鮭
2012-06-24 | 食
前回のツアーの帰りにサーモンを買ってきた。
マウントクックの氷河の溶け水で育ったサーモンは絶品なのである。
いつもボクはそこを通る度にサーモンを買うのだが、今回は奮発して3匹買った。
そのうちの半身はスモークサーモン。
捌いて骨を取り塩コショウで下味をつけ、スモーカーと呼ばれるステンレスの箱で燻すこと15分。
身にはほんのりと火がとおりジューシー。
マヌカの香り良く、シンプルな一品である。
これは家族で招待されたお好み焼きパーティーで作った。
その翌日は友達家族、同僚を招いてサーモンの宴である。
頭と骨、尻尾は煮出してダシを取り、大根、人参、白菜、ネギ、豆腐を入れて汁物に。
味噌仕立ての具沢山の汁である。
皮はパリっと焼いて塩味で皮せんべい。これがビールに良く合うのだ。
一枚半の身は刺身に。これでもくらえ、というぐらい刺身を作る。
生は文句なく旨いが、熱々のご飯に埋めてご飯の熱でほんのり火が通った身も違う旨さがある。
アボガドのスライスとサーモンにちょっとマヨネーズをのせて、なんてのもありだ。
かまの部分やハラモ、尻尾の近くは照り焼きに。味付けは醤油とミリンのみ。
これまたご飯が進んでしまう味である。
大人6人子供3人犬1匹がサーモンをたらふく食べた。
物でもなんでも分け合えば余る。奪い合えば足りなくなるのだ。
サーモンを買ってきた時は、犬もご馳走にありつける。
ダシをとった後の頭や尻尾や骨は喜んで食べるし、照り焼きを作った後に鍋にこびりついた焦げ目もお湯を足し、冷ご飯を入れて一煮立ちさせるとご馳走になる。
鍋にこびりついたところには鮭の旨みが充分残っている。
犬に鍋を舐めさせればきれいになるだろうが、散歩の時に羊の糞を舐めたりしているその口で家庭用の鍋を舐めさせるのはイヤだ。
なのでゴムベラを使い犬用の皿に移す。こうすればムダ無く鍋もきれいになるし、犬も喜ぶ。
主夫の知恵だ。
我が家ではサーモンが1匹そのまま消えてなくなる。
全くムダが出ない。
とてもよろしい。
その翌日は余った刺身を醤油に1日漬けてヅケをつくり、それで再びサーモン丼。
醤油に漬けるとまた少し違う旨みになる。
炊きたてご飯の中にヅケを埋めて、海苔をパラパラ。
これまたご馳走である。
ご馳走とはそこにあるもので、最高に旨い食べ方をすることがご馳走なのだ。
さすがに鮭が3日続くと、もういいかな、と思う。
だがあと1匹まるまる残っている。
それならば、女房のリクエストにおこたえして新巻鮭だ。
我が家ではニンニクを編んで使う分だけそこから取っていくのだが、使いきったものがワラのように残っている。
これをエラの所に通せばぶら下げられる。
こういうように材料が揃っている時は「やりなさい」というサインでもある。
やり方は簡単。
塩をまぶしてぶら下げておくだけ。
塩はブレナム産の天然塩。
かなりの量の水が出るので、うちでは洗濯機の横の流しの上に木で梁を作りぶら下げた。
放っておくこと数日。
水分はあらかた流れ落ち、実は締まって良い感じである。
塩鮭というのは、当たり前だが調味料は塩だけ。
これ以上はない、というくらいシンプルな味付けである。
その分、素材の旨さで味に違いが出るのではなかろうか。
さらに女房からリクエストが出た。
「これだったら炭火で焼きたいわね」
やりましょう。その場にあるもので最高のやり方で作るのがご馳走ならば、手間暇を惜しまずにやるべき。
週末、時間もあるのでボクは炭で火を熾した。
いつものことながら炭火を熾す、というのは手間がかかる。
ガスバーナーで炭を焼き、ある程度赤くなったら七輪に移し、うちわでパタパタとあおぐ。
電気やガスのようにスイッチ一つでポンというわけにはいかない。
だがこういうことを知るからこそ、電気やガスの有難みが分かる。
当たり前の事に感謝の気持ちは生まれない。
そして手間をかけて炭火で焼いた物はとにかく旨いのだ。
せっかくの炭火なので庭から長ネギを掘り出しネギも鮭と一緒に焼く。
基本は遠火の強火。
鮭から滴る油で辺りはもうもうとする。
犬のココが物欲しげに周りをウロウロする。
そりゃ人間の何百倍も嗅覚が強かったら、この匂いだけでもたまらないだろうな。
首尾よく魚とネギが焼きあがったが炭はまだ残っている。
サツマイモがあったので網を一段高くして、火を弱め上から覆いをして焼きイモだ。
サツマイモはじっくりと火を通すと甘みが増す。
さて今日は純和食だ。
土鍋で炊いたご飯。大根の味噌汁。鳥と大根と昆布の煮物。そして塩鮭である。
おもむろに鮭を一口。
当然のことながら旨い。
何日かおいたので、たんぱく質がアミノ酸に分解されて旨くなっている。
塩加減は腹の辺り、身の薄いところはちょうど良い。
背中の辺りは気持ち塩が薄いか。
女房曰く「上品な味の塩鮭」だ。
普通に食べるには良いが、おにぎりに入れるには塩気が足りないだろう。
自分ではけっこう塩をまぶしたつもりだったのだが、まだ足りなかったか。
課題は残るが、これも自分でやってこそ。
経験に勝る財産はない。
そして炭火で焼いたネギは甘い。野菜の甘さだ。
娘に食べさせたが、あまり好きではないようだ。
「じゃあ、食べなくていい。俺が全部食べるから」
家の庭のネギは、味が濃く、とことん甘い。
取ってすぐに焼いていただく。調味料は新鮮さ、だけだ。
感動的に旨い。大地の恵みである。
味噌汁も旨いし、煮物も旨い。炊きたてご飯も旨い。
派手さはないが立派なご馳走だ。
ニュージーランドにいながらにして和食をいただく。
今日もまた数々の命をいただきました。
ありがたやありがたや。
マウントクックの氷河の溶け水で育ったサーモンは絶品なのである。
いつもボクはそこを通る度にサーモンを買うのだが、今回は奮発して3匹買った。
そのうちの半身はスモークサーモン。
捌いて骨を取り塩コショウで下味をつけ、スモーカーと呼ばれるステンレスの箱で燻すこと15分。
身にはほんのりと火がとおりジューシー。
マヌカの香り良く、シンプルな一品である。
これは家族で招待されたお好み焼きパーティーで作った。
その翌日は友達家族、同僚を招いてサーモンの宴である。
頭と骨、尻尾は煮出してダシを取り、大根、人参、白菜、ネギ、豆腐を入れて汁物に。
味噌仕立ての具沢山の汁である。
皮はパリっと焼いて塩味で皮せんべい。これがビールに良く合うのだ。
一枚半の身は刺身に。これでもくらえ、というぐらい刺身を作る。
生は文句なく旨いが、熱々のご飯に埋めてご飯の熱でほんのり火が通った身も違う旨さがある。
アボガドのスライスとサーモンにちょっとマヨネーズをのせて、なんてのもありだ。
かまの部分やハラモ、尻尾の近くは照り焼きに。味付けは醤油とミリンのみ。
これまたご飯が進んでしまう味である。
大人6人子供3人犬1匹がサーモンをたらふく食べた。
物でもなんでも分け合えば余る。奪い合えば足りなくなるのだ。
サーモンを買ってきた時は、犬もご馳走にありつける。
ダシをとった後の頭や尻尾や骨は喜んで食べるし、照り焼きを作った後に鍋にこびりついた焦げ目もお湯を足し、冷ご飯を入れて一煮立ちさせるとご馳走になる。
鍋にこびりついたところには鮭の旨みが充分残っている。
犬に鍋を舐めさせればきれいになるだろうが、散歩の時に羊の糞を舐めたりしているその口で家庭用の鍋を舐めさせるのはイヤだ。
なのでゴムベラを使い犬用の皿に移す。こうすればムダ無く鍋もきれいになるし、犬も喜ぶ。
主夫の知恵だ。
我が家ではサーモンが1匹そのまま消えてなくなる。
全くムダが出ない。
とてもよろしい。
その翌日は余った刺身を醤油に1日漬けてヅケをつくり、それで再びサーモン丼。
醤油に漬けるとまた少し違う旨みになる。
炊きたてご飯の中にヅケを埋めて、海苔をパラパラ。
これまたご馳走である。
ご馳走とはそこにあるもので、最高に旨い食べ方をすることがご馳走なのだ。
さすがに鮭が3日続くと、もういいかな、と思う。
だがあと1匹まるまる残っている。
それならば、女房のリクエストにおこたえして新巻鮭だ。
我が家ではニンニクを編んで使う分だけそこから取っていくのだが、使いきったものがワラのように残っている。
これをエラの所に通せばぶら下げられる。
こういうように材料が揃っている時は「やりなさい」というサインでもある。
やり方は簡単。
塩をまぶしてぶら下げておくだけ。
塩はブレナム産の天然塩。
かなりの量の水が出るので、うちでは洗濯機の横の流しの上に木で梁を作りぶら下げた。
放っておくこと数日。
水分はあらかた流れ落ち、実は締まって良い感じである。
塩鮭というのは、当たり前だが調味料は塩だけ。
これ以上はない、というくらいシンプルな味付けである。
その分、素材の旨さで味に違いが出るのではなかろうか。
さらに女房からリクエストが出た。
「これだったら炭火で焼きたいわね」
やりましょう。その場にあるもので最高のやり方で作るのがご馳走ならば、手間暇を惜しまずにやるべき。
週末、時間もあるのでボクは炭で火を熾した。
いつものことながら炭火を熾す、というのは手間がかかる。
ガスバーナーで炭を焼き、ある程度赤くなったら七輪に移し、うちわでパタパタとあおぐ。
電気やガスのようにスイッチ一つでポンというわけにはいかない。
だがこういうことを知るからこそ、電気やガスの有難みが分かる。
当たり前の事に感謝の気持ちは生まれない。
そして手間をかけて炭火で焼いた物はとにかく旨いのだ。
せっかくの炭火なので庭から長ネギを掘り出しネギも鮭と一緒に焼く。
基本は遠火の強火。
鮭から滴る油で辺りはもうもうとする。
犬のココが物欲しげに周りをウロウロする。
そりゃ人間の何百倍も嗅覚が強かったら、この匂いだけでもたまらないだろうな。
首尾よく魚とネギが焼きあがったが炭はまだ残っている。
サツマイモがあったので網を一段高くして、火を弱め上から覆いをして焼きイモだ。
サツマイモはじっくりと火を通すと甘みが増す。
さて今日は純和食だ。
土鍋で炊いたご飯。大根の味噌汁。鳥と大根と昆布の煮物。そして塩鮭である。
おもむろに鮭を一口。
当然のことながら旨い。
何日かおいたので、たんぱく質がアミノ酸に分解されて旨くなっている。
塩加減は腹の辺り、身の薄いところはちょうど良い。
背中の辺りは気持ち塩が薄いか。
女房曰く「上品な味の塩鮭」だ。
普通に食べるには良いが、おにぎりに入れるには塩気が足りないだろう。
自分ではけっこう塩をまぶしたつもりだったのだが、まだ足りなかったか。
課題は残るが、これも自分でやってこそ。
経験に勝る財産はない。
そして炭火で焼いたネギは甘い。野菜の甘さだ。
娘に食べさせたが、あまり好きではないようだ。
「じゃあ、食べなくていい。俺が全部食べるから」
家の庭のネギは、味が濃く、とことん甘い。
取ってすぐに焼いていただく。調味料は新鮮さ、だけだ。
感動的に旨い。大地の恵みである。
味噌汁も旨いし、煮物も旨い。炊きたてご飯も旨い。
派手さはないが立派なご馳走だ。
ニュージーランドにいながらにして和食をいただく。
今日もまた数々の命をいただきました。
ありがたやありがたや。