あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

いただきます

2010-08-24 | 
親友というか、兄弟というか、分身というか。
山小屋という男がいる。
この男のガイド日誌、実に良いことを書く。
以下、勝手に引用。

まだまだ暑い日のつづく美瑛ですが、それでも確実に秋に近づきつつあります。
気温は30℃を目前に頭打ち。朝晩はすっかり涼しくなりました。
夏の収穫が終盤をむかえて、暑さが残るものの畑の風景もどこか秋らしくなっています。秋空の雲が浮かび、夕焼けはあかね色に染まります。 
まちがいなく秋がすぐそこまで来ていますね。
これから北海道はおいしいものが次々と登場してきます。
十勝岳山麓では天然のマツタケが採れ始めたようですし、まもなく秋鮭も店頭に並ぶでしょう。品薄が心配されているサンマだって、あとひと月もすれば店頭に溢れだすに決まってます。
オーイエ!

食べるといえば、みなさんは「食べ物」に感謝をしていますか?
ちゃんと「いただきます」って言ってますか?
最近、こんな記事を目にしました。
食堂でいただきますと言うのはおかしい。なぜかというと、店のひとが客に感謝をするべきで、客が感謝するのはおかしい。
うちの子には給食のとき「いただきます」と言わせないでほしいという母親。理由は、「給食費を払っているのだから」

ふぅ・・・。

いただきますという言葉。作ってくれたひとをねぎらうという意味も多少はあるんですけど、それ以前に、食べ物への感謝だと思います。
たとえば魚。私のために死んでくれてありがとう。残さず食べて死を無駄にしません。
たとえば米。収穫されてくれてありがとう。おかげで1日の命をつなぐことができます。
食べるということは植物なり動物なりの誰かが死に、その代償に私たちの命をつなぐということじゃないでしょうか。そこに感謝があると思います。 

さいきんは登山も、1日でも予定日を過ぎたら遭難事件として大騒ぎになりますから誰もが何がなんでも下山しようとするので「食糧が尽きた!」という経験をする方はあまりいらっしゃらないかもしれません。
でも、食糧が尽きたら、それこそ恐怖。
かなり心細い。

僕の経験を書きます。
一昨年の秋、僕はひとりでオーストラリア大陸を自転車で横断しました。
僕が漕ぐ自転車が、オーストラリア南岸のナラボー平原に突入してからは、食糧の補充がとても困難になりました。ナラボー平原、何しろ1000km以上にわたって町がない、ほとんど人が住んでいないのですから。
そのかわり、野生のカンガルーがやたら飛び跳ねています。ウサギもすごい。野生のラクダまでいます。それから何億匹のハエ。
ハエは何匹か食べた(口に飛び込んでくる)けど、栄養にはならないです。(苦)
1日1日と手持ちの食糧がどんどんなくなっていきます。往来する旅行者に水を供給する公共の水タンクが1日おきにあったので水の補給はできましたが、食糧の補充には困りました。
ひたすらまっすぐの道と、土漠が続きます。
自転車に積めるのは1週間分だけ。それを20回分に分けて少しずつ食べることになります。新鮮な肉や野菜はなく、サプリメントや粉末ジュースで代用しました。
それから、とっておきの場合にサーモン缶。それから日本のラーメン「出前一丁」。
米は、一握りしか残っておらず、最後までとっておくことにしました。(後日役立ちました)
ガソリンスタンドを見つけたら、嬉しくて嬉しくて。
ガソリンスタンドには必ずテイクアウトがあるんです。せいぜい5~6品ですが、それで十分!
必ず「ハンバーガー」または「ステーキサンドイッチ」を頼みました。
涙がでるくらい嬉しかった。胃袋も喜ぶし、手持ちの食糧も1日分、ストックが残されますから。
1回1回の食事がとても貴重でした。
自然と、「いただきます」の言葉が口から出ました。

さて、秋の北海道。
おいしいものが巷に溢れますね。楽しみー!
心をこめて言いたいと思います。いや、叫びたい。
「いただきます!」






いただきますとは、『命を頂きます』なんだよな。
南半球の我が家でも、庭の野菜、手作り納豆のご飯を『いただきます』
コメント
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