こういうセッションは大好きだ。
唄が終わった後、旦那が聞いた。
「この曲はなんていうタイトルだい?CDを探してみようと思うんだ」
「これはポカレカレアナ、マオリのラブソングだよ」
「ポゥクアネ・・何だって?」
「ポカレカレアナ」
「ポゥクワレカレウワラ」
「違う。ポカレカレアナ」
「ポゥクァレカレワーナ」
「ポカレカレアナ」
「ポークヮレクヮレアナ」
「もういい、紙に書いてあげる」
スペイン語でもそうだがアメリカ人というものはマオリ語も絶望的にヘタクソだ。
その後何曲かマオリの唄を歌うと奥さんが言った。
「あなた、どこかお店で歌っているの?」
「いいや。特にそういうのはやっていない」
「なんで、やらないの!バーとかで歌えばいいお金になるじゃないの。」
「そうかもしれないけど、やらない」
「もったいないわね。私の甥っ子はバーで唄を歌って一晩で何百ドルも稼ぐわよ。あなたもそうすればいいのに」
「やらないったらやらない。いいかね、将来的にそういうことになるかもしれないし、ならないかもしれない。だけど今のボクにはこの瞬間にこの場であんた達のために歌うことのほうが大切なんだよ」
その場にいた全員が頷いた。
ちょっとかっこつけすぎたかな。まあよかろう。



ある日一人でギターを弾いてるとスイス人の青年がやってきた。
「あの、ちょっとギターを弾いてもいいかな?」
ボクが手を止めビールを飲む時に、青年がおずおずと聞いた。
「おお、どうぞどうぞ。なんでもやってくれ」
青年は最初ポロポロ、そしてなじんでくるとリズムに乗ってコードでひき始めた。
「おお、いいな。その曲のキーはなんだい?」
「キー?分からない。耳で聞いて拾ったから。」
「おお、そうか。じゃちょっくら待ってろよ」
ボクは部屋に戻りハーモニカがいくつか入ってる小道具袋を持ってきた。
「そのまま続けて、続けて」
ボクは袋からDハープを取り出し吹いてみた。
ビンゴ。音がぴったり合った。
ボクはそのまま青年のギターに合わせ1フレーズ吹いてみた。
青年がびっくりして手を止めた。
「この元の曲を知っているのかい?」
「いいや、知らない。知らないけど、いいじゃん」
そして僕らはそのままセッションに入った。
コード進行はあまり複雑ではないので、初めて聞く局でも適当に合わせられる。
普段はギターを弾きながらなのでハーモニカに全て集中できないが、ギターを弾いてくれる人がいると手を使って色々な音が出せる。
しかも普段使っていないDハープの音は新鮮だ。
多分同じ曲は二度と出来ないだろうが、それがアドリブの良さでもある。
エンディングもアイコンタクトでばっちり決まった。
そこに人はいないが、空が、風が、木々が観客となってくれた。
JCとはもう何年も一緒にやっていないが、そろそろヤツとセッションをしたくなった。



庭でぼんやりニワトリ小屋を眺めていて気が付いた。
ここのニワトリ小屋は金網できっちりと囲んであり、地面の際には鉄板もいれてある。
クライストチャーチの我が家では、柵で囲ってあるだけだ。
ここにはストートがいるのか。
マイケルにそれを聞くとフェレットというイタチがいると言う。
ニワトリ小屋の入り口にレンガが敷いてあるのだが、それを子供がはがしたらその晩に3羽食い殺されたそうだ。
そのままニワトリ小屋の中も見せてもらった。
産みたての卵が5つあった。
「6羽のうち5羽が卵を産む。どのニワトリが産まないか分からないんだよ」
「クライストチャーチの家では4羽のうち3羽が産むよ。産まない鳥には『食糧危機が来たらオマエから食うぞ』と言い聞かせてある」
「どれ、今日はちょっと外に出してあげようかな」
マイケルはニワトリ小屋のドアを開けて鳥達を外に出した。
鶏はコンポストの囲いに行き中の虫をついばむ。
ここの鶏も幸せそうだ。
人間が品種改良によって生んだ現代の飛べない鳥は、人間が手厚く守ってあげなければすぐに食い殺されてしまう。
歴史に『もし』は無い。
無いことを知っていて言うのだが、もし、人間がこの国に捕食動物を持ち込まなかったら。
ここは今以上の楽園だったに違いない。
そしてそれを知りつつ、今ある環境で楽園を作っているマイケルの愛があふれるこのロッジ。
ここをぼくはテカポの我が家と呼ぶ。


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フォークス日記 11

2011-07-14 | 
トンネルトラックの感動の余韻に浸ったまま町へ戻る。
町はボクの想いなぞ知らんというぐらいに、普通のたたずまいだった。
車に戻り帰り支度をする。
時計の針は4時を回っている。
NZの夏の日は長く、太陽に付き合って遊んでいるとついつい遅くなってしまう。危険だ。
明日はルートバーンの1日ハイキングが入っている。いつまでも遊んでもいられない。
ここから5時間のドライブが待っている。まあ暗くなるころには着くだろう。
タイとマー君に短い別れを告げる。
男の別れはさっぱりしたものだ。
たとえ遠くに住んでいようと、お互いにやるべきことを分かっていれば多くの言葉は必要ない。
体は離れていても、僕らは心の奥深くで繋がっている。

フランツジョセフから峠を越えてフォックスの町まで30分ほど。
ここで念のため給油をしておこう。
この先数百キロ、ワナカまでは町らしい町はない。
給油を済ませ車へ戻ろうとしたら美女に声をかけられた。
仕事を終えたキミがガソリンスタンドへ来ていたのだ。
「やあやあ、キミ。やっぱり会えたね」
「こんにちは。ちょうどひっぢさんの事を考えていたんですよ」
「俺もね、もう一回お礼を言いたいなと思っていたんだよ。やっぱり会うべく人には会えるようになっているんだな」
「今日は今まで遊んでいたんですか?」
「ああ、朝オカリトに行って、昼からはトンネルトラック。いやあ良かったよ。またこの国にやっつけられちゃったね」
「それはよかったですね。今からクィーンズタウンですか、気をつけてドライブしてくださいね」
「うん。今回はいろいろありがとう。またどこかで会おう。それまで、アディオス」
最近はこういう出会いにも驚かなくなった。お互いに良い状態でいるとこういう出会いは頻繁に起こる。シンクロニシティーというやつだ。
出会いに驚かないが嬉しいものである。
人との繋がりは大切なものだし、自分も相手も良い状態でいる証でもある。
素直に喜ぶべきことだ。

車を南に走らせる。
クィーンズタウンまで5時間ほどかかるが、僕はこのドライブは嫌いではない。
車の交通量は少なく、変化に富んだ道は飽きることがない。
同じ距離を走るにしてもずーっと牧場の中だったりすると単調で飽きる。
この道は海岸線あり、原生林あり、峠あり、氷河あり、氷河の侵食でできた湖あり、盛りだくさんだ。
フォックスからハーストまではポトカーフの原生林の中を走る。
ある場所では樹齢数百年の大木が道路ギリギリまで立っている。
路肩の反射板も木に直接つけられている。
ここを走るときはいつも窓を全開。森の空気を感じながら走るのは気持ち良い。
ハーストから川沿いに内陸に入っていく。
リムの木は徐々に数を減らし、見慣れたブナの森へ変わっていく。
この変化もボクは好きだ。
車を走らせながら、道端に立つリムたちに向かってつぶやく。
「リムたちよ、今回も又やっつけられちゃいました。ありがとな。又来るからね」
今回の旅日記のしめくくりはこんな感じかな、などと思いながら車を快調に飛ばす。
だがそこは西海岸。
簡単には旅を終わらせてくれない。



ハーストからしばらく走ると、峠に差し掛かる所で車が道の真ん中で止まっていた。
国道は100km制限、日本でいえば高速道路だ。
その国道で車が道の真ん中に止まるということは、何かがある。
車を止めて降りてみると、雨の影響で土砂崩れがあったようだ。
木が何本も倒れ、道路をふさいでいた。
これが原因か。
僕の前には車が2台。ということは崩れてまだそんなに時間も経っていない。そこにいる人はみんな途方にくれている。
ニュージーランドで最もへんぴな場所だ。携帯電話はもちろん使えない。
助けを呼ぶにしても一番近い民家はハースト、そこまで30分ぐらいかかる。反対側も同じで一番近い民家まで30分以上かかる。
そこに行けば斧かチェーンソーはあるだろうが、助けが来るまで最低1時間はかかるだろう。
なんとかならんものか、ボクは倒木をまじまじと眺めた。
アスファルトで舗装してあるところは木の幹が太く折れそうもないが、舗装をはずれた所は枝も細く人間の力でも折れそうだ。
倒木のところは水が流れているのでサンダルに履き替え、枝を掻き分け反対側まで抜けてみた。
倒木が邪魔している場所は10mぐらいか。その間の枝を取り払えば車1台分ぐらいのスペースはできる。
やってみるか。
ボクは枝をボキボキと折り始めた。
周りの人が遠巻きにボクの作業を眺めている。
それもよかろう。最初から他人に期待をしていない。自分一人でもできると思いこれを始めたのだ。
時計を見ながら作業をする。5分、10分。始めは自信もなくダメで元々などと思っていたのだが、時間が経ち道が切り開かれていくに連れ、できるという強い自信に変わっていった。
自信ができると迷いは消える。作業のペースも上がる。
そこに道ができて自分が通れるビジョンがはっきりと見えた。
「私も手伝いましょうか?」
若い男の人が声をかけてきた。
「おお、ありがとう。頼むよ」
こうなると不思議なもので、次から次へと作業に加わる人が増える。
ポケットナイフについてる小さなのこぎりで枝を切る人もでてきた。
見も知らぬ人が集まり、一つの目標に向かい各自ができることをする。
愚痴を言う人は一人もいない。ネガティブな想いを持つ人は、この輪がまぶしすぎて近寄れない。
時にはジョークと笑いが飛び交い、和やかな雰囲気で作業は進む。
誰かに強制されるのではなく、全て自発的な行動だ。やっていて気持ちが良い。
40分ほどで車1台分のスペースができた。
ボクはみんなに言った。
「さあ、もういいだろう。みんなよくやってくれた。ありがとう。ここを通るときは気をつけて通ってくれ」
車に戻り、エンジンをかける。
ボクが最初に通る権利がある。
みんなが見守る中、地面を荒らさないよう、そろそろと通る。
これなら乗用車ならば問題はなかろう。大きな車は通れないが、それは仕方ない。道具もないし全ての人を助けることはできない。
倒木を抜けて、反対側の人にも声をかける。
「手伝ってくれてありがとう。みんな気をつけてな。良い旅を。」



かなりの時間、道がふさがっていたのでボクの前には車はいない。
誰もいない道を快調に飛ばす。
途中で4駆のトラックとすれ違った。
工事車両らしいし、彼らが何かの道具を持っているだろう。
とんだ旅の終わり方だが、これも経験。経験は財産である。この財産は目に見えないが自分を豊かにする。
又一つ、西海岸の思い出が増えた。
次にこの場所を通る時に、今日のことを思い出すだろう。
こうしてボクの西海岸への想いは膨らんでいく。
今年の夏休みが終わった。





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フォークス日記 10

2011-07-06 | 
トンネルの中はひんやりとした空気が流れていた。
足元には絶えず水が流れている。
入り口付近は明るいが、先に進むにつれ光も届かなくなり闇の世界へと変わっていく。
ある程度先へ進み振り返ると明るい光が見えるが、進行方向は漆黒の闇である。
両手を壁につたわらせながらソロソロと進む。
こうなると目を開けていても閉じていてもたいして変わらない。
大丈夫だと聞いていたが、目の前に岩の壁があるのではないか、顔をぶつけるのではないか、という思いが頭をよぎり、時々手を前に出し何も無いことを確認しながら進む。やっぱり心配は自分の心から生まれるものだ。
数分も進むと外の明かりの全く届かない完全な闇にボクは包まれた。
あおしろみどりくろ、とはこの国でボクが見た色の話である。
青は空の青、海の青、湖の青、川の青、氷河の青。
白は雪の白、雲の白、氷の白。
緑は木々の緑、草原の緑、コケの緑、シダの緑。
そして洞窟の闇に色があるとするならば黒である。
黒一色の闇を進むと、目の前にほのかな淡い青白い光の点が現れた。
土ボタルだ。
この虫は蚊の幼虫で洞窟などに住み、明かりを出して他の虫をおびき寄せ食べてしまう。
成虫には口が無く、わずか数日のはかない命だ。
幼虫は小さな糸ミミズのようなもので、洞窟などの天井から2~3cmの糸を何本も垂らし、その間を横糸で移動する。
明るい時に見るとあまりきれいなものではないが、闇の中では青白い光は幻想的でプラネタリウムのようだ。
北島のワイトモや南島のテアナウではこの土ボタルを見るツアーもある。
先に進むにつれ、青白い点は数を増しボクの頭上には宇宙空間のような星空が広がった。

「うわあ、ヤバイ」
自然とそんな言葉が口から出た。
ちなみにボクは普段ヤバイという言葉は使わない。
ヤバイとは本来、危ないという意味があるが、若い世代ではこの言葉を、ものすごくすごいとか、時にはものすごく美味しいという時に使う。
そんな言葉が出てくるほど、この見方はヤバイ。
土ボタルを見たのは初めてではない。だがこんなふうに見たのは初めてだ。
土ボタルの数で言えばテアナウやワイトモのそれははるかに多いし綺麗だ。
だが観光地となってしまった場所ではこの感覚はつかめない。
この場所にはこの場所なりの良さがある。
やっぱり今回もまた、この国にやっつけられてしまった。
とことんこの国は奥が深い。
歩く前の情報が少なかった分、感動も大きい。
ここまで来て、何故タイが明かりを使わないで、しかも一人ずつ間隔を空けて歩かせたか理解できた。
確かにこのトンネルトラックを歩くのには、この歩き方がベストだ。
ガイドというのはその場所のベストな楽しみ方を知っている人間である。
アウトドアガイドのもてなしは、その場その時での最高の楽しみ方を教えることだ。
これは日本の心に通ずるものがある。
和食の真髄とは素材の旨みを最大に引き出すことである。
茶の心とはそこにあるもので最高のものを出してもてなす気持ちだ。
禅の教えの一つである一期一会は、その瞬間の中に全てを見出すことだ。
ニュージーランドの自然という素材の旨さを最高に引き出し、そこに来た人に楽しみというもてなしをする。
それがガイドの腕なのだ。
そしてそれを突き詰めていくと、その人の人間性、価値観、人生哲学へと発展していく。
タイがガイドをしている現場を見たことはない。
だがヤツと話をして、ヤツのブログを読めば、ガイドとしてどうやってお客さんと接しているかは分かる。
タイも良いガイドに育っている。
こういう若き友を持ったことに喜びを感じる。

トンネル内は相変わらずの闇で、見えるものは青白い点だけだ。
体は歩きながらだが、ボクの意識は青白い光の間を飛んでいく。
さながらスターウォーズの小型飛行艇みたいなものに乗って星の間を飛ぶように、青白い光の点の間をカーブを描きながら意識は飛ぶ。
これもまた小宇宙である。
ボクはこの宇宙遊泳を存分に楽しんだ。
先ほどまでの不安はどこかに飛んでいってしまった。
先へ進むのがもったいないような気がして、ゆっくりゆっくりと歩いた。
この瞬間の中に全ての物事はあり、それを感動が包む。
トンネルの奥深くで大きく曲がりやがて外の光が見え始めた。幻想的な土ボタルもいなくなる。
小宇宙へのトリップから現実世界へ戻ってきた。
トンネルを抜けた場所は崖の中腹で特に何かがあるわけではない。
その先にもう一つトンネルがあるがそこは立ち入り禁止。
ヘッドライトをつけてトンネルを歩き、この場所にたどり着いても感じるものはないだろう。
やはりこのトラックの一番の見所はトンネル内のあの小宇宙だ。
「いやあ、タイよ。良い経験をさせてもらった。ありがとな。この歩き方は自分で見つけたのか?」
「いや、これは俺も地元の友達に連れてきてもらったんですよ。その人は満月の夜にここに一人で来るなんて言ってましたよ。でもこれは人によっては恐怖で進めなくなる人もいるでしょうね」
「確かにな。心の奥に影があったらそれがでっかくなっちゃうという人もいるだろうな」
僕らは恐怖に押しつぶされることもなくトンネルトラックを満喫した。
それはやはりガイドと案内される人との信頼関係も関係する。






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フォークス日記 9

2011-06-30 | 
丘を登り切ると高台に出た。
360度というわけではないが見晴らしは良い。
この先にある3マイルラグーンや5マイルラグーンも見えるし、反対側にはオカリトラグーンも見える。
そしてどこまでも続く、ニュージーランドで最も人が少ない海岸線。
普段は氷河を載せた山も見えるのだが今日は雲に隠れてしまっている。
高台にはどうやってこの大地が出来上がったのか、という絵入りのインフォメーションボードがある。
この前歩いた氷河も数万年前にはここまでつながっていた。その後、氷河は後退して今の大地を作り、森が生まれた。地球規模で考えればあっという間の出来事だ。
人間がここにやってきて金を掘り、去っていったのは150年ぐらい前の話か。地球から見れば、ほんの一瞬の出来事にすぎない。
その一瞬の間に人類は栄え、戦い、過ちを犯し、愛し合ってきた。
森は、山は、海は、ただそれを見つめる。



「あれはラタじゃないかな」
タイが言った。
ヤツが指さす方向を見ると赤い花が一輪咲いている。
「おおお、そうだ。今年は全然咲いていないねえ」
「全く。去年はあれだけ咲いたのに」
ラタは赤い花をつける木で普段はこの時期に咲く。
去年はラタの当たり年で、山全体が赤く見えるほど咲いた。
今年は全く花を見ず、今日見たのが初めてだ。
森全体が赤く見えるほど咲くのも紅葉のようでいいが、緑の中にひっそりと一輪咲くのも風情があってよろしい。
花はボクの思惑なぞ知らんよ、というように風に揺れる。
そうしているうちに日は高くなってきた。そろそろ昼時だ。
「ひっぢさん、トンネルトラックは行ったことはありますか?」
タイが聞いた。
「トンネルトラック?どこだ、そりゃ?」
「フランツジョセフの町のそばにあるんですよ。そうか行ったことないのか。じゃあ行かなきゃ。青白緑黒の黒ですよ。もう昼だし町でお昼を食べてから行きませんか?ピザの旨い店もあるんですよ」
「いいねいいね。いやいや、今日はガイドさんにお任せしますよ」



予定が立つと行動は早い。
ボク達は丘を下り、タイの家でテントを撤収、荷物をまとめてフランツジョセフの町へ向かった。
タイのお勧めの店はアメリカ人の観光客であふれていた。
みんなテレビに釘付けになって何かを見ている。
何かと思い見てみるとアメリカンフットボールのスーパーボールをやっていた。
地球の裏側でやっているフットボールの試合も、今や衛星中継でライブでこんな西海岸の田舎町で見られる。
これってグローバルなのか?
ハーフタイムには大物歌手が次から次へ現れ、その周りでは何百という人がマスゲームを繰り広げる。
それを何万人もの観衆がスタジアムで見て、その映像は世界中に流され何百万もの人が見る。
一体このイベントで何人ぐらいの人が働いているのだろう。
こうやって世界は回っている。
ボク個人の感想としては、さすがショービジネスの国、やることが派手だなあ、というぐらいのものだ。
アメフトには興味が無いし、どちらが勝とうが知ったこっちゃない。
だがアメリカ人にとっては、ニュージーランドに旅行に来ていても見たい物らしい。
そんなアメリカ人を横目にボクらはピザを食いビールを飲む。

そしていよいよトンネルトラックである。
町はずれに車を置き30分ほど歩くとトンネルが現れる。
このトンネルは昔、水力発電用に水を流したトンネルで幅1mちょっと高さは人が入って頭をぶつけないぐらいの高さだ。
トンネルに入る前にタイが説明をする。
「僕は万が一用にライトを持っていますが、あえてライトを使わないで行きましょう。中は完全な闇ですが、両手で壁に触りながらソロソロと進んでください。足元は多少のデコボコはありますが心配ありません。できるだけ間隔をあけて一人ずつ行きましょう」
中がどうなっているのか知りたい気持ちはあるが、ここはあえて多くは聞かずガイドのタイを信じてついて行こう。
そうしているうちにオーストラリア人らしい観光客のグループがやってきた。
「あーあ、人が来ちゃった。まあちょっと待ちましょう。」
彼らはトンネルに入っていったが、中の暗さと足元を流れる水の冷たさに耐え切れず数分で出てきた。
仕切りなおしの後、いよいよトンネルに入る。
「いいですか、真っ暗ですがパニックにならないように。充分間隔を空けて入ってください」
そういい残すとヤツはトンネルの奥に姿を消した。
しばらくしてマー君がトンネルに入っていき、僕は一人残された。
心配は要らないと言われても、いざ残されると不安は湧き上がる。
不安、心配は自分の心が作り上げるものだ。
それは消そうと努力するのではなく、不安を持つ自分の心を見つめる。
そうすれば自然に不安は消える。
ボクは心を落ち着かせてトンネルに踏み込んだ。

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フォークス日記 8

2011-05-14 | 
フォークス最終日。
今日はクィーンズタウンへ帰る日だ。いつまでも遊んでいる訳にはいかない。
前日はテントをあきらめ家の中のソファーで寝た。
朝、小降りの雨の中、キミが仕事へ出かけた。
じきにタイも起きてきた。ヤツは今日は休みだ。
朝飯を食べているうちに辺りが明るくなってきた。
これは雨が上がるかもしれないな、などと思っていると本当に止んでしまい青空も見えてきた。
こういう時は即行動に移るべし。
マー君とタイでオカリトツアーだ。今日のガイドはタイである。
オカリトはフォークスから車で10分。海岸沿いにある小さな集落で人口は推定15人。
こんな場所でもゴールドラッシュの時には何千人もの人が住んでいた。
オカリトには潟があり、そこは鳥の聖域でもある。
白鷺を始めとする水鳥達、そしてこの辺りはキウィもいる。道にはキウィ注意の看板があり、記念撮影をする人も多い。
7年ぐらい前か、ここでシーカヤックをやって感動のあまり涙を流したこともあった。この国にやっつけられてしまったのだ。
今日のオカリトツアーは、まずはビーチへ。雨上がりの散歩を楽しむ人がチラホラ。
山に囲まれたクィーンズタウンにいると、突発的に海が見たくなる。
山のエネルギーがあるように、海には海のエネルギーがある。
ボクが山で感じるエネルギーを一言で現すと、絶対的な存在感というものか。
海は全ての生命の源であり、大きな力で包み込んでくれるもの。
氷河が娘ならば、海は母だ。そうなると山は父だな。



次は近くの高台までちょっとしたハイキング。
ここは今まで何回も来ているが、コースのレイアウトが変わったようで、タイも変わってから初めてきたようだ。
フラックスの茂みを抜けると湿地帯にかかる木道が出てきた。これは新しいものだ。
「へえ、こうなったんだねえ。見てよこのS字。センスあるじゃないの」
ボクはタイに言った。
「いやあ、ホント、これは良いセンスだ。氷河での道作りもそうなんですけどね、センスのあるヤツが作ると面白いコースが出来るんですよ。センスの無いヤツが作るとただの移動の為の道になっちゃうんですよね」
この木道も合理性と機能性だけ考えれば直線にした方が作業も楽だ。だがそこに面白みはなくなる。ただの道になってしまう。
そこをあえてこういう風に作ったのはプランした人のセンスというものだ。



「あれ?何だろう?」
前方に何か白い物が動いている。
白鷺だ。
白鷺はマオリの言葉でコトゥク。神聖な神の使いでもある。
ニュージーランドではオカリトに唯一の繁殖コロニーがある。
大きくて優雅な鳥は見栄えも良い。
「いやあ、やるなオカリト。こんなタイミングでこの鳥を見せてくれるなんて。ありがとうありがとう」
しばし鳥に見とれていたがいつまでもそうしているわけにもいかない。
もっと見ていたいなあ、と思いつつ近づくと鳥は飛び立ち、その先S字型の遊歩道の先端に再び止まった。
まるで僕らを待っていてくれるかのように。
こうなればいいなあ、と思うとそうなる。
ボクの心は鳥に対する感謝、天気に対する感謝、そして自然に対する感謝で一杯だ。
再び鳥に近づく。今回は水面に姿を映してくれている。
やるなあオカリト。演出がにくいぜ。
鳥はしばらくそこにいたが「さあ、もういいでしょう」というように飛び立ち、優雅に湿地帯の上を飛び去って行った。
ボクは心の中で何回もありがとうとつぶやいた。



木道が終わると山道になり、ゆっくりと上りになる。
この道はゴールドラッシュ時代に、この奥にある集落まで続いていた道だ。今は人は住んでいないでトレッキングの道だけがある。
タイが言った。
「この奥は3マイルラグーン、それから5マイルラグーンと続いているんですよ。ひっぢさん、行ったことあります?」
「いや、無いんだよ。いつか行きたいなあと思っているんだけどね」
「そうですか。この奥もなかなかいいですよ。どうでしょう?天気も良いですし、この先まで行ってみませんか?」
こういう誘いは危険だ。
ここに住んでいるタイはこんな時にいくらでも遊べるが、ボクはこの後テント撤収そしてクィーンズタウンまで5時間のドライブが待っている。
「行ったら数時間のコースだろ?テントもそのままだし今日は止めとく」
行けば面白いのは分かっているが、後先を考えずに遊んだら痛い思いをするのは自分だ。
それに今日はそこに行くタイミングではないな、という思いがなんとなくした。
なんとなくは直感だ。それに従っていれば間違いはない。
先になにがあるか分からないが、今この瞬間を楽しむのみ。
タスマン海を見ながらボーッとそんなことを考えていた。



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フォークス日記 7

2011-05-09 | 
西海岸の雨は甘くない。
今日は雨音を聞きながら寝よう、などと呑気に構えていたのだが、夜になり雨は強さを増しテント内も浸水した。
さすがのマックパックのテントも西海岸の雨にはかなわないようだ。
テントの中が水浸しになる想い出は南米ペルーでもあった。
20代半ばで南米に放浪の旅に出かけた時、ペルーのインカトレイルを歩いた。
3泊4日、テントに泊まりながらのトレッキングだ。
今では人気コースで入山制限も厳しいようだが、当時はまだ人も少なくマチュピチュへ行く穴場的な存在だった。
その時はボクはまだ晴れ男ではなく、行動中雨が降り続いた。
テント内には数cmの水がたまり、寝袋はびしょびしょ。
楽な山旅ではなかったが、最終日にマチュピチュにたどり着いた時、それまで降っていた雨は止み太陽が差し込んだ。
インカの神様は太陽である。その神様がここ一番という所で味方してくれた。
辛い山旅が全て報われた。あの感動は今も忘れない。

西海岸の雨は夜通し降り続き、朝になっても雨である。
今日は1日雨かな。
テント内から荷物を撤収。寝袋などを干す。
今日はキミもタイも仕事が休みなのだが、この雨ではどこかへ行く気にもなれない。
午前中はダラダラと過ごし、午後はキミにフラックス・ウィービングを教える。
フラックスはニュージーランド原産の植物でこの国ならどこにでもある。
葉っぱは繊維が強く、マオリ族はこの葉を編んで籠やバスケット等を作った。
ボクも数年前にマオリのおばちゃんにやり方を習い、いくつか作った。
家のトイレにあるトイレットペーパー入れも作ったし、形を整えればペン立てにもなる。
何と言ってもどこにでもある素材というのが良い。タイの家の周りにも生えている。
葉っぱを取るのにもルールがある。
真ん中の3本は残し、その外側の葉を取っていく。一番真ん中の短い葉は子供でそれを包むようにお父さんとお母さんの葉なのだそうだ。
葉っぱをある程度の長さにまとめ、編んでいく。
難しい作業ではない。キミにコツを教え、おしゃべりをしながら作業をする。
一度基本を覚えれば、それをもとにして自分で応用できる。
「図書館で本を借りて読んでみたけどなんかピンと来なくて」
キミが言った。
「オレもそうだったんだけど、最初は誰かに教わるのがいいんだよ。そのやり方でいくつか作ってみてから本を読めば理解もできるよ」
マオリの文化は、マオリのおばちゃんからボクへ、ボクからキミへと伝わる。そしてたぶんキミから別の誰かに伝わっていくのだろう。
とてもよろしい。

夕方になり皆で自家製クライミングウォールへ。
皆がやる様子を眺めながらボクはビールを飲む。
こういう自堕落な1日もたまにはよかろう。

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フォークス日記 6

2011-04-30 | 


ふと辺りが明るくなった。
厚かった雲の切れ目から薄日が差し込み氷河の青を照らす。
なんて美しいんだ。
「ほらね晴れたでしょ。笑っちゃうよね。」
いつ雨になってもおかしくない気圧配置で、この晴れ間はボーナスだ。
やはりボクは晴れ男である。行く先々で晴れる。もしくは行動中だけ天気が保つ。
ルートバーンを仕事で歩いていて、雨が降っていてもかろうじてカッパを着ないで歩ける位の雨だったり、歩き終わると同時に雨脚が強くなるなんてのはザラだ。
友達は自称『雨女』なのだそうで、曰く行動中必ず一回は雨が降るそうだ。
こういう人は自分で雨女と言うことで雨を引き寄せてしまう。まあ森にとっては雨はありがたいことなので、こういう人がいると森も嬉しいだろう。
ボクみたいな人ばかりだったら、晴ればかりでコケがカラカラに干からびて森が可哀想だ。



ある場所で人が詰まっていた。何があるんだろう?
人が退くのを待つとその先には氷のトンネル。そこを滑り台のように抜けられる。
なるほどみんなここで写真を取っていたから時間がかかったんだな。
ガイド業はサービス業だ。お客さんが喜ぶ場所で記念写真を撮るのも仕事のうちである。
もちろんボクらも写真を取る。
それにしても氷の形は複雑で同じ物は何一つない。
自然が作り上げる物は人間の想像の範囲を遙かに超える。
その中で人間が入っていける所というのは実にちっぽけなものだ。
その限られた場所の中で、いかに面白いコースを決めるというのがガイドの腕の見せ所だ。
帰ってそのことをタイに話すとヤツは言った。
「そうなんですよね~。ガイドによって道の作り方が違うんです。腕のいいヤツは楽しいコースを造るんだけど、ヘタクソがコースを決めるとただの移動の道になっちゃうんですよ。」
これは氷河ガイドに限らず、山歩きの道もそうだ。
短いショートウォークでも変化に富んだ素晴らしいコースはある。ここは上手く作ったなあ、と感心してしまうような場所もあるし、こんな作り方しかできないのかねえ、とガッカリすることもある。
いいコースの裏には設計した人のセンスが見えるし、さらにその奥には設計者の自然を愛する心が見える。



夕方近くなり1日ツアーの人々もそろそろ帰り始める時間になった。
ぼくらはゆっくり時間を取り、ツアーの人々が去るのを待った。
スキー場の最終パトロールみたいだ。
人気のない氷河の上を生暖かい風が吹き抜ける。
この氷河はどれくらいの時間、生き続けてきたのだろう。
時間と空間は常に同時にある物で、それを切り離して考えることに今の人間の過ちはある。
大きな空間には長い時間が流れ、小さな空間には短い時間がある、とはサダオが言った言葉だ。
なるほどね、上手く言ったものだ。
こういう大きな自然の中に身を置くと、人間の小ささというものについて考えさせられる。
都会にいると、この小ささを人は忘れ自然の大きさを忘れる。
目先の利益に注意が向き、自然の中で住まわせて貰う喜びや畏敬の念をも失ってしまう。
そして自然はある時、人間の予想を越える動きを見せ、人間の生活にダメージを与える。
それをどうとらえるかは、ちっぽけな人間次第だ。
氷河の最終パトロール。
誰もいなくなった氷河をゆっくりと下る。
氷河という生き物の上で今日も1日遊ばせてもらった。
その瞬間ごとに世界はある。いや、その瞬間の中に全てがある。
それを受けとめ、感じ取ることが自分のやることである。
いい1日だ。天気もなんとか最後まで保ってくれた。
山の神に感謝である。



家に帰り、とことん自然の中で遊ばせて貰った日に飲む最初のビールを少しだけ大地にこぼす儀式、通称『大地に』をする。
最近ではこの儀式をすることも少なくなってしまった。
それだけ忙しくなったのだろうか。
『大地に』の後は乾杯である。
共に遊ばせて貰ったマー君、そしてガイドを務めてくれたキミと乾杯をする。
こんなビールが不味いわけがない。
家に帰る頃にパラパラと降ってきた雨が、乾杯をするうちに本降りとなり、あっという間に土砂降りになった。
天気の神様は今日も味方してくれた。
感謝感謝である。
雨を見ながら飲むビールも良い。自分が濡れない場所でという条件つきだが。
雨に煙る西海岸の森に僕は語りかける。
「いやいや、どもども、リム達よ。今日も楽しく遊ばせてもらいました。ありがとね。この場所も昔は氷河だったんだねえ。氷河が溶けて君達が生えてこういう森ができたんだねえ。すごいなあ。」
リムの森に雨の音がただ響く。
そうやっているうちに仕事を終えたタイが帰ってきて、再び乾杯をしフォークスの夜は更けていった。

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フォークス日記 5

2011-04-16 | 
氷の上を生暖かい風が吹き抜ける。クレバスの近くを通るときは一転、冷たい風が隙間から出てくるのを感じる。
目に見えない空気は、複雑に立体的に入り組んだ氷の合間を抜ける。
氷河を作っているのは水だけではない。空気も重要な要因の一つだ。
先へ進むと一つのグループが止まっている。
ここでカッパを着る。
いよいよ今回の目玉、ブルーミストである。これを歩くためにここに来た。



縦に伸びた氷の裂け目の中に入る。先が見えない。
足元にはかき氷のような細かい氷が敷き詰められている。
氷の回廊。
青く透明な氷の壁にはさまれた回廊が先に伸びる。
この青さはどう表現したらいいのだろうか。
どんな言葉を並べても氷河の青というのは人に伝えられないだろう。
こんな時のためにカメラを借りて持ってきたのだ。パチパチと写真を撮りながら回廊を進む。
このクレバスは今年できたもので、深くそして長い。
極端な話、ここを通らなくてもツアーは営業出来る。
だがお客さんを楽しませるため、自分達が楽しむために、氷の隙間に何トンもの氷のかけらを落とし、隙間を埋めて人が通れるようにした。
1週間がかりで何人ものガイドが作業をしたと言う。
ガイドというと聞こえはいいが、やっていることは土方だ。
つるはしでクレバスの上部を削り氷を落とすのだが、人力ではらちがあかないのでチェーンソーで氷を切って落とし溝を埋めていった、とタイは言う。
それだけの苦労があり、ボクらはそこを歩ける。



クレバスは深く、出口は急な上りだ。氷の壁にアイススクリューでアンカーを取り、ロープを渡し手すりを作ってある。
ロープを握りながら氷の裂け目からはい出る。マー君も満円の笑みで出てきた。
なんとまあ……言葉が上手く出てこない。
「スゴイなあ」
とんでもない自然を前にするとスゴイという言葉しか出てこない。言葉が感動に追いつかないのだ。
やれやれ、今回も又この国の自然にやっつけられてしまったか。
氷河ハイクは初めてではない。3回目だったか。だがいつ来ても違う感動がある。
ボクの気持ちを代弁するようにキミが言った。
「いつ来ても氷河はいいなあ」
地元に住んでいる人だってそう思うのだ。



ブルーミストを抜けさらに氷河の上部へ。
そこで1人つるはしを振っているガイドと挨拶を交わす。
氷河ガイドの仕事というのは、ただお客さんと一緒に歩くだけではない。
斜面を登る人のために氷をつるはしで階段状に削りながら進む。
先のグループのガイドがステップを切っても何人も歩けば階段は崩れてしまう。
なのでその都度つるはしを振りステップを切りながら進むのだ。
お客さんをガイドしていなくても、他のグループの為に1人コツコツと氷を削る仕事もする。
正直、大変な仕事だ。こんな仕事を毎日やる若き友をボクは誇りに思う。
ブルーミストは氷河に対し縦、氷河の流れる方向に氷が割れているが、先へ進むと今度は横向きに氷が割れている場所に出る。
下から見ると何重にも氷の壁が立ちはだかっている。
ツアーコースはその中へ入っていく。まるで巨大迷路だ。こんな所でかくれんぼをしたら楽しいだろうなあ。ただし命がけのかくれんぼだ。



お昼は氷の上で食べる。
ツアーの人達も近くにいるが、氷の形は複雑なので、ちょっと離れると自分達の空間がすぐにできる。
のんびりと氷の上の時間は流れる。
ランチはキミが朝作ってくれたおにぎりだ。昨日の照り焼きサーモンの残りが中に入っている。文句なしに美味い。
デザートはセントラルオタゴのネクタリンである。木で熟したフルーツというのはとことん甘い。
おむすびを包んでいたアルミホイルを持っていたのだが、一陣の風がそれを奪っていった。
ボクはあわてて追いかけたのだが、大きな氷の穴の中に吸い込まれていった。
回収は不可能。仕方がないあきらめるか。
ボクは行く先々でゴミを拾いながら歩いているが、そんな自分もゴミを作ってしまった。
まあ故意にすてたわけではないし、ひょっとすると氷河も人間が持っているキラキラした紙切れみたいな物が欲しくなったのかもしれない、ととことん都合良く解釈をする。



午後もツアーの合間を行く。
氷の壁に挟まれた場所を歩いていると、壁に穴があいていることに気が付く。
大きさは1mにも満たないものだ。
中を覗くと鍾乳洞のように上から氷がたれ下がり、それを伝い水滴がポタポタと垂れている。
水滴は底にある小さな水たまりに落ち、小さな波紋を作る。
美しい。
この小さな穴の中に均整のとれた美がある。
こんなのいつまでも眺めていられそうだ。
自然はこんな巨大な氷河の中に、小宇宙を作り上げている。
きっとこんな箱庭が何百、何千と氷河の中にあるのだろう。
それらのほとんどは人目にふれることなく生まれては消えていく。
僕達が住むこの地球も宇宙から見ればこの箱庭みたいなものではないか。
その箱庭の中で人々は愛し合い、同時に傷つけ合い、いがみ合っている。
「こんな所に小宇宙、こっちの壁にも小宇宙。ああ小宇宙、小宇宙。」
バカみたいにつぶやきながら歩くボクをキミが暖かく見守る。
氷にはさまれた空間というのは不思議なものだ。
森を歩くのと同様、これは感覚のものであり、自分の身をそこに置かなくてはつかめない。写真やビデオでは感じられないものだ。
氷の切れ目はなまなましく、エロチックでもある。クレバス、割れ目という言葉だってそうだ。
氷の中へ入っていくのは女体へ入っていくのを思い起こさせる。
氷河は女だ。
それを帰ってからタイに言ったらヤツはこう言った。
「そうそう、氷河は女なんですよ。手のかかるところなんかそっくり。やさしく包んでくれる時もあれば、ダメなときは絶対ダメってのも似てますね」
ガイド連中は氷河のことをヒネと呼ぶそうだ。
ヒネはマオリの言葉で娘を意味する。
ちなみに家で飼っているニワトリもヒネである。

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フォークス日記 4

2011-04-09 | 
フォークス2日め

朝の明るさがテント越しに感じられる。
ファスナーを開け、空を見る。
雲は厚く広がり、いつ雨が降ってもおかしくない空模様だ。
まあこれも天気予報どおり。低気圧がすぐ近くにあり、雨が降らなければラッキーといったところだ。
だがボクには確信があった。
今日一日天気はもつのではないか、という根拠のない自信があった。
だってボクは晴れ男だから。
それに今日はキミがガイドとなって氷河を案内してくれることになっている。
こういう強い光を持つ人の行く所は晴れるのだ。
数年前にタイがクィーンズタウンに遊びに来た時のことだ。
南島に前線が居座り、どこへ行っても大雨という日だった。
僕らはダメでもともとでルートバーンのそばのレイクシルバンの森へ行った。
クィーンズタウンから車で移動する間ずーっと土砂降りだったが、山を見渡せる場所でボクらは自分の目を疑った。
どこもかしこも雨で真っ白に煙る中、ボクらが行こうとしている場所だけ雨が降っていないのだ。
きっかり2時間、僕らが歩く間だけかろうじて天気は保ち、歩き終えると同時に雨が降り始め、すぐにそこは周囲と同様まっ白な雨に煙ってしまった。
こういう人が集まると、1+1が2どころか3にも10にも1000にもなる。いや考えようには無限大にもなり、局地的には天気さえも変えてしまう。
このごろはそういうことが良くあるのであまり驚かなくなった。
ただありがたく空の神に感謝をしつつ、その場を楽しむのみである。




タイとフラットメイトのブレンダが仕事に出かけた後で、キミが朝飯を作ってくれてランチの用意までしてくれた。至れり尽くせりだ。
準備を整え、いざフランツジョセフへ。
タイが働く会社へ立ち寄りクランポン(アイゼン)を借りる。
こういった細々したこともガイドさん(キミ)がやってくれる。ガイド付きツアーは楽だ。
そして氷河へ。氷河までは車で15分ぐらいだ。
「ここに新しく自転車用の道を作ったんですよ」
キミが言う。なるほど車の道に平行して細い道が木々の向こうに見える。
これは良いアイデアだ。ぼくだってこの道は車より自転車で走ってみたい。森の中を走ったら気持ちいいだろう。
そのうちにフランツジョセフの街にもレンタルバイクの店ができるんだろうな。
雲は低く垂れ込み氷河の上部は見えないが、今日歩く辺りはクリアーに見える。




車を置き30分ほど川原を歩くと氷河の末端部に着く。
そこまでは平坦な歩きで家族連れの旅行者の姿も目立つ。ボクも何年か前には5歳の深雪を連れてお隣フォックス氷河の末端部まで歩いた。
氷河のすぐ近くにはロープが張られこの先は自己責任ですよ、という立て看板もある。
この先はガイド付きツアーで行く人か、クランポンなど装備を持った経験者が入れる。
実際には行政機関には人がそこに行くのを止める力はない。行かない方がいいですよ、というアドバイスはできるが、やめなさいとは言えないわけだ。
国立公園というものはみんなのものだ。人はそこを歩く権利がある。その権利は誰にも遮られない。
ただしその権利の裏側には『自分の身は自分で守る』という重い責任が常につきまとう。自己責任というやつだ。
あれは去年だったか、フォックス氷河で若い兄弟の旅行者2人が氷河に近づきすぎて氷の崩落に巻き込まれて死んだ。
自然を甘く見た、と言えば厳しい言い方だが他に言葉が見つからない。
自分は大丈夫という何の根拠もない想いか、はたまた何も考えていなかったのか、とにかく2人は氷につぶされ死んでしまった。
この事故で可哀想なのは両親だ。親より先に子が死ぬ、これほどの悲劇はない。
楽しいニュージーランド旅行をしているはずの息子2人を同時に無くしてしまったのだから。
死んだ人はもう天国へ行って痛みも苦しみもないはずだが、残された両親は辛い哀しみと共に生きていかなければいけない。
死んだ人を可哀想だと人は言うが、本当に可哀想なのは生き残った人だ。



氷河の末端には土砂がかぶっていて、ぱっと見は砂山だ。
そこを登っていくのだが、砂山には踏み跡がいくつもあり、どれを登って行ってよいのやら分からない。
キミが近くに居た氷河ガイドに聞き、道を教えてもらう。
普段は自分がガイドとなりお客さんを案内するのだが、今日はボクはお客さんだ。
全くもってガイドと一緒というのは楽である。ボクとマー君はただついて行けばいいのだから。そのガイドが友達とあれば言うことなしだ。
今日のキミのいでたちは、短パンにゲーター(スパッツ)という典型的ニュージーランドの山歩きのスタイル。ザックにはアイスアックス(ピッケル)が2本さしてあり、実に頼もしい。
とはいえキミはプロのガイドではない。毎日氷河を歩いているわけではない。氷の状況でルートは常に変わる。
こんな時に地元のプロガイドに道を聞けるというのはローカルの特権だ。
砂山から氷に変わる所でクランポン装着。いよいよ氷の上へ。
なだらかな氷の斜面を登って行くと氷の裂け目が見えてきた。
どうやらそこを通るようだ。
人1人が通るのがやっと、というような狭い隙間を行く。
長さは20mぐらいだろうか。
狭い隙間を通る時どうしても服が氷に付き濡れてしまう。雨が降っていなくてもカッパは着た方がいいかな。

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