お酒
2012-06-11 | 日記
以前コーヒーの話でもちょっと触れたが、お酒も人間が認識していないドラッグである。
まずドラッグというと即、麻薬、恐ろしい物、人間やめますか、という式がある。
これはマスコミによる洗脳であり、人々が気づくべき点だ。
麻薬撲滅運動などという言葉を聞いたことがあるが、はっきり言おう。
人類が存在する限り、麻薬はこの世からなくならない。
チョコレート、コーヒー、お茶、紅茶、お酒抜きの生活が考えられるだろうか?
ドラッグとは嗜好品であり薬であり毒にもなるものだ。
そしてこの世に良いドラッグ悪いドラッグは存在しない。
違法か合法かは時代背景や世論で変わる。
昔、禁酒法という法律があったのを知っているか?
その結果、マフィアが大儲けすることになった。
こんなバカなことをするのは、さすがアメリカである。
今の世界でお酒を禁じたらどうなるか?
たくさんの人が職を失い、悪の組織は金を稼ぎ、人々の生活は味気ないものになる。
コーヒーが新世界から持ち込まれた時に、悪魔の飲み物として禁じられた。
大麻草は日本古来から宗教の儀式にも使われてきた神聖な植物だが、世界のほとんどの場所で法律によって禁止されている。
アンフェタミンン、シャブやスピードは今では違法だが、アメリカやソビエトでは政府によって奨励されていた時代もあった。
タバコがヨーロッパに渡った時、いくつかの国ではそれを撲滅するために使用者は死刑された。
法律なんてのはそんなものだ。
再び言おう。ドラッグに良いドラッグや悪いドラッグはない。
正しい使い方があるか間違った使い方があるか、それだけである。
これを元にお酒のことを書きたいと思う。
ボクはお酒が好きである。
喉が渇いた時のビールはたまらなく旨い。
美味いワインとチーズの組み合わせは最高であり、刺身に一番合うお酒は日本酒だと思う。
この世で一番酒が美味いシチュエーションは山の上のビールだし、納得のいく仕事ができてお客さんがハッピーだった時に飲むお酒は最高に美味い。
気の合う仲間とワイワイ飲む酒が又良い。
お酒は人間関係を円滑にしてくれるドラッグであり、百薬の長である。
飲み方によっては。
同時にお酒は生活を破壊し、人間関係にひびを入れ、体を蝕む可能性もある。
これも飲み方によっては、である。
いかに人間がこのドラッグと付き合うかによる。
お酒に限らず全てのドラッグは幸せな状態をより高めるためのものである。
自棄酒(やけ酒)や、飲んで忘れる、飲まなけりゃやってられない、などとという言葉を聞いた事があるだろう。
これは正しいお酒の飲み方ではない。
人生にはいやな事やつらい事は多々ある。
酒の力で一時的に酔って忘れても、酔いが醒めれば依然その問題は残っている。
酔う事で何も解消しない。
醒めてその事を思い出し、再び酒に走ってしまう。これはどうしようもない悪循環だ。
逆に言えば、普段の人生で常にハッピー、常に幸せな状態ならばお酒を飲んでさらにハッピーになれる。
ボクは自分の人生をそう心がけている。
お酒はあくまで明るく楽しく飲むものだ。
それから個人差。
例えば一升のお酒を飲んで平気な人もいれば、ビールをコップ一杯で倒れてしまう人もいる。
これはお酒に限らないが、全てのドラッグの摂取は自分で決めるべきだ。自己責任である。
「俺の酒が飲めないのか」という言葉はお酒を飲む時の最悪なものだ。
日本の悪しき習慣だが、これはある意味、脅迫である。
そういう人とは・・・一緒に飲まないに限る。
日本にはお酒=ドラッグという観念が無い。
なので下戸の人は宴会の席では肩身の狭い思いをすることもあるという。
飲めない人、酒が弱い人を蔑んで見る態度は明らかに間違っている。
逆説だとお酒が弱い人は経済的に酔うことができて安上がりではないか。
確かに豪快にお酒を飲む人は豪傑というようなイメージはあるが、人には個人差があるということを忘れてはいけない。
故にボクはお酌というものが好きではない。
宴会で上司の機嫌を取るためにお酌をする、ということなど考えられない。出世はできない。
綺麗なお姉ちゃんにお酌をしてもらうのもたまにはいいが、それも最初の一杯か二杯。
それを過ぎると「飲みたかったら自分でやるからいいよ」と言ってしまう。
第一、お姉ちゃんのいる飲み屋なんて人生で数回しか行ったことがない。
家に来る人にもテーブルの上にお酒を並べるが、「そこから先は自己責任でやってくれ」と言う。
またお酒はコントロールするのが難しいドラッグでもある。
『酒は飲んでも飲まれるな』そんな言葉があるぐらいコントロールが難しい。
気持ちよく飲んでいたはずなのに、いつのまにか気持ち悪くなり吐いてしまったり、ひどい二日酔いで「もう酒やめた!」なんて経験も一度や二度ではない。
今ではもうないが、若いときには飲みすぎて血を吐いたりもした。
年を重ねるごとに無茶な飲み方もしなくなったが、それでも時々羽目をはずして飲みすぎてしまう。
その度に女房は「何回やっても懲りないのねえ」と呆れている。
呆れられても「これが人間の弱みよ」などとうそぶいているが、辛いのは自分だ。
自業自得、これに勝る言葉はない。
ただボクの場合、酔っ払って人にからむことはないようだ。
ようだ、というのはボクは酔うと記憶がぶっとんでしまう。
楽しかったという事だけ覚えているが、細かい会話などはほとんど忘れてしまう。
まあ、人に迷惑をかけることなく、楽しく飲めるのだから多少の記憶が飛ぶぐらいは良しとしよう。
人によっては飲んで絡む人、さらには暴力的になる人もいる。
酒に酔ってケンカなんてのは一番たちが悪い。
偉そうに言うボクも若気の至りという時があり、クィーンズタウンの飲み屋で取っ組み合いのけんかをしたこともあるそうだ。
そうだ、というのはこれまた別の友達が教えてくれてからだ。
ボクはすっかりその事を忘れていて、ある時その友達に「あいつはなんか分からないけど気に障るんだよなあ」と話したら「なんだ、お前、覚えていないのか?」
と一部始終を教えてくれた。
まあ今ではボクもすっかり平和主義者となり、そんなこともなくなった。
第一、虫が好かないヤツとは一緒に飲まない。
気の合う人と明るく楽しく飲む、これにつきる
ただ世の中には酒を飲んで人を殺してしまうような人もいる。
こんなのは明らかにアルコールの正しくない使い方である。
それから機械の運転、特に車の運転は避けたほうが良い。
ボクもコップ2,3杯のビールを飲んで運転する事はある。
だが純粋にお酒を飲むということを楽しむのならば、飲んだ後で車を運転しなくてもよい状況の方が良いに決まっている。
世の中でどれだけ飲酒運転の事故が多いか。
これも間違った使い方だ。
そして怪我をした時には、お酒を飲むと怪我の治りが遅くなる。
病気の時も飲まないほうがいい。
第一、健康でない時に飲んでも美味しくない。
美味しくない酒は飲むべきではない。
お酒に失礼だ。
こうやって考えると、美味しいお酒が飲めるというのは、健康でいて不安が無く人生が楽しい時なのだ。
ボクは常にそう有るようにこころがけている。
そしてこれからも、小さな失敗はあるかもしれないが、なんとかこのドラッグと上手くつきあっていきたい。
今日も又、美味しいお酒をいただきます。
ありがたや、ありがたや。
まずドラッグというと即、麻薬、恐ろしい物、人間やめますか、という式がある。
これはマスコミによる洗脳であり、人々が気づくべき点だ。
麻薬撲滅運動などという言葉を聞いたことがあるが、はっきり言おう。
人類が存在する限り、麻薬はこの世からなくならない。
チョコレート、コーヒー、お茶、紅茶、お酒抜きの生活が考えられるだろうか?
ドラッグとは嗜好品であり薬であり毒にもなるものだ。
そしてこの世に良いドラッグ悪いドラッグは存在しない。
違法か合法かは時代背景や世論で変わる。
昔、禁酒法という法律があったのを知っているか?
その結果、マフィアが大儲けすることになった。
こんなバカなことをするのは、さすがアメリカである。
今の世界でお酒を禁じたらどうなるか?
たくさんの人が職を失い、悪の組織は金を稼ぎ、人々の生活は味気ないものになる。
コーヒーが新世界から持ち込まれた時に、悪魔の飲み物として禁じられた。
大麻草は日本古来から宗教の儀式にも使われてきた神聖な植物だが、世界のほとんどの場所で法律によって禁止されている。
アンフェタミンン、シャブやスピードは今では違法だが、アメリカやソビエトでは政府によって奨励されていた時代もあった。
タバコがヨーロッパに渡った時、いくつかの国ではそれを撲滅するために使用者は死刑された。
法律なんてのはそんなものだ。
再び言おう。ドラッグに良いドラッグや悪いドラッグはない。
正しい使い方があるか間違った使い方があるか、それだけである。
これを元にお酒のことを書きたいと思う。
ボクはお酒が好きである。
喉が渇いた時のビールはたまらなく旨い。
美味いワインとチーズの組み合わせは最高であり、刺身に一番合うお酒は日本酒だと思う。
この世で一番酒が美味いシチュエーションは山の上のビールだし、納得のいく仕事ができてお客さんがハッピーだった時に飲むお酒は最高に美味い。
気の合う仲間とワイワイ飲む酒が又良い。
お酒は人間関係を円滑にしてくれるドラッグであり、百薬の長である。
飲み方によっては。
同時にお酒は生活を破壊し、人間関係にひびを入れ、体を蝕む可能性もある。
これも飲み方によっては、である。
いかに人間がこのドラッグと付き合うかによる。
お酒に限らず全てのドラッグは幸せな状態をより高めるためのものである。
自棄酒(やけ酒)や、飲んで忘れる、飲まなけりゃやってられない、などとという言葉を聞いた事があるだろう。
これは正しいお酒の飲み方ではない。
人生にはいやな事やつらい事は多々ある。
酒の力で一時的に酔って忘れても、酔いが醒めれば依然その問題は残っている。
酔う事で何も解消しない。
醒めてその事を思い出し、再び酒に走ってしまう。これはどうしようもない悪循環だ。
逆に言えば、普段の人生で常にハッピー、常に幸せな状態ならばお酒を飲んでさらにハッピーになれる。
ボクは自分の人生をそう心がけている。
お酒はあくまで明るく楽しく飲むものだ。
それから個人差。
例えば一升のお酒を飲んで平気な人もいれば、ビールをコップ一杯で倒れてしまう人もいる。
これはお酒に限らないが、全てのドラッグの摂取は自分で決めるべきだ。自己責任である。
「俺の酒が飲めないのか」という言葉はお酒を飲む時の最悪なものだ。
日本の悪しき習慣だが、これはある意味、脅迫である。
そういう人とは・・・一緒に飲まないに限る。
日本にはお酒=ドラッグという観念が無い。
なので下戸の人は宴会の席では肩身の狭い思いをすることもあるという。
飲めない人、酒が弱い人を蔑んで見る態度は明らかに間違っている。
逆説だとお酒が弱い人は経済的に酔うことができて安上がりではないか。
確かに豪快にお酒を飲む人は豪傑というようなイメージはあるが、人には個人差があるということを忘れてはいけない。
故にボクはお酌というものが好きではない。
宴会で上司の機嫌を取るためにお酌をする、ということなど考えられない。出世はできない。
綺麗なお姉ちゃんにお酌をしてもらうのもたまにはいいが、それも最初の一杯か二杯。
それを過ぎると「飲みたかったら自分でやるからいいよ」と言ってしまう。
第一、お姉ちゃんのいる飲み屋なんて人生で数回しか行ったことがない。
家に来る人にもテーブルの上にお酒を並べるが、「そこから先は自己責任でやってくれ」と言う。
またお酒はコントロールするのが難しいドラッグでもある。
『酒は飲んでも飲まれるな』そんな言葉があるぐらいコントロールが難しい。
気持ちよく飲んでいたはずなのに、いつのまにか気持ち悪くなり吐いてしまったり、ひどい二日酔いで「もう酒やめた!」なんて経験も一度や二度ではない。
今ではもうないが、若いときには飲みすぎて血を吐いたりもした。
年を重ねるごとに無茶な飲み方もしなくなったが、それでも時々羽目をはずして飲みすぎてしまう。
その度に女房は「何回やっても懲りないのねえ」と呆れている。
呆れられても「これが人間の弱みよ」などとうそぶいているが、辛いのは自分だ。
自業自得、これに勝る言葉はない。
ただボクの場合、酔っ払って人にからむことはないようだ。
ようだ、というのはボクは酔うと記憶がぶっとんでしまう。
楽しかったという事だけ覚えているが、細かい会話などはほとんど忘れてしまう。
まあ、人に迷惑をかけることなく、楽しく飲めるのだから多少の記憶が飛ぶぐらいは良しとしよう。
人によっては飲んで絡む人、さらには暴力的になる人もいる。
酒に酔ってケンカなんてのは一番たちが悪い。
偉そうに言うボクも若気の至りという時があり、クィーンズタウンの飲み屋で取っ組み合いのけんかをしたこともあるそうだ。
そうだ、というのはこれまた別の友達が教えてくれてからだ。
ボクはすっかりその事を忘れていて、ある時その友達に「あいつはなんか分からないけど気に障るんだよなあ」と話したら「なんだ、お前、覚えていないのか?」
と一部始終を教えてくれた。
まあ今ではボクもすっかり平和主義者となり、そんなこともなくなった。
第一、虫が好かないヤツとは一緒に飲まない。
気の合う人と明るく楽しく飲む、これにつきる
ただ世の中には酒を飲んで人を殺してしまうような人もいる。
こんなのは明らかにアルコールの正しくない使い方である。
それから機械の運転、特に車の運転は避けたほうが良い。
ボクもコップ2,3杯のビールを飲んで運転する事はある。
だが純粋にお酒を飲むということを楽しむのならば、飲んだ後で車を運転しなくてもよい状況の方が良いに決まっている。
世の中でどれだけ飲酒運転の事故が多いか。
これも間違った使い方だ。
そして怪我をした時には、お酒を飲むと怪我の治りが遅くなる。
病気の時も飲まないほうがいい。
第一、健康でない時に飲んでも美味しくない。
美味しくない酒は飲むべきではない。
お酒に失礼だ。
こうやって考えると、美味しいお酒が飲めるというのは、健康でいて不安が無く人生が楽しい時なのだ。
ボクは常にそう有るようにこころがけている。
そしてこれからも、小さな失敗はあるかもしれないが、なんとかこのドラッグと上手くつきあっていきたい。
今日も又、美味しいお酒をいただきます。
ありがたや、ありがたや。