あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

チャリンコ野郎達 5

2010-05-28 | 


街へ戻ってきても街には街の遊び方がある。僕らの遊びは終わらない。
次はフリスビーゴルフである。
クィーンズタウンの公園にはフリスビーゴルフのコースがある。
ボクはゴルフをやらないが、このフリスビーゴルフは好きだ。
ゴルフだって、右に左に自由自在に打てるようになったら面白いスポーツだと思う。ただそこへたどりつくためには、かなりの時間とエネルギーが必要だ。
オッサンがこう言った。
「聖のオッサン(オッサンはボクの事をこう呼ぶ)かてゴルフ始めたら絶対ハマルでえ」
ボクもそう思う。なのでボクはゴルフをやらない。ただでさえ遊ぶのに忙しいのにこれ以上趣味を増やすわけにはいかない。
その点フリスビーゴルフはフリスビーを普通に投げられれば誰でも楽しめる。子供も一緒に遊べる。ボクは深雪を何回か連れていったが、かなりお気に入りだ。何といってもタダというのが良い。こういう所で手軽に遊べるのがこの国の良さだ。
クィーンズタウンのコースはちゃんと18ホールあり、ホールごとに名前とパーが決まっている。ルールはゴルフと全く同じだ。
ロングホール、ホールインワンを狙えるホール、打ち下ろし、打ちあげ、右曲がり、左曲がり、木の間を通すホールなどなど、地形をうまく使っている。
デザインした人のセンスが良いのだ。この国の人達はこういう自然の中で遊ぶことにかけてバツグンのセンスを持っている。
フリスビーの種類もいろいろあって。ドライバー、アイアンにあたる中距離用、パター、オールラウンドもある。
ウマイ人になるとバッグの中に何枚も持ち歩き、その場所ごとでフリスビーを使い分ける。ゴルフでクラブを使い分けるのと同じだ。
一度トーナメントに出たことがあるが、出場者60名の中で、一枚のフリスビーだけで参加してるのはボクだけだった。
せっかく良いショットを出しても次の1mのパターを外すこともある。マグレのホールインワンだってある。精神状態にかなり左右されるのもゴルフと同じである。
ボクはヒマさえあればエーちゃんと、男の意地とパブのビールを賭けて公園に通う。オッサンが居るときはもちろん3人で勝負だ。
ちなみにエーちゃんとの対戦成績はボクの46勝7敗ぐらいである。よっぽど調子が悪いとボクが負けるが連敗したことはない。連勝記録は13勝ぐらいだ。



そんなフリスビーゴルフへリオを連れてきた。
だいたいボクは初めての人とやる時は本気を出さない。こっちは何十回とやっているので勝ってあたりまえだ。だがリオはなかなかセンスが良く、こちらも真剣にやらないと負けそうな腕前である。
「オマエ、本当に初めてかあ?それにしては上手いな。エーちゃんよりも上手いかもしれないぞ」
「そうですかあ?」
「ホントだよ。エーちゃんは去年始めた時はヘタクソでなあ、毎回オレにビールをおごり続けたんだから。そのおかげで今はだいぶマシになったけど、オマエには勝てないかもしれないなあ」
エーちゃんが聞いたらさぞかし悔しがるだろうが、事実なのだから仕方がない。
こういうヤツがちょっと練習したら、たちまち上手くなってボクに勝ってしまうだろう。こっちが連戦連敗のエーちゃんになってしまう。リオが旅人で良かった。
なんとかリオに競り勝ち、地元ローカルの面目を果たしたボクなのであった。

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チャリンコ野郎達 4

2010-05-27 | 
仕事の合間の休み、僕らはスキッパーズ・キャニオンに向かった。
ここではマウンテンバイクのダウンヒルができる。
殺伐とした真っ茶色のタソックの山々。その谷間に続く1本の細い道。景色はバツグン。
以前に僕もやったが、この辺りでは文句なし、一番のコースだろう。ただしここは料金後払い、下った後には長い登りが待っている。だが誰かがドライバーになってくれれば、ダウンヒルの美味しいところだけ味わえる。
リオの自転車は装備が多くダウンヒルには向かないのでエーちゃんのマウンテンバイクを借りる。サスペンションは前だけだが前後ともディスクブレーキ。景色を見ながらゆっくり下るにはこんなバイクが良い。
峠のてっぺんでリオを下ろすとヤツは嬉々としてコースに入っていった。リオの喜ぶ声が谷間に響く。
途中で車を停め、ヤツが下る様子を谷のはるか上から眺める。楽しそうである。よしよし。
僕はここに住むプロのガイドである。この場所をどうすれば楽しく遊べるか知っている。
そんな楽しみを人に分けてあげたい。遠くから来た人に楽しませてあげたい。その日の天気を読み、客人の技術、体力、経験、装備を知り、行き場所と行動を決める。今日、ここでのマウンテンバイク・ダウンヒル、これがアウトドア・ガイド流のもてなしだ。
人をもてなす心。これこそが茶の心であり、日本の文化の本質にあるものだ。
お互いに信頼し合い、幸せというものをシンプルに考え行動する。
『あんたハッピー、わたしハッピー』これが今の僕の目標である。
自分の幸せというものが誰かの不幸せの上にあるのではなく、そこに居合わす人が1人の例外もなく幸せになっていること、これが大切である。
ただしその幸せとは自分が決めるんだよ、という条件が付く。
今の僕らがまさにそうである。喜んでマウンテンバイクに乗るリオ。それを見ていてうれしいボク。あんたハッピーわたしハッピー、とてもよろしい。
下へ降りると間もなくリオも降りてきた。ヤツの目はランランと輝き、『充実してるぞ』オーラがあふれている。
「いやあ、楽しかった。もう最高!」
「そうだろう。まだまだ先はこれからだぞ」



バイクを車に積んで、スキッパーズロードを行く。切り立った崖に車一台分の道が続く。真下にショットオーバー川が流れているのが見える。
「いやあ、ここはすごいですねえ」
助手席のリオがため息混じりにつぶやく。
「ここは昔、金鉱掘りの人が作った道なんだ。当時は馬車でここを通っていたんだよ」
車の運転をしていたら、景色もゆっくり見られないが、ドライバーがいれば別の話だ。
川へ降りて石を投げ水切りをしたり、スキッパーズのキャンプ場でフリスビーをしたり、ボク流のもてなしをリオは喜んでくれた。
帰るときに道ばたの草むらで赤いツブツブを発見。「ん?」ボクは車をバックさせると、そこにはたわわに実をつけたラズベリーの群生。
「オイ、リオ、車から降りろ」
「これって・・・」
「ラズベリーだよ、ウマイぞ」
ボクは車から飛び降りると、手当たり次第に取ってムシャムシャ食い始めた。リオも大喜びで食いまくる。
ボクは車の中を探したが、こんな時に限って入れ物が何もない。ビニール袋でもあれば持って帰ってジャムでも作るのに。
「リオ、入れ物がないから食いたいだけ食えよ」
僕らはしばし無言で、取っては食い食っては取り続けた。
こんな予想外の展開、うれしい発見。知ったつもりになってはいけないニュージーランド。この国の奥はとことん深い。リオもそれはしきりに感じているようだ。
「このスキッパーズは、トーマスとミホコと一緒に来たんだけど、ヤツはここでこの国にやっつけられちゃったんだよ」
「そうですか、なんか分かるような気がするなあ」
帰り道では下りの長い区間を選び、再びマウンテンバイクでリオは行く。ボクはゆっくり車を走らせる。同じ道を通るのでも車で移動するのと、自分で風をきっていくのでは明らかに違うはずだ。
自分がやったら楽しそうだな、ということをやらしてあげる。もてなしもてなし。

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チャリンコ野郎達 3

2010-05-26 | 
1月の終わりにリオが来た。
ネルソンに住む知人からメールが来て、彼の事は知っていた。
自転車で世界一周旅行をしている若くて活きのいいヤツがいる。クィーンズタウンへ行ったらよろしく頼むというメールだ。
僕はその時、今シーズン最大の目玉、NHKのドキュメンタリーロケの手伝いをやっており、何日か家を空けなければならなかった。
移動中のリオとはうまく連絡がとれなく、彼から電話があったのも山に入る直前のことだった。フラットメイトのエーちゃんに全てを任せ僕は山に入った。
まあ会えないならばそれまでの縁だろうと軽く考えていたのだ。
撮影の仕事はとにかく時間がかかる。普通なら3日で歩くルートバーンも今回は5日間をかけた。それもこれ以上ないという天候に恵まれての5日間である。
天気に恵まれなかったら1週間にも10日間にもなる。実際ボスのリチャードはそれを考え10日位の食料を用意していたのだ。
僕の仕事はポーター兼その日のキャンプ地探し。撮影隊より先行して、その日に泊まるキャンプ地を探すというものだ。
今回のロケでは公共の施設は使えない。おまけにルートバーンはグレートウォークなのでキャンプをするのもトラックから500m以上離れなければならない。
重い荷物をトラックに置き、草をかき分けながら8人が快適にキャンプを出来る場所を探す。ハードだが、人の全く来ない展望の良い所でキャンプができるというボーナスがつく。
そんな5日間を終え、ビールを求めフラフラと家に戻ると、リオが僕の帰りを待っていた。
自転車に乗って、日本一周、台湾、オーストラリアを何ヶ月もかけて周り、ニュージーランドの旅の途中にクィーンズタウンにやってきた。
http://ameblo.jp/gwh175r/
ヤツのエライ所は世界一周という壮大な計画をたてながら、きっちりと最初に1年近くかけて日本一周をやっていることだ。
最初から外の世界に目を向けるのではなく、最初は自分の生まれた国をしっかりと自分の足で回り自分の目で見ている。
内なる探求ができている。その上で外の世界を見てやろうという強い意志が見える。
人間という物はまず外に意識が働く。旅を考えたときにまず海外へポンと来てしまう。18の時の僕がそうだった。
外の世界から、違う視点から自分のいる場所を見るのは悪くない。むしろ大切な事であろう。ただ外の世界にだけ気をとられると内側の美しい点が見えなくなってしまう。
18の時の僕はニュージーランドから日本の醜さだけを見て、日本が嫌いになっていた。それが間違いなのだと気が付くのに十数年かかった。
ともあれ20代のリオは無意識のうちにそういうハードルはクリアーしているようだ。
フラットメイトのエーちゃんに任せておいたのだが、「そういうことなら、ぜひとも何日か待って、聖さんに会っていったほうがいいよ」という言葉でこの家に数日間、居候の身となり僕の帰りを待っていた。



僕らはお気に入りのテラスでビールを開けた。ハードな山旅の後はいくらでもビールが入る。
「そうかケトリンズでトモコに会って、テアナウでトーマスに会ったか。じゃあ話は早いな」
「はい。トーマスさんの所ではこれを預かりました。」
ヤツはバッグから何やらゴソゴソと取り出した。
それは数年前、自費出版ならぬ家内制手工業出版した『あおしろみどりくろ』であった。
トーマスがページを作ってくれて、僕がそれをコピーして穴をあけヒモを通して本にした。この世に40冊ぐらいしかない貴重な本である。
本に旅をさせてあげたい、そんな気持ちで綴った本が、旅の途中にいた。
「いやあ、そんなの持ち歩いて重たかっただろ」
「これはですね、いいですよ。僕のバイブルです。これはニュージーランドを旅する人に読んでほしいですね。だから『この人だ』と思う人に出会うまで僕が運びます」
「そりゃありがとう。キミと一緒に旅をさせてくれ。そんで『この人だ』と思う人に会ったらヨロシク伝えて下さい。クィーンズタウンかクライストチャーチに来るときには家に来てねって」
「ハイ、分かりました!」
「それで、キミのことを何と呼べばいいのかな?リョウヘイ君?ニックネームはあるの?」
「それがですね、自己紹介するときはリョウと言っているんですけど、こっちの人には言いづらいらしくてリオになっちゃうんですよ」
「いいじゃん、それ。リオっていい名前だし、そっちの方が覚えやすいよ。それにリオってどういう意味か知ってる?」
「いいえ、知らないです」
「リオってスペイン語で川って意味なんだよ。流れる水のごとく、オマエさんにぴったりじゃんか」
「うわあ、それいいですね。そうしよっと」
「じゃあリオ、名前が決まったお祝いだ。カンパイをしよう」
僕は次のビールを出してきた。日は傾いてきたがクィーンズタウンの宵は長い。目の前の湖の彼方から蒸気船が黒い煙を吐きながらやってくる。話はつきない。ビールもつきない。幸せな一時だ。
「それでリオ、この辺りはどこへ行った?ミルフォードも行ったか?」
「行きましたよ。それがですねえ、ミルフォードへ行くときは曇っていて真っ白で何も見えなかったんです。」
「そうかあ、あの道をなあ。そりゃもったいなかったなあ」
「それでトンネルがあるでしょ?」
「あるある」
「あのトンネルを越えたら、青空がばーんと広がっていて、あの景色が全部見えて、感動しました」
「そりゃすごい。それは最初から全部見えるより感動するよ、絶対。」
「いやあ、あの時は言葉にならなかったですね。」
「そうだろう。どうだ?やっつけられたか?」
「やっつけられました」
「あそこはたまにそういうことがあるんだよ。オレも何十回もミルフォードへ行ってるけどいつも車だしなあ。いやあその感動はオマエだけの物だよ。いい経験をしたな。」
「ハイ。帰りはトンネルのこちら側も全部見れて。はあ、こういう所を通ってきたんだなあって」
「ウンウン、よかよか」
時として自然は思いもかけないプレゼントを用意してくれる。そこへたどり着くため人間が努力をした分、感動は大きくなる。あの山道を景色も見えない中えっちらおっちら漕いで、暗くて長いトンネルを抜けた後の別世界。車では絶対に味わえない感動があるはずだ。こういった感動がその人をさらに大きくする。
まもなく仕事を終えて帰ってきたエーちゃんも加わり、ビールはワインへと代わり男達の夜は更けていった。



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チャリンコ野郎達 2

2010-05-25 | 
そんな絶好の景色の家に、南島を回っている山小屋がやってきた。
ヤツはこのテラスで「うお~、なんまらすげえ」と叫びながら写真をパシャパシャ撮っている。
僕はビールを出してきて、ヤツに手渡して言った。
「どうよ?この景色?」
前回ヤツはユースホステルに泊まり、僕がそこへ遊びに行ったのだ。ユースは湖のすぐ脇にあるのでこんな景色はない。
「いいねえ。うわあ、オレ幸せ。こんな景色見ながらビール飲めるなんて」
「そこだ!その感覚、それを味わうためにオレ達は生きてる。今、この瞬間、一番大切なことは、オレがいてオマエがいてこの景色があり、2人でビールを飲んでいる。シンプルだが大切だろ?」
「うんうん」
「この感覚って、山歩きとか、パウダースキーに共通してると思わないかい?」
「確かにそうかもしれないな。うわあオレ、幸せだあ」
「よかよか」
おっさんもそこに加わり、さらにビールは進み、山小屋クィーンズタウン到着の夜は更けていったのだ。
ちょうど山小屋が来ている数日間、僕は休みだった。天気も良いときている。
これは神様が「せっかく人が遠くから来ているのだから、たっぷり遊んでもてなしをしなさい」と言っているようなものだ。こういう啓示には素直に従うべきである。
僕らはそれから数日間、山に登ってビールを飲んだり、軽いハイキングに行ったついでにワラビを取り(その後のアク抜きは山小屋がやった。ヤツはマメな男だ)それをつまみにビールを飲んだり、フリスビーゴルフに付き合わせた後パブに行き(僕らの間のルールでは負けた人がビールをおごることになっている)ビールを飲んだり、家のテラスで山に沈む夕日を見ながら七輪でラム肉を焼きながらビールを飲んだりした。



次に会ったのはKさんである。Kさんは60に手が届くであろう年齢で、1人で南島縦断の旅をしていた。
ツアーの途中、僕はお客さんと一緒だったのだが、峠のてっぺんでうまそうにタバコをふかしていたKさんと話が始まり、連絡先を教えクィーンズタウンの家に招いたのだ。
話を聞くと、ドイツなどでも1人で自転車で回ったと言う。
Kさんの目は生き生きと輝き、中年特有のくたびれた感じはなく、体全体から『オレはやってるぜ』というオーラがあふれていた。
日程の都合上、Kさんは1回だけ食事を共にしただけだが、僕らは良く飲み良く食らい、楽しい一時を過ごした。
夏も中盤にさしかかった頃出会った、と言うより見かけたのは自転車で回っているであろう、1人の日本人男性だった。
僕はその時、お客さんを連れてキーサミットという所のハイキングを始めるところだったが、自転車を降りた彼にはとても話しづらいオーラがただよっていた。
『自分はこの足で回っているんだぞ。あんたたちのように楽してここまで車で来たんじゃない。一緒にしないでおくれ』というような雰囲気が感じられた。
彼もそこからハイキングを始め、歩く行程もほぼ一緒。彼はぼくらの少し前を行く。僕らはゆっくり歩くのだが、彼も写真を撮りながら行くのでつかずはなれずといった感じでキーサミットに登った。
頂上でも彼は『自分はがんばっているんだぞ』オーラを出しまくり話しかける余地を与えない。
僕はガイドなのでどこにどういうコースがあり、どう歩けばよりこの国を楽しめるかを知っている。
話をすればそういった情報をあげられるのだが、彼は自分でカラを作ってしまった。
こんな時、山小屋ならば軽~い挨拶から始まり、現地ガイドから貴重な情報を得られるだろう。
さらにヤツならば自分の経験を面白おかしく話にして、他のお客さんとも仲良くなり「アラアラ、あなたがんばってるわね、まあこれでも食べなさいよ」とおばちゃんたちがハイキングの時に常備している日本のお菓子をご馳走になるであろう。
旅のやり方は人それぞれなので、何が正しくて何が間違っているということはない。
ただ僕はその人を見て、悲しいなと思った。

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チャリンコ野郎達 1

2010-05-24 | 
南半球、ニュージーランドに秋がやってきた。
今年の夏も様々な人達との出会いがあったが、自転車で旅する日本人が印象に残った。
ここ数年、ニュージーランドへ旅する人の形態が変わったような気がする。
お仕着せのツアーから、今までとはちょっと違う目的意識を持った人が多くなった。
山が好きだから、自然にどっぷり浸りたくて、のんびりしたいから、自分の足で周ってみたい。そういう人が増えてきた。
今までも自転車でこの国を旅をする人はいたが、ほとんどはヨーロッパ人で、日本人が大きな荷物を自転車の両側にくっつけてエイコラこいでいる、というのはあまり見なかったのだ。



春には北海道でガイド業を営む山小屋がやってきた。
山小屋という二ックネームで、彼の店は『ガイドの山小屋』という。その名前だけでボクならフラフラ引き寄せられてしまう。
http://www.yamagoya.jp/
山小屋とは2年前に初めてクィーンズタウンで出会った。
インターネットを通して知り合い、彼のウェブサイトからその人なりを予想していたが、それは裏切られることなく、初日から僕らは旧知の間がらのようなつきあいを始め、数日後には兄弟と呼び合うようになった。
年も体型も同じ。自然観や物の考え方も酷似していて、とても他人のように感じられないのだ。
山小屋はクライストチャーチの自宅に居つき、1週間ほど過ごしただろうか。
深雪もすぐに山小屋になついた。親父と同じ臭いがしたのだろう。
その間に一緒にスキーに行ったり、マウンテンバイクを乗りに行ったり、庭の手入れを手伝ってくれたりと家族同様に時を過ごした。ヤツのおかげで家の庭は見違えるほどにきれいになった。
山小屋が家を去るときには、娘の深雪が心配して泣き出してしまったほどだ。



その後、ボクは夏の仕事を始めるためクィーンズタウンへやってきた。
今年のフラットは景色が良い。
去年までは丘の一番てっぺん、だが景色は松林だけ。他の家の影で湖は見えず、ただ単に標高が高いだけという家だった。
通りの一番奥だったので他人が入って来ず、のんびりするのにはよかったが景色は家からは直接見えなかった。
今年は家のリビングからダイニングから、どかーんと湖が広がりパノラマビューで山々が見える。
空港から町へ行く途中でドライバーがサービスで立ち寄る場所。誰もが「わあ、きれい!こんな場所で暮らせたらいいわね」というような家だ。
僕も時々車を停めてお客さんに写真を撮ってもらう。その場所からこの家は丸見えだ。
だが通りからちょっとだけ離れた場所にあるのでプライバシーも確保されている。
さらにテラスもあり、『どうぞ、ここでビールを飲んでください』というようにテーブルとイスが置いてある。
隣の家ともほどほどに離れていて、とにかくいい感じの家なのだ。



フラットメイト(同居人)は二人。大阪のおっさんと、地元土産屋で働くエーちゃんである。
おっさんとは数年前からのつきあいだが、日本のスキー業界で働いているので今まで会った人が繋がる繋がる。会って数日で僕らはソールメイトと呼び合うほど親しくなった。
おっさんは日本の冬はどこかのスキー場でインストラクターをしているので、日本の冬が始まる頃になると日本へ帰る。夏にクィーンズタウンに来るボクとはすれ違いになるが、それでも一緒の時はフリスビーゴルフをやってビールを飲んだり、山へ歩きに行ってビールを飲んだりしている。
このおっさん、失敗は数知れずやっているが後悔は無し、というスーパーポジティブなおっさんで、とにかくよく酒を飲む。
「しゃあないやん」が口癖であり、こういう人と議論をしてもムダだ。何を言おうと最後には「しゃあないやん」で落ち着いてしまう。そうなるとこちらも「せやな、しゃあない、しゃあない」となってしまう。僕が一番好きな大阪弁である。
 もう1人、エーちゃんは去年からのつきあいである。この人もスゴイ人だ。
 どうすごいかというと、エーちゃんは数々の失敗をやっているが、それらを全て笑い話のネタにしてしまう。かなり痛い笑い話も多々ある。
 オッサンとエーちゃんの話は、この2人だけで話が一つできあがるぐらいだからとっておこう。
 ここ数年は毎年おっさんのフラットをクィーンズタウンの宿としている。非常に居心地が良い。
 今年は以前のフラット(景色なし)を追い出されて、代わりに不動産屋が用意したのがこの家だ。
 多少家賃は上がるが、この景色があると思えば安いものだ。
 ぼくはシーズン中、かなり多くの時間をこのテラスでビールを飲みながら、時に本を読み、時にギターをつまはじき、時にボンヤリと雲を眺めて過ごした。

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マジックハンド

2009-12-11 | 
僕のかかりつけの整体師でオノさんという人がいる。
クライストチャーチに20年ぐらい住んでいて、街中でクリニックを開いている。
数年前に腰をやってしまった時に友達から「腕の良い人がいるよ」と聞かされ、彼のクリニックを訪ねてみたが、その時はたまたまクリニックを閉めていて会うことはできなかった。
人との出会いは来るべく時にやってくる。
去年、クィーンズタウンで飲みに出た時、帰る前にもう一杯やっていこう、と寄った店にオノさんが居た。
僕は友達と一緒に飲んでいたのだが、トイレに行った時にオノさんと隣り合わせになり話が始まった。文字通り、臭い仲となったわけだ。
10分後、僕らは10年来の友達のようにカンパイを重ねた。
話し始めてみれば繋がる繋がる。自分の知り合いや友達の多くがオノさんの知り合いで、今まで出会わなかったのが不思議なくらいに人間関係が繋がった。
話が進んで気が付いた。キャッスルヒルでも、スプリングフィールドの宿でも、僕らは何回も出会うチャンスがあったが、その時には会えなかったのだ。
何かを追い求めている時にはなかなかたどり着かない。だが自分がやるべきことをやっていると追い求めていた物が向こうからやってくる。
オノさんとの出会いはまさにそれだ。

オノさんは年に数回、クィーンズタウンへ出張マッサージに来る。
毎回1週間ぐらい友人の家に泊まり込んで、その家でマッサージをおこなう。
その友人というのも僕の20年来の友達なのだから笑ってしまう。
その時にはどこも悪いところはなかったが、この機会にやってもらうことにした。
飲みながらオノさんがスケジュールをチェック、僕の休みの日とオノさんが空いている日がぴったり一致。
望んでいたこともその時が来れば、とんとん拍子に事は進む。
指定された日に僕はフラットメートのオッサンと一緒にオノさんを訪れた。
フラットメートのオッサンはこれまた面白い人で、この人の話を書き始めたら止まらないだろうから次の機会に取っておく。
ネタは小出しにしなくては。

マッサージ用のベッドにうつぶせになり、オノさんがグイグイとマッサージをする。
正直言って痛い。痛いが効く。グイグイと押すたびに僕は、あへぇ~、ぎあ~、うう~、などとうめく。
オノさんはマッサージの間、ベラベラとよく喋る。こっちはあちこち押さえられ、「うう」とか「ああ」とかしか言えないが、オノさんはその間喋りっぱなしだ。
これだけベラベラ喋られて、イヤな気がしないのは人徳なのだろう。
オノさんの指がグイグイと背中を押しながら移動する。
自分でもだいたいどこが痛いのかは分かる。
この先へ行けばもっと痛いだろうなあ、この辺で止まってくれないかなあ、という場所で指が止まった。
ホッとするのもつかの間、オノさんが嬉しそうに言う。
「あっ、み~つけた。ここだ。ここは逃がさないよ」
そしてグリグリ。
「あひ~、痛い痛い、まいったまいった。勘弁してください」
オノさんが力を抜く。僕も力を抜く。はあ~。そして恐ろしい質問をする。
「あの、これって反対側もやるんですか?」
「当然でしょ。右もやったら左もやる。でないとバランスが取れないでしょ」
「まあ、そうだけど・・・」
そしてグイグイ、グリグリ。僕は再びうめき声を上げる。
仕上げは整体だ。
マッサージを受けてグニャグニャになっているところで、ボキボキと骨を入れてしまう。
ここまでくると、やられ放題、されるがままに、無条件降伏。「もう、オノさんの好きにして」という感じである。
整体はあっというまに終わる。だがここまでのプロセスが大切なのだ。
クライストチャーチのクリニックだと、この後電気のマッサージ椅子が入る。

オノさんのマッサージは痛い。痛気持ちいいというか、病みつきになるような痛さだ。
ただ闇雲に痛いのはイヤだ、という人はこのマッサージは向かないと思う。
マイナスなしのプラスはありえない。
痛いのを受け入れて体を治すぞ、という自分の意志が必要だ。
この痛みは病気や怪我などの不安になるような痛みとは種類が違う。
その時は叫ぶぐらいの痛さでも、確実にこの後良くなるのが分かる痛さである。
以前、腰を痛めてからそれがクセになってしまい、あちらこちらのマッサージに行った。カイロプラクティスにも行ったし鍼も打った。
ただ、どこへ行ってもオノさんほどの満足感は得られなかった。
それまでは悪いところがあるから、どこかへ行くということを繰り返していたが、今は良い状態を持続するためにボクはオノさんの所へ通う。
「そうなんだよね。すごく悪い状態を治すには時間も手間もかかるけど、ちょっと悪いぐらいの状態ならばちょっとだけの手間で済む。良い状態で来てくれれば悪くならないようにできるからね。」
悪くなったらそこだけを見て治す、というのは西洋の医療だと思う。
オノさんの施術はそれより一歩進んで、体全体を見てバランスをとりながら治す。そして悪くならないようにという予防医療へ繋がる。

毎年毎年シーズンの始まりには、体は大丈夫かな?という不安を持ちながらシーズンインを迎えていた。
体が資本の商売である。体が壊れれば即おまんま食い上げだ。
オノさんに会ってからは、不安を抱えることなくシーズンに入れる。
精神的にも大きな違いである。
自分がやってもらって、あまりに良かったものだから僕は周りの友人、特にボクのように体を使ってやる仕事をしている人に勧めている。
ある人はすぐに予約を入れてやってもらうし、ある人は「まあそのうちにな」などと言ってやめてしまう。
ここで大切なことは、本人が「よしやってみよう」という気持ちを持つことだろう。
EM教の話でも書いたが、どんなに良いシステムがあろうと本人がやってみようと思わなければ何も始まらない。
逆に言えば、やってみようと決意した時点である程度は事は進んでいるのだろう。

さてそのオノさんの施術の気になるお値段は。
1時間のマッサージフルコースに華麗なしゃべりがついて$90。
毎度ありー チーン。
これがクィーンズタウンだと$130である。
ボクは最初はクィーンズタウンでやってもらったが、その時は$130でも安いと思った。
保険は効かない。
ニュージーランドではカイロプラクティスや針、フィジオと呼ばれる整体などは初診料だけで、ACCという保険のようなものがあり基本的にタダである。
タダで体を治してもらおうという人はそういう所へ行けば良い。
ボクはオノさんにやってもらう度に喜んでお金を払う。
プロの仕事にはそれなりの報酬というものがつくのだ。
腕の良い人はそれなりに稼ぐ。
だからプロのスポーツ選手は何億円も稼ぐのだし、ゴルゴ13などは鉄砲一発撃つだけで何千万もの報酬を得る。
そういう意味でオノさんはプロである。
体が資本の僕らが1年に2,3回やってもらって$300ぐらいで、体の調子が良く精神的に伸び伸び仕事が出来るのなら、そんな金は安いものだ。
そういう所をケチってはだめだ。
今の世の中、お金を払うことが損をするような風潮があるが、喜んでお金を払う物事もまた存在するのだ。

長々とオノさんの事を書いてしまったが、別に頼まれて宣伝をしているわけではない。
自分が良いと思うものを、人に伝えたいだけである。
ボクはオノさんの手をマジックハンドと勝手に呼んでいる。
最終的には一言。
「行けば分かるよ」

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