あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

雑記

2021-12-19 | 日記
クィーンズタウンの仕事を終えてクライストチャーチの我が家へ帰ってきたのが3週間前。
そしてすぐに葡萄畑の仕事に戻った。
一月半の間に葡萄はぐんぐん育ち、仕事が追いつかないほど伸びていた。
ニュージーランドでは半ば鎖国のような状態が続いており、海外から簡単に人が入って来られない。
農場では人手不足で、選り好みしなければ何かしらの仕事がある。
だが失業手当が目当てで仕事をしない人もいる。
社会福祉が充実すればそれに甘えるのは人間の弱さだ。
だが僕はそれを批判するわけではない。
かわいそうだと思うだけだ。
仕事というのは金を稼ぐだけのものではない。
何かしら社会に貢献する意味も含んでいる。
キリスト教の教えでも、仏教の悟りへの道でも、アフガニスタンで亡くなった中村先生の言葉「一隅を照らす」でもあった。
自分にできることを一生懸命やる。
それが心理追究への道でもあり、個人個人がやるべきことでもある。
それに気がついていない人を可哀想だと思うのだ。
上から目線だな。

ここ最近で起こったことは、ニュージーランドでは信号システムが導入された。
地域によって赤とかオレンジとかに分けられ、それにより行動が制限される
それはワクチンパスポートとも直結しており、ワクチンを打っていない人は外食ができない、公共の施設が使えない。
最近では主要メディアが流すニュースをまともに聞いていないので、これが発令されるのがまだまだ先だと思ってしまい、その日に友達と飲みに行こうとして入店を断られた。
元々が呑気なのだな、自分がそういう境遇になってからやっと、「ああ、こういう事なんだな」と気づく。
図書館もプールもダメ、外食関連はほぼダメ、テイクアウェイの店にもワクチンパスポート提示の張り紙がある。
そうかあ、図書館に行けないのは寂しいけど家にはこれから読む本がたくさんあったな。
プールは元々自分から進んで行くわけでない。
一番辛いのはバーに行けなくなる事か。
しょうがない、これからも自分でビールを作って家で飲むか。
スーパーとか食料品店で買い物はできるし、市バスにも乗れる。
こういう事に関して文句をいう気はさらさら無い。
文句があるくらいなら注射を打て、それが当局の言い分だろう。
外国ではワクチンが義務化され打っていないと罰金とか、スーパーで買い物をするのにもワクチンパスポートが要る所があるようだ。
それに比べてまだマシとは言え、このやり方はすごいなと思った。
不思議な事に、自分自身の中で憤りや怒りといった感情は湧かなかった。
それよりもこんな状況で、迫害される少数民族のような心持ちがあった。
これは今の世の中でも、本当に迫害されている人に失礼なところがあるかもしれない。
だが少数派への弾圧の中にいる事を実体験して楽しんでいる自分がいる。
思うに少数派の中でも、怒りを持つ人がいることだろう。
政府が悪い、首相が悪い、というのがその人たちの言い分だ。
まあこの状況ではそういう声が上がるのも無理はない。
独裁そして全体主義とも言える状況は戦前のナチスのようだ。
彼らがしたことは反対勢力の弾圧である。
似たような社会の構造がある。
これは会社とか地域といった小さな社会の中でも同じで、相手の意見を真っ向から批判し全く聞かない。
自分の意見だけが正しいといった原理主義だ。
ちなみに原理主義はイスラム原理主義が有名だが、歴史上ではキリスト教原理主義もあったし、今の世は科学原理主義的なところもある。
そういう思考の元ではバランスは崩れる。
男女の痴話喧嘩と同じで「自分は正しい、相手が間違っている」という話だ。
これは正義をふりかざす人も同じで、正論を利用して相手をやりこめる。
それはもはや攻撃であり暴力だ。
少数派でも多数派でも心を恐怖に支配されると、冷静な判断ができない。
集団ヒステリーというのも大元はここだろうな。

最近見たユーチューブで心理学から見た群集心理とパンデミックというものがあった。
これは実によく説明されていて、今の自分の状況に当てはまるものがいくつもあった。
僕はワクチンを打たない理由が、必要性がないからというものだった。
この『必要性』とは人によって違う。
仕事をするために必要、周りと同調する必要、病気にならないために必要、不便だから必要、バーで飲みたいから必要。
これは個人で違うものだから、何をもって必要かは強制できないし、自分と違うものを批判してはいけない。
僕の場合はどれにも当てはまらず、不必要だから打たないというのが理由だ。
どれかの理由で必要になれば打つだろうが、現時点では必要でないので打たない。
ただそれだけの事でいたってシンプル。
「自分は50代で健康だから打たない」とファイザー社の社長と同じ意見だ。
この『必要性』というのを全く無視して話が進んでいるのが今の状況。
そして政府という国家権力とマスコミ、フェイスブックもグーグルも含めた大手の企業による、情報統制。
盲目的に追従する人々と反対勢力。
まさにカオスだね。
そんな中ですることとは状況を見据え、自分にできる事をしながら静観する。
静観という言葉を入力した時にでてきたのだが、哲学の言葉で『移り変わる現象の背後にある不変的な本体を直観すること』だそうな。
これこれまさしくこれですよ。
情報に踊らされず、落ち着いて本質をつかめ、ということだ。
またまた落とし穴だが、傍観にならないように。
そんな具合に生きていこうと思う今日この頃である。

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今だからこそやる事

2021-10-27 | 日記
凄まじい勢いで世の中が変化している。
僕自身は今の状況は戦時下だと思っている。
個人の移動の規制、言論統制、警察権の強化、マスメディアによる民衆の洗脳、強制的な個人の自由の剥奪。
戦時下なら全て当たり前のことだ。
それが世界中で起こっている。
今までの戦争と違うところは、具体的な戦場が無い。
目に見えない戦いはあるのだろうが、直接どこかでドンパチやっている戦争は見えない。
誰と誰が戦っている戦争が見えないだけで、やっていることは権力による抑圧だ。
だからこそ自分で考え行動する事が大切なのだと思う。

僕自身が自分に課している事をいくつか書く。
先ずは簡単に良いと悪いを判断しない。
短期的に良い事が長期的に見れば悪いことはいくらでもあるし、逆もある。
ただその状況の中にいると見極めるのは難しく、そこで悪を決めつけてしまうのが楽なのだ。
「あいつが悪いからこんなことになっているんだ」
そうやって魔女裁判が開かれ、多くの人が殺された。
自分は正義で、相手は悪い、という思考の構造は今の世の中でもある。
男女の痴話喧嘩だって、結局のところはそれだ。
ヒットラーが悪かったから戦争が起こった、と考えればそこで思考が止まる。
何故そういう事が起こったのか、という考えに発展しない。
だってあいつが悪いから、それでおしまいだ。
どちらかを善、どちらかを悪というような構造はとてもわかりやすく、ハリウッド映画だって水戸黄門だってみんなそうだ。
先ずはその考えから距離を置くことにより、冷静に考える事ができる。
これが大切なのだと思う。

そして次にやることは、自分の常識を外す。
誰もが自分の常識に沿って生きているが、常識というものは場所や時代によって異なる。
最近は歴史を勉強しているが、今の常識を昔の出来事に当てはめても何も分からない。
それには先ず常識を外して考える必要がある。
これはなかなか難しい作業だ。
だって人は皆、自分の常識に沿って生きている。
それを外すということは、自分の生き方さえ否定される可能性もあるのだ。
じゃあ自分は今の常識を外して、戦国時代の常識でやるから、他人を裏切って殺していく。
そうではない。
それを行動しろと言っているのではなく、物事を考える上での話だ。
自分の常識を外して考えると、相手の立場で考えることができる。
それができると自分というものも見えてくる。
自分自身というものはなかなか自分では見えないものだが、そういう思考をすることにより、自分の立ち位置や心の内側が見えるようになるという話だ。

さらに思考の話を続けると、悲観的に物を考えない。
悲観的な思考からは新しい発想は生まれない。
世の中それから自分を取り巻くと状況は変化し続けるものだ。
特に今はそうなので、新しい発想が必要とされる。
今まではこうだったから、という概念が通じない世界にいるのだと思う。
だから悲観的に考えないことが大切なのだろう。
なぜ悲観的な考えになるかというと、恐怖に心を支配されるからなのだと思う。
そうなると冷静な判断ができなくなる。
もっとひどくなればパニックになる。
今の世の中がまさにそれだ。
以前から何度も書いたが、人間の思考は大元までつきつめれば、愛か恐れかどちらかに行き着く。
自分の心の中を覗き込み、この判断、この行動の根源は愛なのか恐れなのか、そうやって問いかけることに答えがある。

もちろん危機管理は必要だ。
だがそれが本当の危険なのか、作られた危機感なのか。
まずは立ち止まって自分の周囲を見渡す。
その中で自分の存在、立ち位置を俯瞰的に見る。
どちらかに偏り過ぎる事なく、常にバランスを取りながら行動する。
そういう作業が必要なのだろう。

最近聞いてナルホドと思った事。
人間がすべき事で旅をする事、本を読む事、そして人と会う事というのがあった。
これを自分なりに解釈してみる。
まずは旅をする事、これは移動することにより意識の活性化ができる。
環境が変われば文化も生活も人の常識も変わる。
そういう事を見聞きする事で、自分の内部に変化があるのだと思う。
今は簡単に旅が出来ない世の中だが、隣町への小旅行でも、日帰りの山歩きでもそれはできる。
ただ海外旅行のような大きな移動の方が劇的な変化がある分、それが分かりやすいのは事実だと思う。
でも身の回りの小さな移動でも、心次第でそれを感じることは出来る。

そして本を読む事。
これは情報を得る事と僕は考える。
今やネットで情報は溢れているが、第三者が編集した情報にはそれなりの価値がある。
例えばこのブログは僕が書いて僕が編集している。
検閲する人はいないので、偏る可能性もある。
そういう意味でいろいろな人によって出来上がった本を読むことは意味があるのだろう。
ただし本に書いてある事が常に正しいとは思わない。
時代錯誤のものもあるし、意図的に改ざんされたものもあれば、ウソもある。
そこでいろいろな本を読んで、その中から自分なりに選択して取り込む作業も必要だ。
これはネットの情報でも全く同じ事が言える。

最後に人と会う事。
今は移動が制限された時代なので、直接会うことは難しい。
でも画面を通して相手の顔を見るのと、実際に会うのでは大きな違いがある。
人によってはオーラを持っている人もいるからそれを感じることもある。
このへんはスピリチュアルな話になってしまうが、とにかく実際に会うということに意味がある。
時にはそのことにより嫌な気ももらってしまう事もあるが、良い気を貰うこともあるし相手に与えることもできる。
それが僕が大事に思っているライブというものにつながっていく。

長々と書いてしまったが、簡潔に書くと、心に愛を持ってバランスよく生きていけということに尽きるだろう。
そこで一休さんの言葉
「大丈夫だ。心配するな なんとかなる」



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クィーンズタウンの家

2021-10-17 | 日記


南島に季節外れの雪が降った日にクィーンズタウンにやってきた。
酒蔵全黒の若き蔵人のユーマが日本に帰ることとなり、人手が足りなくなり呼ばれたのだ。
若いながら道理と味の分かるヤツで、ユーマだけにウマが合う。
その前の週に奥さんとクライストチャーチに来た時には、自ビールをしこたま飲ませ旨いものを喰わせた。
ワイナリーもこれから忙しい時だが、事情を分かってもらい2ヶ月間の休みをもらった。
期間限定のクィーンズタウン生活である。
今回の宿はクィーンズタウン郊外の友達の家。
家のテラスからは林の先に湖、そして山がドカンと見える。
長くクライストチャーチに居ると、やはりクィーンズタウンは美しい場所だと思う。
山と湖が創りだす立体的な地形はクライストチャーチには無い。
その代わりクライストチャーチは空が広く開放感があり、日照時間が長い。
どちらも一長一短といったところだ。



家には大きな暖炉、それもオープンファイヤーがある。
暖炉特有の暖かさが心地良い。
オープンファイヤーは焚き火と同じで、いわば家の中で焚き火をしているようなものだ。
何か、人類が原始の時代から行ってきた行動をする、そんな感じるのだ。
電気のヒーターとは違う、暖かさの質が違うとでも言えばいいのか、質の違いがある。
暖かさの反対の寒さでも質が違う。
クィーンズタウンの寒さは底冷えのする内陸特有のものだ。
海が近くにあるクライストチャーチでは同じ温度まで冷えても底冷えは無い。



家は木々に囲まれ鳥が多いのも嬉しい。
目の前でパタパタ飛ぶファンテイルを見ていると時間を忘れる。
鳥の声で目を覚ますのも心地良い。
友達のトモコが初めてニュージーランドに来て、森の中の山小屋に泊まった時の事である。
朝になり、鳥達が山小屋の近くで鳴き出した。
あまりに色々な音がするので、トモコはU F Oが来たと真剣に思った。
「どうしようUFOが来ちゃった」と恐る恐る山小屋のドアを開けると、鳥しかいなかった。
確かににツイという鳥は様様な声をだす。
中には機械的な音もある。
何の予備知識も無くこの音を聞いたらそう思うのも無理はない。
いやそれは、やっぱりトモコだからだな。



家の造りは木造で壁や天井が、木そのままなので音が響く。
床も絨毯ではないので、音が吸い込まれる事なく響く。
天井が高いのでエコーのように響く。
自分のギターの腕前が上がったのではないか、と勘違いするぐらいに良い音が出る。
ウクレレでポロポロとやるも良し、ギターをジャーンと鳴らすも良し。
林の中にあるような家だから、大きな音を出しても大丈夫。
バンドのセッションはまだやってないが楽しみだ。



テラスで鳥の声を聴きながらボケーっと山を眺める。
木漏れ日が心地良い。
何となく山に向って手を合わせる。
感じるものはただただ感謝の心。
全ての物事に感謝。
その想いを持ち続ければ、この先に何が起ころうが大丈夫。
そんなことをふと思った。
ありがたやありがたや。
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何もしない神様

2021-10-08 | 日記
タンケンツアーズのクレイグから電話があった。
撮影の仕事がクライストチャーチで1日だけあり、撮影アシスタントが必要だそうな。
雑用、まあ使いっ走りというところか。
「ところでお前、ズームは詳しいか?」とクレイグが尋ねた。
「いいや、全く分からない。そっちに関しては俺は全く役立たずだよ」
「そうか、俺も似たようなものだが、まあ何とかなるだろう」
どんな仕事の内容なのか、聞いてもピンと来ないし僕が準備するようなことは何もないので詳しくは聞かない。
ちなみに僕のズーム経験は、友達とズーム飲み会が1回、その他で1回やったぐらいだ。
仕事の前日に、クレイグ夫妻と僕達夫婦で夕食を共にし、旧交を温め仕事の大まかな話を聞いた。
クライストチャーチ郊外にあるリンカーン大学でズームの講義をする。
リンカーン大学は農業大学で、講義の内容は農業と環境について。
講師がこちらのカメラの前で話し、それを日本の学生達が講義をズームで聴く。
僕とクレイグの他に専門のカメラマンが一人。
僕がやることはほとんどなく、まあ頭数を揃えるぐらいのものらしい。

仕事当日、クレイグと連れ立ってリンカーン大学へ。
カメラマンと落ち合い、機材を運ぶ手伝いをして準備をする。
撮影の準備もカメラマンが一人でテキパキやるので、でる幕はなし。
クレイグは日本のNHKのディレクターとオンラインで繋がり、指示を受け講師に伝える仕事だ。
カメラの準備が済むと、あとは待つだけ。
ここで初の仕事。コーヒーを買ってくる。
コーヒーを飲んでおしゃべりしているうちにテストの時間となり、カメラテスト。
全て順調で問題なし。
ここで本日二つ目の仕事。弁当を買ってくる。
ぼんやりと満開の桜を眺めたり、買ってきた弁当を食べたりしているうちに本番の時間となった。

本番が始まり講師が喋りだすと問題発生。
音声が届いてないという知らせが、クレイグに伝わる。
リハーサルでは完璧で本番で不都合が出るというのはよくある話である。
みんなであれやこれややるが、僕は完全に蚊帳の外。
ズーム経験2回、携帯はガラケーの僕にできることは何もない。
それでも何とか繋がり、多少時間は押したが無事に講義も終了した。
ここで最後の仕事。コーヒーカップをカフェに返しに行った。

神様という概念は宗教によって違う。
キリスト教やイスラム教のように一神教もあれば、多神教もある。
日本はそれこそ八百万もいるので、神話に出てくる神様もいれば物や場所が神様にもなるし、実際に存在していた人が神様になる場合もある。
福の神、貧乏神、疫病神、死神など、現象が神になるものもある。
書いていて思いついたが、今回のコロナ騒動では疫病神がずいぶん頑張ったんだなぁ。
まあそんな具合に雑多な神様がごちゃごちゃいるのが日本で、そういう観点で見ると実に面白い。
ある技術がとんでもなく上手い状態を神業と言ったり、ものすごい人を神と呼んだり、一神教の人から見ればそれこそ罰当たりである。
それぐらい神というものが身近な存在で、どこにでもあるものなのだろう。
八百万の中には特に何もしない、ただいるだけという神様もいるのだそうな。
その神様が何をするわけではないが、そこにいるだけで全部が丸く収まる。
そんな神様がいるのが日本的でとても良い、そんな話をラジオで聞いた。
自分を神様に重ねるのもおこがましいが、その日の僕はまさにそれだった。
ただニコニコしながらカメラの後ろで座って撮影を眺めて、トラブルが起きた時には上手くいきますようにと祈った。
実際にやった仕事はコーヒーと弁当を買いに行ったぐらいだ。
これで少なくない給料をいただいた。
ただひたすら、ありがたやありがたや、と思うばかりである。
ただ、何もしないと言うか実際には何もできないのだが、これはこれで結構大変なのだ。
僕は除く全員がバタバタ動いている中で、ただオロオロと見守るのは精神的に疲れる。
またやりたいか、と聞かれたら即答は出来ない。
神様になるには百年早い、ということなんだろう。
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物をいただくということについていろいろ思ふ。

2021-09-21 | 日記
タイトル通りの話である。
先日、日本の実家から荷物が届いた。
中身は静岡の新茶、鰻の蒲焼、そして北海道の昆布である。
♩清水港の名物はお茶の香りと男伊達
という古い歌があるような所で育ったものだからお茶にはうるさい。
今年も静岡の新茶を美味しくいただいた。
お茶を淹れるのに大切なのは水である。
カルキが入った水はお茶の味を台無しにしてしまう。
普通に飲んで気付かないぐらいのカルキでも、お茶に使うと不味さがはっきり分かる。
なので我が家ではお茶用に水は山で汲んできたり、市内の湧き水を使う。
お湯は80度ぐらいで淹れるとお茶の甘みが引き立つ。
時間は1分半ぐらいが良い。
そうやって淹れたお茶はまず香りが良い。
お茶の時期になると茶工場にただようあの香り。
あの香りと言っても、普通の人は茶工場なぞ行ったことがないだろうが、独特の良い香りがするのだ。
茶碗に淹れたお茶の表面には産毛のようなものが浮かぶのも良い茶の特徴だ。
味はほのかに甘く、お茶の旨味がそれに続く。
親父が電話で「今年の新茶は良い出来だぞ」と言っていたがその通りだな。
このお茶は日本でも最高級のレベルであろう。
お酒で言えば純米大吟醸みたいなものだ。
朝起きて、まずお茶を淹れて飲むと、心がすっきりと落ち着き頭が冴え渡る。
これが僕にとっての茶道なのだ。



鰻の蒲焼は実家のそばの鰻屋さんで真空パックにしてもらったものだ。
遠くに住んでいる息子に、普段は鰻なぞ食えないだろうと買ってくれた。
親の愛はいくつになってもありがたいものだ。
そうそうに炊きたてご飯の上に乗せて鰻丼で食った。
どんなに美味いかくどくど書かないが、あまりの旨さに無言で貪り食ってしまった。
これは鰻一切れでどんぶり一杯食えるな。
2回に分ければ2回味わえたかも、とみみっちいことを思った。



そして北海道の昆布が大量に来た。
6年前に日本に行き北海道でライブをしたことは、はるか昔のブログで書いた。
その時に出会った昆布業界の人とFBで繋がっていて、連絡をしたら快くサンプル用の昆布を送ってくれた。
現代の人のご縁はネットで繋がっている。
サンプル用の昆布とはいえども昆布は昆布、それも北海道の昆布である
昆布の良し悪しは分からないが、ニュージーランドに住む身にはありがたいものである。
ダシ用の昆布と食べる用の昆布と2種類。
ダシ用の昆布は食べてもいけるのだが、食べる用の昆布もこれまた美味い。
最初は佃煮にしてみたのだが、これで昆布巻きとか作ってもいいな。
たっぷりあるから魚を捌いて昆布締めにもできるぞ。
僕は常々、人類はもっと海藻を食べるべきだと思っている。
まず美味い、そして体に良い、そして地球に与えるインパクトも少ない。
農薬まみれで遺伝子を組み替えの不自然な野菜と、そこに生えている海の野菜の海藻。
比べる対象ではないのかもしれないが、どちらが健康にも環境にも良いかは明白だ。
日本では海藻は食文化の一つであり、昆布をはじめ、ワカメ、モズク、そういえばかんてんも海藻だったよな。
海藻を食べるということは、文明が生まれる以前からある狩猟採集生活に繋がっている。
生き物としての根源がそこにあるような気がするのだ。
ニュージーランドでは最近ワカメが繁殖しているようなので、春が来たらワカメを探しに出かけていこうと思っている。



その他にも僕はいろいろともらう事が多い。
近所に住む友達のナナちゃんはベーコンが出来たと言っては持ってきてくれる。
親友ブラウニーは自分で撃って捌いた鹿肉をくれる。
日本の会社からはスキーウェアーや手袋をもらったし、ガイドのお客さんからはチップをもらう。
サーモン、伊勢海老、アワビ、ホワイトベイト(白魚)その他もろもろ。
まあ自分でも人にあげることが多いわけであり、自分が作ったビールや石鹸、庭の野菜や卵などかなり気前良く人にあげる。
ちなみに僕のポリシーとしては、人に売らない。
「売ればいいじゃん?」と人に言われるが、売らない。
売らないと言ったら断固として売らない。
農業でも製造業でも何でもそうだが、物に値段を付けた瞬間に商業になる。
僕がやりたいのは商売ではなく生産だ。
そうやって人にこれでもかというほど物をあげ、人からは遠慮なく物をいただく。
それってある意味、物々交換じゃないの?と考える人は多いだろう。
自分でも漠然とそう思っていた。
考えが変わったのは、コテンラジオの経済の歴史という話だった。
文明が始まって貨幣や紙幣が生まれ、銀行が出来て株式会社ができて資本主義というものになっていく。
大まかな話はそういうものだが、それ以前は物々交換だった。
自分が採った肉と相手が作った野菜を交換すれば互いに助かる。
それが次第に皆が価値を認めている物、例えば手斧のような物が交換の材料に使われるようになった。
「物々交換は基本的に相手を信用していない状態の人間関係で行われるもので、実はそれ以前には人にあげるという状態だったんです」
コテンラジオのこの言葉が僕にとって衝撃的だった。
何か漠然と感じていたモヤモヤが見えたような気がした。
例えば友達と飲みに行き支払ってもらったとしよう、そしたら次の回は自分が払う。
これは互いに信用しているから成り立つ関係である。
同等の資産がありながら、常に相手が払ってくれるから自分は払わないとなったら、信頼関係は崩れる。
似たような話をタヒチへ旅をした時に聞いたことがある。
タヒチの人達は基本的に働かなくても生きていけて、貯金や貯蓄をあまりしない人達らしい。
仕事をして現金が入ると気前良くみんなにおごってパッと使ってしまう。
自分が働かない時には別の人におごってもらう。
基本的にお金を持っている人がその場で払う、そういうような暮らしを長いことやってきた。
やがて大陸から別の人達がやってきたが、その人達はおごってもらうが自分では支払わずにお金を貯めていった。
人々の信頼関係は崩れ、タヒチ人の中にもずる賢く自分は出さずに人からおごってもらうだけの人が出てきたと言う。
大陸から来た人達というのが誰とは書かないが、想像できるであろう。
信頼関係の無い相手であれば、物や金をあげるのではなく、その見返りを求める。
物々交換からの始まりはこういうものだったのだろう。
そして自分はこれだけ出しているのに相手はこれだけしか出さない、というような『損得勘定』も生まれる。
損得勘定が進化すれば「最小の出資で最大の利益を求める」という考えになるのは自然の理だ。
お得という言葉の根底にあるものは欲だ。
その欲望に歯止めがきかなくなれば、「自分さえよければいい」というエゴになる。
「自分さえよければいい」は「自分の家族さえよければいい」となり「自分が所属する社会さえよければいい」と進む。
エゴが進めば相手を倒してものを奪うことも当たり前となる。
その最終形は全面戦争なんだろうな。
一番極端な例をあげたが、パラレルワールドではそういう世界も存在して、滅亡が目前に迫っているのに奪い合いを止めない人達がいる。
人類はそこまで愚かではなく(と思いたい)ほどほどのところでバランスをとりながらやっている。
相手のことを思いつつ経済活動をする、買い手良し作り手良し売り手良し、三方良しの近江商人のような考えもある。
物には正当な値段というものがあり、安すぎてもダメだし高すぎてもダメだ。
不当に安い物の影には泣いている人達がいたり、粗悪な物が混ざっていたりするだろう。
極端に高すぎたら買う人はいなくなり商売自体が成り立たない。
やはりここでもバランスというものが大切なのだ。
なんか経済の話になってしまったが、物々交換以前では人にあげるという時代があったのだという話に戻る。
僕が思うに人にあげるというより、皆で分け合うという感覚なのだろう。
パッと浮かんだイメージはアメリカンインディアンかな。
そこに所有権は無く、必要なものを必要なだけ大地からいただく。そんな考えが好きだ。
今の世の中では当然、所有権というものが存在する。
本来は地球のものであるはずの土地に値段が付き、人間のものとして売り買いされている。
これを良いとか悪いとかいう話にすると別な方向に行ってしまうが、そうではなく、今現在そういう社会なのだ。
その社会の中で、僕は人にあげる。
何故なら美味しいと喜ぶ顔が見たいから、子供に健康で美味しい物を食べさせるのは大人の役目だから。
見返りを求めることなく、純粋な気持ちで人にあげる。
家族の間では見返りは求めないだろう?
ぼくにとって周りの友達は家族のようなものだ。
でも家族の間で、奪い合うようなケースも存在するんだろうな。
そしてありとあらゆる物を遠慮なく貰う。
貰う時には「ありがとう」と言ってもらう。
ありがとうと言い合う人間関係では諍いは起こらない。
Give & Takeの関係ではなく Give & Giveの関係を持ち続けたいものである。
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一隅を照らす 目の前に見える世界

2021-08-27 | 日記


ニュージーランド全土がロックダウンとなり1週間。
オークランドでは大変なことになっているが、南島は感染者も出ておらず静かなものである。
ロックダウン中は社会生活に必要な仕事はそのまま続けられる。
警察とか消防とか医療関係、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、ゴミ収集、運送その他諸々である。
農業もそこに含まれていて、ワイナリーの仕事も農業なので、僕は全く変わらずに仕事を続けている。
ワイナリーへの通勤で車がほとんどいないのが、ロックダウン以前との変化ぐらいだ。



葡萄の剪定は誰でもできるものではなく、切る枝と残す枝を考えて枝を切る。
その後で切った枝を取り払い、残った枝をワイヤーに縛り付けていく。
これは誰でもできる作業で、僕がやっているのはこれだ。
誰でもできるが、上手くやらないと膨らみ始めた芽がポロリと落ちてしまうし、枝がポキリと折れてしまう。



8月というのに春のような暖かい日が続き、葡萄が芽吹き始めた。
一番早いものは葉っぱが出てしまった。
1週間前に50cmぐらい雪が降りその直後にロックダウンになったものだから、そのパウダーも誰にも踏まれずに消えていく。
葡萄畑は牧場と隣接していて、その辺りではポコポコ子羊が生まれて賑やかだ。
空は青く牧場は緑、羊はのんびりと草を食み、目の前の景色は平和そのものだ。
そんな中で歴史のラジオを聴きながら仕事をしていると、ロックダウン中だということを忘れてしまう。



ミクロで見るかマクロで見るかで世の中の見方は変わる。
ニュージーランドという国で見ればロックダウン中で大変だが、僕の目の前に広がる世界はひたすらに平和だ。
何が正しくて何が間違っているか分からないが、自分が今現在存在している世界では問題は何も無い。
存在とは何だろう、という答えの無い問いを問いかけると、バカにするように子羊がメーと鳴く。
思わず脱力をするその感覚さえも微笑ましい。



一隅を照らす、という言葉がある。
天台宗を開いた最澄というお坊さんの言葉で、アフガニスタンで志半ばして亡くなった中村哲先生の座右の銘でもある。
各個人がそれぞれに自分が置かれている場所や立場でやるべきことを一生懸命やる。
そういったものの積み重ねがこの世界を明るくする、という意味だ。
僕が若い世代の人達にエラそーに言う「自分がやるべきことをドンドンやりなさい」これも同じような意味だ。
歴史のラジオで空海と最澄の話があり、また中村哲先生の話も出てきて、この言葉を聞いた。
世間ではいろいろな事が起こっている、
だが自分の目の前には葡萄畑が広がっていて、自分が今やるべきこととは一本一本葡萄の枝を縛り付けていくこと。
気の遠くなるような数の葡萄の木が並んでいるが、考えようによっては、この行為そのものが修行なのではないか。
そんなことを考えながら仕事をしていたら、横で羊がメーと鳴いた。

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想像と違う着地点

2021-07-19 | 日記
もう何年も前からだが、近い将来の事が目に浮かぶことがある。
例えば来週やるイベントで、ギターを弾いて歌うことが決まっている。
その時の観客の様子、そして自分が喋る内容、歌う歌、それをした時の場の空気。
そういったことがまるで現実のように、情景が心に浮かぶ。
夢を見ていて起きた瞬間は、すごくリアル感を伴って細部を思い出すことができる。
そんな具合だが夢と違う点は、寝ていないで起きていてそれが見えることだ。
見えるというか心に浮かぶというか、白昼夢という言葉があてはまるのだと思う。
そしてこれまた面白いことに、その時が来ると白昼夢のようにはならない。
あれだけリアルに想像できたことが、現実では違うことになる。
そんなことが何回も繰り返し起こるので、最近ではそれを知りながら白昼夢を楽しんでいる。

この白昼夢に最初に気がついたのはクライストチャーチの大地震の後だった。
地震がありツアーは全てキャンセルになり仕事が完全に無くなった。
その時に見た白昼夢は忘れられない。
地震の後で日本からマスコミが来て、仕事が無くなった現地のガイドをドライバーとして雇った。
僕も数人のグループに雇われ、取材のドライバーをした。
ところがそいつらが無理難題を吹っ掛け、立ち入り禁止の所へ入っていけとか、地震で困っている人達に無神経なインタビューをする。
あまりの傍若無人さに僕はキレた。
「お前ら、いい加減にしろ!この大馬鹿野郎」
そう言い放つと、そいつらを車に乗せたまま、車のキーを抜き取り、奴らを置き去りにして家に帰ってしまった。
その車のキーをポケットに入れた感触まで残るような、生々しい白昼夢だった。
幸いなことにそういうやつらとのご縁は無く、現実でそういった仕事をすることはなかった。
だが後から聞いた話だと、実際に雇われた人達はそうとう嫌な思いをしたらしい。
その時のイメージは強烈で今でも忘れられない。

それから10年という年月が流れた。
時々思い出したように白昼夢が心に浮かび、イメージはイメージのままで実現すること無く、日々の暮らしを送っている。
その白昼夢はパラレルワールドの自分なのではないかと最近は感じる。
この宇宙というものは幾つもの薄い膜の重なりあいから成り立っていて、今僕らの生きている世界もその薄い膜の中にある。
幾つもの膜にはこの世界ととても似ている世界が存在する。
それをパラレルワールドと呼ぶ。
どこぞの偉い学者さんが言っていたことで、僕だけの妄想ではない。
妄想ではないが、それを証明して見せてみろ、と言われてもできない。
まあそんなことはどうでもいいが、そのパラレルワールドの自分を見ているのだと漠然と感じるわけだ。
そして自分の身に起こる現実は予想もできない事が起こる。
白昼夢のような鮮明なイメージではなく、もっと漠然とした、例えば霧の中でイメージがボンヤリ浮かびあがるような感じか。
そのことを忘れた時に降って湧いたように、ある事柄が起こる。
それは大きな社会の変革もそうだし、個人的な身の回りの物事もそうだ。
この予想ができないところで起こる出来事がある、というので人生は面白いなあと思うわけだ。

歴史を勉強して学んだ事だが、全ての物事は当事者の想像がつかない落とし所に行き着くのだろう。
例えばある人がAという事を起こす。
その事によりBという事件になり、それが元でCという結果になる。
何年も時が流れCからDへそしてEが起こりFとなる。
さらに時が流れるとGが生まれHそしてJが起こりKに落ち着く。
歴史とはそういう繰り返しなんだろうと思う。
最初にAを事を起こした人が想像したのはBからCぐらいまでかもしれない。
そのずーっと先のGHJといった事は考えていなかっただろう。
ひょっとするとその人が夢見ていたものはAからΒではなく、AからΩかもしれないし、Aから♬かもしれない。
その事によって本人が考えていたのと全く違う着地点になった、という事が歴史ではよくある。
AからBそしてCへ行く事でその周りにいる人々を救ったが、そのはるか先のSとかTになった時に多くの人を苦しめた。
そんなこともきっとあるだろう。
短期的に見て良いことが長期的には悪となる、もちろんその逆もある。
そういったことを考えると、善悪の判断というのは簡単にはできなくなる。
人から物を奪い殺す、という行為は今の世では悪だが、戦国時代では当たり前の事だ。

とことん大切なのは自分の物差しで人を計らないことだ。
自分の常識は他人の常識ではない。
これはみんな分かっているようで実は分かっていない事が多いぞ。
みんな違ってみんな良い、という言葉が小学校の教科書にも出てくる。
確かにおっしゃる通りだよ、何も間違っていないし、それは真理でもある。
でも本当に分かっているのか?
他人との常識の違いを理解するには、自分を理解しなくてはならない。
それには徹底した内観、自分の内側を見つめることが必要となる。
誰しも自分の内側の嫌な部分から目を背けたいものだが、その嫌な所や暗い闇を照らす覚悟が要る。
自分自身でさえ第三者の目で見る、ゴルゴ13のように。
そうすると他人と自分の関係を俯瞰して見ることができる。
自分と相手の関係とは二人だけの話ではなく、それを取り巻く社会や歴史も含まれる。
それら全てを踏まえた上で、相手の価値観や常識を理解して接する。
こういうことなのだと思う。

また当たり前の話だが、人間とは同意を求めて生きる生き物である。
自分が美味いと思う物を相手が美味いと言えば嬉しい。
自分が赤だと言ってる物を相手が黒だと言えば、「何言ってるんだこいつは」となる。
自分が正しいと思ったことを相手が正しいと思えば嬉しい。
「98%はそうだけどあと2%は違うんんだよなあ。でもこの際それは問題じゃないので同意しようか」
実際はそんな擦り合わせをしながら社会は出来ていくのだと思う。
みんな違ってみんな良し、同意したいされたい、この二つの間を行ったり来たりしながら生きるのが人間なのか。
最初はこんな話を書くつもりじゃなかったんだけどなあ。
自分が想像したのと違う着地点がこれだということでオチにしょう。

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分かれば分かるほどに何も分からない事が分かった。

2021-07-10 | 日記
世の中では色々な事が起こっているが、そんな事知らん、というように季節は移る。
秋が深まったなどと風流な事を言っていたと思ったらあっというまに冬至が過ぎ、冬になった。
歳を取ると時間の流れが速く感じる、という話を聞いた事があるが的を得ているものだ。
この時間の流れの感じ方は加速するらしく、爺いになればなるほど速く感じるそうだ。
それはそれで楽しみでもある。
時が流れ冬になったが、今年も又、雪不足・・・。
大手のスキー場はオープンしたが、僕が行く小さなスキー場はオープンできない。
若い時はこういう状況にやきもきもしたが、最近は悟ったというか諦めたというか、開き直りのような気持ち。
自暴自棄とか無気力ではなく全てを受け入れる、なすがままにしなさいという、あの歌の如くの毎日である。

毎日の楽しみはラベンダー畑で働きながら、コテンラジオで歴史を学ぶことだ。
最終学歴が工業高校ということで、世界史というものは全く勉強したことがなかった。
日本史は嫌いだったが中学校で勉強したので、貴族社会から武家社会を経て戦国時代、江戸時代、明治維新といった流れは知っていた。
だが世界史なんてものは、はるか遠い過去の出来事で、今までの人生において全く接点が無かった。
ヨーロッパへ行けば嫌でも歴史的建造物を目にすることもあるだろうが、僕はヨーロッパに行ったことがない。
ニュージーランドの歴史はある程度知っているが、この国は世界史に大きな影響を与えていない。
「そんな昔の人が何をしたなんて知るかよ。今の俺らに関係ねーよ」
そこまでやさぐれていないが、無知、無学、無教養、無関心の僕が世界史にハマりにハマった。
世界史にと言うより、コテンラジオで聴く世界史にハマった。
これが1862年に誰が何をした、というように教科書のような話だったら嫌になるだろう。
だが彼らの話では細かい年号は一切出さず、考え方として大まかな年代ぐらいだ。
そして何よりその当時の時代背景そして社会構造を重要視している。
アレキサンダー大王から始まり、ローマ帝国、オスマントルコ帝国、宗教革命、アメリカ開拓史、フランス革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦。
通して聴いてみると、ナルホド全てが複雑に繋がって現代に至っている。
そして所々に出てくる豆知識などで目が覚めるような話もある。

例えば第一次世界大戦でテクノロジーが戦略を変えたというような話があった。
鉄道の発達により大量の部隊を前線に送ることが可能になったとか。
それまで石炭を燃やし水を沸騰させ蒸気の力を回転エネルギーにしていたのを、石油の発見により燃料を燃やし直接ピストンを動かす内燃機関の発明、その初代がベンツという人だったとか。
ベンツの歌を時々歌うが、ベンツってのは人の名前だったのか。
学校教育とは国家事業であり、当時の国家に都合の良い教育をしたとか、これは今も同じだな。
第一、学校というのは今の僕らにとって当たり前であり、それが国家事業なんて考えたことも無かった。
それが始まったのその頃であり、それまで民衆が意識していなかった愛国心をあおるようなものだったと。
これは日本でも同じことで、昔の国語の教科書は「ススメ、ススメ、兵隊さん」だった。
これを『良い』と『悪い』で判断しないことが大切なのである。
よく昔の出来事を『誰が愚かだった』『あの政策は間違いだった』などと批判する人がいる。
こういうのは後出しジャンケンみたいで気に入らない。
僕が歴史を通して学んだのは、時代背景と社会構造が今とは徹底的に違うということだ。
人はどうしても今の自分が持っている価値観で物事を判断しようとする。
それを外して考えるという、とても難しい作業が必要だ。
今の僕らの道徳では、「人を殺したり傷つけてはいけません」とか「人の物を盗んではいけません」こういうのが基本で社会が成り立っている。
でもそういう考えが成り立たない時代や社会もあった。
その時の人々の心情は僕らには想像がつかない。
想像がつかないが、それでもそのことを知りつつ過去を見る。
そうする事によって、社会を俯瞰して見ることができる。
これが社会構造というやつだ。
そうすると同じようなパターンが時代や地域を超えて存在するのがわかる。
そのパターンは今の社会でもあちこちにあるし、個人レベルのいざこざでも存在する。
歴史を知ることにより、今の社会というものが見えてくるのである。
これは面白いぞ。
この歳になって、こういう形で学ぶ楽しさを知るとは思わなかったなあ。

この歴史の授業は1回の番組が30分ぐらいで、一つのテーマが長いものだと10話以上になる。
10話だとしても5時間か。
喋るのも大変だろうが、聴く方も集中力が要る。
車の運転をしながら聞いていると、何かの拍子の時に話が飛んでしまうことがある。
まあ、それが正常な反応だろう。でないと危ないからね。
これがラベンダー畑なら瞬間的な身の危険は無いので、話が複雑になった時に手を止めて考えることができる。
一人で仕事をするから邪魔もされない。
基本的に仕事中はずーっと聞いているから、「今日はこの話」というように一つのテーマに没頭できる。
ガイドの仕事なら、こうはいかないな。
そんな具合に彼らのラジオを延べ時間で言えば100時間以上も聞いた。
こんなことが出来るのも技術の進化のおかげだ。
ありがたや、ありがたや。
歴史を学ぶことは、過去の偉人の考えを学ぶことでもある。
そうやって自分自身を磨き鍛え上げていくとどうなるか。
まず自分の思考が変わった。
今ある常識は昔の常識ではなく、自分の当たり前は他人の当たり前ではないことを思い知らされた。
そうやって不完全ながらも、自分を取り巻く社会さえも俯瞰的に見るようになるのだろう。
そしてそれがどんどん進めば、哲学につながっていくのだと思う。
知れば知るほどに、学べば学ぶほどに、何も分からないことが分かるのだ。
そしてまた、分からないからといって思考を停止させることなく、分からないままに分かろうとするのが人間というものであろう。
そう言えば「人間は考える葦である」とどこかの誰かが言ってたなあ。

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ワクワクする感じ

2021-07-05 | 日記
先日、ある友人とネット上でやり取りをした。
その人とは6年前に一度だけ会い、フェイスブック上で繋がりはあったもの、特に連絡をすることもない間柄だった。
ある事柄をきっかけに、その道のプロの話を聞きたくなり連絡をした。
ありがたいことに僕の事を覚えていてくれて、すぐに話が進んだ。
こういった事ができるのもネットのおかげだ。
歴史を勉強し始めて、あらためて気付いたことが数多くあるが、今回はネット上での人との繋がり。
これはほんの数十年の間の出来事なのだ。
前回の話で、こてんラジオの話を書いたが、そのシリーズの一環で人類のコミュニケーション史というものがあった。
『文字によって情報の記録と分析と計算ができるようになった』から始り『活版印刷というマスメディアの始まり』『電気通信により情報の伝達スピードが人間の移動速度を超える』などなど。
どう?ポイントだけでも面白そうでしょ?
フランス革命とか明治維新とか南北戦争とかミクロで見る歴史もあるが、大きな視点、マクロで見る歴史も実に興味深い。
もう一つのおすすめはお金の歴史。これも興味ある人は聴いてみてくだされ。
そのコミュニケーション史の最先端にあるのがインターネットの登場。
今ココ、というやつだな。
コテンラジオ曰く、文字の発達、マスメディア、電気通信に並ぶぐらい社会に大きな影響を与えているのがネットの普及だ。
僕の娘の世代ではすでに物心がついた時にはネットが普及していた。
それがない時代というのを知識で知っているが体験をしているわけではない。
だが僕らの世代は、「無い時」から始まり「出てきた時」そして「普及した時」さらに「浸透してそれなしの生活が考えられない時」全てを体験してきた。
それらを知りながら、その恩恵を受け、今を生きている。
そのおかげで、何年間も会っていなかった遠くに住む人との縁がつながった。
ふう、やっと戻ってきたな。
そうやって考えると人とのご縁というものも、その時代ごとの先端の技術によって繋がっているのだろう。
なんかまとめのような雰囲気になったが本題はここからだ。



彼とのメッセージのやり取りでこういう文があった。
「コロナ禍で大変なことになっていて不謹慎だけど、ちょっとだけワクワクします。」
ああ、分かるぅ、その気持ち。
何か分からないけど、ワクワクするような感じ。
大きな嵐が来るぞというニュースを聞いて、ちょっと怖いけどどんな感じになるのかあ、と思った子供心のような。
こういうのを大っぴらに言うとすぐに茶々を入れるヤツもいる。
「何て事言うんだこの非常事態に!こんな時こそみんなで力を合わせて頑張らなきゃいけないだろ。お前みたいなヤツがいるから全部をダメにするんだ。この非国民め」
そうやって古くは魔女狩り、新しいところでは太平洋戦争。
でも心の深いところではどちらも同じ。
怖れというものに支配され、大多数を味方に付け、自分を正当化して、相手(この場合ワクワクしている僕)を攻撃する。
要はワクワクしている人が気に入らない、それだけだ。
ここで勘違いされては困るのだが、人がバタバタ死ぬのを望んでいるわけでもない。
これを読んでいる人ではそう言う人はいないだろうが、世の中には人の上げ足を取る人も存在する。
「じゃあお前は人が死んでもいいと言うのか!お前の家族が死んでもエヘラエヘラ笑ってられるのか!死んだ人が可哀想だと思わないのか!それでも人間か!」
と言う人もいるかもしれない。
あー面倒くさ。そういう人とは付き合いたくないなあ。
そうではなくて、いまある状況を冷静に理解して、その上で自分がどうあるべきか、どう行動するのか判断する。
疫病の歴史で言えば中世のペストではヨーロッパの人口の3割ぐらいが死んだ。
イタリアのどこかでは6割も死んだ場所があったそうな。
その時は怖かっただろうな。
何故かわからないが家族友人がバタバタ死んでいくのだから。
冷静に今を見てみてどうだろう?
この疫病で何人ぐらい死んだのか?
身の周りで死んだ人がいるか?
死んだ人は寿命ではなかったのか?
人類は何を怖れ、何に怯えているのだろうか?

近頃は暗いニュースばかりで唯一明るいニュースといえば、上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたことぐらいだ。
いや、それもまあどうかと思うが、社会が持っている先行きの見えない閉塞感というようなものは感じる。
歴史的にこんな時は、外側の世界を発見する旅に出たり、外側の敵と戦ったりしてきたのだろうな。
そうやってガス抜きをしながら、いろいろな事が起きた。
人類とは歴史とはそういうものだと思う。
小さな世界の中に閉じこもり小さな社会観の中に生きていると、考えも小さくなり大局的な物の見方ができなくなる。
僕も暗いニュースに振り回され、正直な話ワクワクする気持ちを忘れていた。
だが考え方を変えれば、とてつもなく大きな歴史上の出来事の中にいるのだ。
コロンブスが新大陸を発見した時とか、黒船が来航した時とか、そういうのに並ぶぐらいだと思う。
今までになかった事が起きた、常識だったものが常識で亡くなった。
歴史はその繰り返しだろう。
今がそれだ。
地球上で人間の移動が自由にできるようになり、それが一瞬で制限された。
人間の物理的移動は制限されたが、ネットにより情報だけは世界中で飛び交う事ができる。
こんな状態が今まであっただろうか?
僕らはそんな大革命の中で生きている。
そしてどの時代でも同じだが、その中で生きている人はそこからどうなっていくのかは分からない。
だ〜か〜ら〜 面白いじゃん。
分かっちゃったらつまらないでしょう。
それがワクワクするということだ。
恐怖に支配されず悲観的にならず。
悲観的な考え方からは新しい物や新しい事柄は産まれないからね。
最悪の事態に備えながらも楽観的に物事を考え、今の自分に出来る事をする。
ここで一休さんが弟子に残した最後の手紙を記す。

『大丈夫、心配するな。全てうまくいく』


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歴史の勉強

2021-06-24 | 日記
学校の授業で一番嫌いなものは歴史だった。
なにせ面白くない。
『なくよ うぐいす 平安京』だの『いい国 作ろう 鎌倉幕府」だの
年号とか人の名前をただ暗記するだけの授業が嫌で嫌で仕方がなかった。
そんな昔の事なんか今を生きる俺らには関係ねー、という態度だった。
また中学校時代の担任で社会の先生とも折り合いが悪かった。
前世では敵味方に分かれ殺し合いをしたのではないか、という具合に嫌いだった。
多分同じぐらい向こうも僕の事を嫌いだっただろう。
今となっては、その先生も生活のために仕事をしていて僕のような小生意気なクソガキがクラスにいて可哀想だったなと思う。
中学校を卒業して以来、その先生には会っていない。
当時の年齢からして、今はもうこの世にはいないだろう。
死ねば誰もが仏様。
その先生を恨む気持ちは無い。
だが当時の僕にとって、その先生の授業は絶望的につまらなかった。
歴史の教科書の偉人の肖像画には一つ残らず落書きをした。
歴史の授業が年号を覚えるだけで、人間のドラマとして感じ取れないところに原因があった。

学校の歴史の授業は嫌いだったが、歴史小説は好きだ。
特に司馬遼太郎の本はほとんど読み漁った。
小説の中の主人公は生きた人間であり、それぞれが自分の正義のために短い人生を駆け抜けた。
思えば中学校時代の僕は、歴史を学ぶほど成熟してなかったのだろう。
だが一貫した学校教育は、そういった例外を許さない。
算数で言えば、分数の割り算などという、もともと割ってある分数をさらに割ることを学ぶ。
これは数学上は意味があるかもしれないが、実生活では全くありえない話だ。
何故それを勉強しなくてはならないか分からないがとにかくやれ、というのが向こうの言い分である。
これについては友人から面白い話を聞いた。
それは一人のアインシュタインを出すためだと。
そういう基礎的な数学を全員で学べば、全体的に数学のレベルが上がる。
するとその全体的に高まったレベルから、一人の天才数学者が生まれる。
そのために必要なんだと。
では話を元に戻して、僕という個人が人生で分数の割り算というものを使う時が来るのか?
その友人は断言した「それは無い」
まあ、そんなところだろうな。

歴史というのはごくごく近い近代史を除いて、見てきた人はいない。
残された物、伝え聞いた話、書き記した書物などから推測する物だと思う。
そこにはひょっとすると嘘があるかもしれないし、勝者にとって都合の良い資料も当然ある。
さらにそれらを読み取って解釈の仕方によっても変わる。
誰かが言ったことや書いたことを自分なりに解釈して理解する。
そういう積み重ねなんだろう。
なんでこんな話を書いているか、そろそろ本題に入ろうか。



今は相変わらずラベンダー畑で働く毎日である。
作業は単調なので何かしら聞きながらやる。
最初は気に入った音楽を聞きながらやっていたが、先月ぐらいから落語や講談を聞きながらやるようになった。
演目にもよるが30分ぐらいの話を聞きながらやると、あっというまに時間が経つ。
そして最近の流行りは歴史の話で、これがとても面白い。
こてんラジオという名前で、ラジオ番組のような構成である。
自称歴史弱者という人がパーソナリティーで歴史に詳しい二人にいろいろと聞くのだが、とにかく面白い。
学校では教えないような事を話し、彼らが話す史上の人物は生き生きとしている。
例えば幕末に吉田松陰という人がいたが、イメージ的には偉い先生というところだろう。
ところがこの人の人生はロックであり、突っ走る激情家であり、おまけに童貞。
こんな教え方を学校ではしない。
一つの歴史上の出来事を紐解くと、はるか以前の出来事に起因して、という具合に流れというものを分かりやすく話してくれる。
そしてまた解釈をする人の基本的な考え方に賛同ができる。
繰り返して書くが、歴史というのは基本的にだれも知らないことを推測をしながら理解する。
それを話してくれる人、書いた人の思想というものが大きく関与する。
極端な例で言えば、ただ自分の生活のために金を稼ぐ手段として歴史を教える人。
逆に歴史が好きで好きで、一人でも多くの人に歴史の面白さを伝えたい、そのためなら金なんかいらないという人。
同じ歴史を話すにしても前者と後者では月とすっぽんぐらい違う。

僕はこのラジオを聴き始めて夢中になってしまった大きな理由は、しゃべっている人の基本的な思想に共感したからである。
彼らは物事を『良い』と『悪い』で分けない。
これを徹底している。
では何かというと、その状況に合った行動かどうかである。
今の社会では人を殺すことは悪いことだが、歴史上では人を殺すことが善という時代や社会もあった。
それを今の倫理にあてはめて、あーだこーだ言っても始まらない。
その時の人間の行動、後世から見れば愚かに見えるようなことでも、それを受け入れ客観的に見ている。
その結果、歴史がどういうふうに動いたのか、俯瞰的に物事をとらえている。
それを今の世の中に映し出して考えている。
そして歴史上の成功、失敗、どーでもいいこと、全てを愛している。
あー、やっぱり根底に愛があるんだろうな。
つきつめればそこに至るのか。

今や便利な世の中になったもので、彼らの話をポッドキャストというもので聞くことができる。
一回の話が20分から30分ぐらいで、全部で200以上あり今も続いている。
古くはアレクサンドロス大王から、世界史、日本史、中国史、近代史、宗教、天皇制、お金の歴史まで、話は多岐にわたり全てが繋がっている。
そして話の切り込み方も絶妙で、例えば幕末の話では吉田松陰と高杉晋作をメインに時代を語る。
第二次世界大戦ではヒットラーが主人公という具合である。
僕もまだ全てを聞いたわけではないが、これからまだまだ聞くべき話がたくさんあるのでワクワクしている。
これも元はといえば娘の深雪が聞いていて、それを女房が聞いて、さらに僕へと感染した。
このブログを読んで、ここから誰かに感染するかもしれない、というより感染して欲しくてこの話を書いた。
こういう感染なら万々歳だな。
愛が根底にある場合、感染というか伝播というか同じことだが伝わる人を幸せにする。
根底が恐怖だったり怖れの感染は、人を不幸せにする。
媒体は病原菌ではなく人の心だ。
ラベンダー畑で働く身なので、聞く時間はいくらでもある。
だだっ広いラベンダー畑でのんびりと仕事をしながら、時々クスリと笑いながら歴史を学ぶ。
資格のための勉強ではなく、知識を満たす学問に喜びを覚える。
馬鹿馬鹿しい世の中だが、そんな中でも新しい刺激を感じ『人生まんざら捨てたものではないな』と空を見上げて一人思うのだ。
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