小屋に荷物を置き、仕度を整えて出発。
いよいよハンティングトリップである。
小屋から下っていって様子を見ようということになった。
リチャード達は反対側、小屋から上に上って行くようだ。
時間は3時半を回った頃で、まだまだ夕暮れには時間がある。
小屋からは道がなく適当に歩きやすい所を歩く。
油断をすると足元の岩がぐらっと崩れる。
先を進むタイが何か見つけたようでしゃがみこんだ。
「来て見て下さいよ。水晶の層がありますよ」
行くと石英の層の中にできかけの水晶がいりまざっている。
良く見ると小指ぐらいの六角中の結晶も落ちているし、結晶ができかけた細かい粒子がびっしりと岩にくっついているものもある。
俗に言う宝石というものは、地中の圧力や温度が高い所、それは大きな断層のような場所でできる。
今いるこの場所は南アルプスの真っ只中。
太平洋プレートとインド・オーストラリアプレートという二つの海底プレートがねじくれて断層になっている、その活断層の真上にいるのだ。
何万年か何百万年か知らないがはるか昔、地中の深くで石英が水晶に変化しかけているのが、何かのはずみで地表にでてきた。
それを僕らは手にとって眺めている。
ロマンだなあ。
こんな所で石が好きな友達だったら何時間でも水晶を探しているだろうなあ、などと思った。
そういう僕たちも「おっ、こんなのがでてきたぞ」などと言いながらしばしの間、子供のように水晶探しをするのだった。
以前タイが教えてくれた鹿撃ちの言葉がある。
10回鹿を見て、そのうち3回撃って、1頭しとめる。
鹿撃ちとはそういうものらしい。
今回もライフルを持っていくものの、そう簡単に捕れないだろうなあと思ってタイの後ろをついて歩いた。
時々ヤツは立ち止まり双眼鏡で獲物を探しながら歩く。
山小屋のある場所は草も生えていないような岩場だが、ずっと下にはタソックが生えている場所がある。
どうやらそこを目指しているようだ。
先で獲物を探していたタイが振り向いて言った。
「いたいた、いましたよ、2頭のシャミーが。」
双眼鏡を借りて岩陰から覗くと、2頭の獣が草を食んでいるのが見えた。
数m下がり作戦会議である。
ライフルの射程は約200m。ここからでは遠いのでもうちょっと近づく。
風向きはこちらが風下だからちょうどよい。
岩陰などを利用して大きく回りこみやつらに近づく。
「できるだけやつらに見つからないように近づきましょう。それと時々シャミーがふっと首を上げて見上げることがあるんですが、もしそうなったら動かないで下さい。動いたら警戒するけど止まっていたら大丈夫ですから。」
だるまさんがころんだ、みたいだな。
僕らはそーっとそーっと、足元の小石にも細心の注意を払いながら移動した。
基本、こちらからやつらが見えない場所を移動する。
こちらから見えない場所とは、やつらからもこっちが見えないはずだ。
時々タイが覗き込んで、位置を確認しながら動く。
「なんか、かくれんぼしているみたいで、面白いですね」
タイの目はきらきら輝き、まるで遊びに夢中になってる子供のようだ。
以前読んだ本で、『地図を読めない女と話を聞かない男』というものがあった。
男と女の違い、どちらが偉いというものではく、純粋に違いという事を書いた本である。
女というものは洞穴で住んでいた時から、住居の周りの木の実や山菜などの食べ物を採るのが仕事だった。
なので視野は広く、探し物も得意である。
新しい空間、例えばあるパーティー会場に入っていった時などに右端の人の髪型から左端の人の着ている服まで見えるという、僕たち男には信じられないような芸当が自然に出来る。
それに対して男というのは狩をするために外に出た。
視野は全体を見るよりも一点即ち獲物を見て、それと自分との位置関係や地形などを頭の中で立体的に作り上げる。
これを空間能力という。
車の運転などは空間能力の良い例えだ。
車がカーブにさしかかる時、僕は数秒後の自分の車の位置を頭の中で作り上げている。
その時の車のスピードは、内側のタイヤと外側のタイヤはどこを通るか、ブレーキをかけるタイミングと強さは、重心の移動は、外に振られる重力は、コーナーが終わり加速するタイミングは、などなど。
こうやって頭の中でシュミレーションして、数秒後にその通りになると気持ちがいい。
逆にヘタクソな人が前にいたりして、全てのコーナーごとにブレーキなど踏まれたりするとすごーくイライラする。そういうヤツに限ってストレートで飛ばすものだ。
車の運転が上手い人はたいてい無意識にこういうことをやっている。
女より男の方が車の運転が上手い、車のレーサーでも圧倒的に男ばかりというのはこういうことなのだ。
これは男と女の能力の一般的な話であって、女でも運転が上手い人もいれば男でも友達のエーちゃんのように運転が下手な人もいる。
要するに男は空間能力に優れている。
しかし視野が狭いため、探し物などは絶望的にヘタクソである。
僕も良くあることだが、冷蔵庫や戸棚で一番正面にあるものが見えないで奥の方をごそごそ探す。
女房が出てきてすぐに見つけて「どこを見ているの」と言われるが、見えない時は見えないというのはこういう理由があるからだ。
男の場合、パーティー会場へ行けば一番きれいなお姉ちゃんに目が行き、彼女までの距離や途中の障害物やじゃま者、どうやってその娘を口説くか、という作戦まで頭の中で即座にシュミレーションされる。
その空間能力をフルに発揮するのが狩猟、ハンティングである。
自分と獲物の位置関係そして風向きも関係する。
ライフルで撃つにしても距離だけでなく、自分より高い所にいるか低い所にいるかその角度で照準も変わってくるだろう。
もっと言えば風や温度や湿度、またライフルや弾丸によっても変わってくるだろう。奥は深い。
ちなみにゴルゴは一発の弾丸も特注、オーダーメイドだ。
これぞ男の究極の趣味ではないか。それも生活を賭けた趣味である。
僕にはここまでできない。
今回は25度ぐらいの斜面を回りこんで下り獲物に近づいた。
いよいよライフルの射程距離に入ったという頃、タイが僕に双眼鏡を手渡して言った。
「僕が撃つ時にこれで覗いて見ててください。当たればビクっと跳ねますから」
「了解了解」
2人でそーっと、さっきシャミーがいた辺りを覗く。
あれ?いないぞ。僕らは岩陰から出て移動をした。
気づかれて逃げちゃったのかな、と思った時に岩陰から動物が飛び出して僕たちの目の前を横切った。
距離にして20m。速すぎて撃てない。
シャミーは一つ横の沢へ入り込んだ。こうなるとスピードが勝負だ。
見通しのきく場所でタイがライフルを構えた。僕は双眼鏡でシャミーを追った。
銃声が山にこだまする。僕が見ていたシャミーは尾根の向こうに姿を消した。
「はずした?」タイに聞いた。
「いや、仕留めましたよ。あっ、また出てきた。」
見るとさっき姿を消した尾根から数頭のシャミーが出てきて谷間を駆け下っていく。
すかさずタイが射撃の体勢に入り、銃声一発。
今度ははっきり見えた。
シャミーがもんどりうって倒れた後、10mほどもがくように動き、そして動かなくなった。
他のシャミーは視界から消え、辺りに静寂さが戻ってきた。
一頭の動物が息絶えていた。
命に大小は無い、はずなのだが大きな動物が死にいくさまというものは人間に『命とはなんだろう』という気持ちをいだかせる。
「あーあ、お前もタイに撃たれちゃったなあ」僕は手を合わせて拝み、動物に触ってみた。
まだ暖かいその動物の命はすでに無く、目は虚ろに空を見ていた。
感傷に浸るのもここまで、山には夕闇が迫っている。作業にとりかからねばならない。
背骨に沿った両側の肉、ココが一番旨い部分で、俗に言うヒレ肉である。
ヒレを切り出した後はモモから下を胴体から切り離す。
皮を切り、肉を切ると腸がムニュっと出てくる。これを傷つけないよう注意しながら肛門の周りにナイフを入れる。
最後は力業。僕が角を持ちタイが後ろ足を持ちぐるぐる回し背骨を折る。
そして胴体と切り離して作業終了。
僕はタイに頼んだ。
「タイよ、すまんがそのヒレのあたり、ちょっと切り出してくれんか。前からこういう機会があったらその場で食ってみたかったんだ」
タイが切り取った肉はまだ生暖かい。
「いただきます」まさしく命をいただきます、なのである。
肉は臭みは無くほんのり甘い。
肉って甘いんだ。
知らなかった。
ここで醤油が欲しくなった。
そうやって二頭の解体が終わった時には、夕闇がすぐそこまで来ていた。
しつこく続く。