テレビの話を書いたら、思わぬ反響があった。
調子に乗って続きを書く。
僕がテレビで嫌いなことは、あの効果音。
面白くも無い所で入るあの笑い声、アメリカのドラマなどのあのバックの声が大嫌い。
驚く所で入る「ええ~」という声も嫌い。
「ここで笑え、ここで驚け」と強制されているようでいやだ。
ついでに言うなら字幕も嫌い。
耳の聞こえない人への配慮、という理由から始まったものだろうが、明らかに製作者はあれを利用している。
耳の聞こえる人でも一つの情報を目と耳で受け取る。
その元の情報が間違った物、もしくは操作された物でも、『無意識の受身』で受け入れてしまうだろう。
それがなんとなく分かるからか、あの効果音と字幕は嫌いだ。
さて、前回の話でいただいたコメントをそのまま載せる。
「今月三歳になったうちの息子ですが、保育園では、「お母さんと一緒」とかを待ち時間の時などに見せている模様。
うちでは、子供に見せたいor見せてもいいテレビというと、うちは「ピタゴラスイッチ」と「クインテット」、「トトロ」でした(全部録画です)。
なぜ過去形かというと、たったその三つでも、一度見始めると何回も繰り返し見たがってしまうので、夫婦で話し合った結果、半年前に「突然テレビが壊れた」と言って、それ以来家ではテレビはつけていません
これには、このブログで聖さんのお父さんがテレビを壊した、と教えてもらったことも相当影響してますが(笑)
それからは、それまで以上に絵本を読んだり、CDを聴いて踊ったり、積み木やブロックやパズルやプラレール、といった、自らが動かないと始まらない道具で遊んだり、タイミングが合えば料理を一緒に作るように働きかけています
そうそう、テレビ番組と言えば、うちのテレビが”壊れて”から放送が始まった「でざいん あ」とかいうテレビも、評判がいいと聞いています(ただ、そういう経緯なので自分では見たことがないですけど) (笑)」
素晴らしいコメントをありがとう!このブログが元でこういう流れになったのなら、このブログもあながち無駄ではなかったということだな。
例え良い番組でも繰り返し同じ映像を見るのは良くないだろう。
特に小さい子供はコントロールできないので、注意が必要。
宮崎駿の本で、小さい子を持ったお母さんが「うちの子はトトロが好きで好きで百回以上も見るんですよ」
というシーンがあった。
宮崎駿本人が冷や汗をかき「やめて下さい」と言い、横にいた友達が「自分で描いといて、よく言うよ」と冷笑する場面である。
小さい子供はコントロールがきかないので同じ物を繰り返し見たがる。
親も見せておけばおとなしくしているので何回でも見せる。
これでは、いけませんなあ。
このコメントの『自らが動かないと始まらない道具』これがまた素晴らしい。
これは何も子供のおもちゃに限った事ではないが、自転車旅もしくは徒歩の旅、こんなの当てはまるんでないかい?
ペダルを踏まなければ、自分の足で踏み出さなければ、旅は始まらない。
そこには自分の強い意志が存在する。
その意思なくしての前進はありえない。
人生と似ているではあーりませんか。
自分の足で一歩踏み出る勇気。
受身と反対のうまい言葉が見つからないが、なにかとても大切なような気がする。
子供の頃にこういう道具で遊ぶのは大切だな、うん。
ふと思いついたのだが、コンピューターゲームというのも受身なのではないだろうかな。
コメントに「一緒に料理を作る」とあったがこれもいいな。
僕は娘が小さい頃には台所仕事をする時によく背中に背負ってやった。
子供も背負われていると機嫌がいいし、親が何をやっているか見せるのは良いことだと思うし、自分のトレーニングにもなる。
宮崎駿の作った物でも使い方によっては毒にもなる。
では薬になる使い方を紹介しよう。
地震の後、僕は娘と一緒に友達の家にお世話になった。
そこの家には名作「未来少年コナン」というシリーズ物のDVDがあった。
僕と娘、そしてそこの家の娘ニキは毎晩このプログラムを見た。
ニキは前にも見たが、僕と深雪は初めてである。
これを見る上で決めたこと、毎日2話まで。それ以上は見ないというルールを作った。
元々30分番組なので始まりの歌と終わりの歌、それにコマーシャルをなくすと正味20分ちょっと。
これだとちょっと物足りない。
なのでそれを二つ。
晩御飯が終わってからの楽しみがあるので、子供達も進んで後片付けをする。
生活のリズムができあがり、とてもよかった。
そして次の話が始まる時のドキドキワクワク感、たまりませんなあ。
ある程度の規律というのは必要である。
その日の見る分が終わって、先が気になるのは大人も同じだが、そこでガマン。
子供にガマンさせて大人も一緒にガマンする、これが僕の愛だ。
後は明日のお楽しみ~、というわけである。
よく連続ドラマなどを1日で全部見てしまう人がいるが、僕はそういう見方はしない。
それをすると、ただストーリーを追うだけになってしまうからだ。
これを見ている間、毎日僕も子供もワクワクしながら過ごした。
映像とはこうやって使うものじゃあないか?
それにしても地震直後。原発が問題になりかかった時に太陽エネルギーのこの話。
これを何十年も前に作った宮崎駿という人は天才なんだなあ、と思った。
これは映画にもなっているようだが、連続ドラマの方がよっぽど面白い。
ニュージーランドも地上デジタル放送があと数ヶ月で始まる。
今、使っているテレビではテレビ番組が見られなくなる。
テレビを新調する気もないし、これからますます我が家はテレビ離れするだろう。
それでもいいかな。
DVDはあることだし、日本からのお土産は家族で見るに値する素晴らしいプログラムをリクエストしよう。
調子に乗って続きを書く。
僕がテレビで嫌いなことは、あの効果音。
面白くも無い所で入るあの笑い声、アメリカのドラマなどのあのバックの声が大嫌い。
驚く所で入る「ええ~」という声も嫌い。
「ここで笑え、ここで驚け」と強制されているようでいやだ。
ついでに言うなら字幕も嫌い。
耳の聞こえない人への配慮、という理由から始まったものだろうが、明らかに製作者はあれを利用している。
耳の聞こえる人でも一つの情報を目と耳で受け取る。
その元の情報が間違った物、もしくは操作された物でも、『無意識の受身』で受け入れてしまうだろう。
それがなんとなく分かるからか、あの効果音と字幕は嫌いだ。
さて、前回の話でいただいたコメントをそのまま載せる。
「今月三歳になったうちの息子ですが、保育園では、「お母さんと一緒」とかを待ち時間の時などに見せている模様。
うちでは、子供に見せたいor見せてもいいテレビというと、うちは「ピタゴラスイッチ」と「クインテット」、「トトロ」でした(全部録画です)。
なぜ過去形かというと、たったその三つでも、一度見始めると何回も繰り返し見たがってしまうので、夫婦で話し合った結果、半年前に「突然テレビが壊れた」と言って、それ以来家ではテレビはつけていません
これには、このブログで聖さんのお父さんがテレビを壊した、と教えてもらったことも相当影響してますが(笑)
それからは、それまで以上に絵本を読んだり、CDを聴いて踊ったり、積み木やブロックやパズルやプラレール、といった、自らが動かないと始まらない道具で遊んだり、タイミングが合えば料理を一緒に作るように働きかけています
そうそう、テレビ番組と言えば、うちのテレビが”壊れて”から放送が始まった「でざいん あ」とかいうテレビも、評判がいいと聞いています(ただ、そういう経緯なので自分では見たことがないですけど) (笑)」
素晴らしいコメントをありがとう!このブログが元でこういう流れになったのなら、このブログもあながち無駄ではなかったということだな。
例え良い番組でも繰り返し同じ映像を見るのは良くないだろう。
特に小さい子供はコントロールできないので、注意が必要。
宮崎駿の本で、小さい子を持ったお母さんが「うちの子はトトロが好きで好きで百回以上も見るんですよ」
というシーンがあった。
宮崎駿本人が冷や汗をかき「やめて下さい」と言い、横にいた友達が「自分で描いといて、よく言うよ」と冷笑する場面である。
小さい子供はコントロールがきかないので同じ物を繰り返し見たがる。
親も見せておけばおとなしくしているので何回でも見せる。
これでは、いけませんなあ。
このコメントの『自らが動かないと始まらない道具』これがまた素晴らしい。
これは何も子供のおもちゃに限った事ではないが、自転車旅もしくは徒歩の旅、こんなの当てはまるんでないかい?
ペダルを踏まなければ、自分の足で踏み出さなければ、旅は始まらない。
そこには自分の強い意志が存在する。
その意思なくしての前進はありえない。
人生と似ているではあーりませんか。
自分の足で一歩踏み出る勇気。
受身と反対のうまい言葉が見つからないが、なにかとても大切なような気がする。
子供の頃にこういう道具で遊ぶのは大切だな、うん。
ふと思いついたのだが、コンピューターゲームというのも受身なのではないだろうかな。
コメントに「一緒に料理を作る」とあったがこれもいいな。
僕は娘が小さい頃には台所仕事をする時によく背中に背負ってやった。
子供も背負われていると機嫌がいいし、親が何をやっているか見せるのは良いことだと思うし、自分のトレーニングにもなる。
宮崎駿の作った物でも使い方によっては毒にもなる。
では薬になる使い方を紹介しよう。
地震の後、僕は娘と一緒に友達の家にお世話になった。
そこの家には名作「未来少年コナン」というシリーズ物のDVDがあった。
僕と娘、そしてそこの家の娘ニキは毎晩このプログラムを見た。
ニキは前にも見たが、僕と深雪は初めてである。
これを見る上で決めたこと、毎日2話まで。それ以上は見ないというルールを作った。
元々30分番組なので始まりの歌と終わりの歌、それにコマーシャルをなくすと正味20分ちょっと。
これだとちょっと物足りない。
なのでそれを二つ。
晩御飯が終わってからの楽しみがあるので、子供達も進んで後片付けをする。
生活のリズムができあがり、とてもよかった。
そして次の話が始まる時のドキドキワクワク感、たまりませんなあ。
ある程度の規律というのは必要である。
その日の見る分が終わって、先が気になるのは大人も同じだが、そこでガマン。
子供にガマンさせて大人も一緒にガマンする、これが僕の愛だ。
後は明日のお楽しみ~、というわけである。
よく連続ドラマなどを1日で全部見てしまう人がいるが、僕はそういう見方はしない。
それをすると、ただストーリーを追うだけになってしまうからだ。
これを見ている間、毎日僕も子供もワクワクしながら過ごした。
映像とはこうやって使うものじゃあないか?
それにしても地震直後。原発が問題になりかかった時に太陽エネルギーのこの話。
これを何十年も前に作った宮崎駿という人は天才なんだなあ、と思った。
これは映画にもなっているようだが、連続ドラマの方がよっぽど面白い。
ニュージーランドも地上デジタル放送があと数ヶ月で始まる。
今、使っているテレビではテレビ番組が見られなくなる。
テレビを新調する気もないし、これからますます我が家はテレビ離れするだろう。
それでもいいかな。
DVDはあることだし、日本からのお土産は家族で見るに値する素晴らしいプログラムをリクエストしよう。