あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

我が家

2013-12-06 | 日記
1ヶ月ぶりに自宅に帰ってきた。
次のツアーが始まる前に数日のお休みである。
前回の話でも書いたが、今年は古巣タンケンツアーズに戻り山歩き半分、ドライバーの仕事半分ぐらいの割合で働いている。
ボスも昔からの付き合いなのでくったくなく話ができ、僕を優先にプランを組んでくれる。
ありがたい話である。
ルートバーンの森は相変わらず美しく、ここで仕事ができる事に喜びを感じ、歩いたあとに友達と飲むビールが美味い。
リマーカブルスのハイキングもやって、綺麗な景色を眺めた後のビールもこれまた美味い。
会社のボスが今年ウクレレを始め、僕もマサに借りたウクレレを持ち歩いているので時々セッションもする。
この前なぞは仕事用の自分の棚に次の練習曲の楽譜が入っていた。
そのうちにバンドをやろうなどと思っている。
先日はテアナウで終わる仕事があったので旧友トーマス宅に泊まり、スモークサーモンをやり旧交を暖めた。
とまあこんな具合に仕事に遊びにと充実した毎日を送っているのでブログを書くヒマがない。

一昨日の夕方に飛行機でクライストチャーチに帰ってきて、さっそく娘と自転車で犬の散歩に行き、庭の野菜を収穫して晩飯を作った。
取れたての野菜は感動的に旨く、これぞ大地の恵み、ありがたや、である。
そしていつもながら出る言葉は「あー、やっぱりうちはいいなあ」
まあ当たり前と言えば当たり前だが、こうやって離れてみるとそれを実感する。
人間は当たり前の事に感謝をしない。
何故ならそれは『当たり前』だからだ。
だけどちょっと視点を変えれば、それがどんなに大切で奇跡か分かる。
水が飲めること、元気に働けること、よく眠れること、ご飯が美味しいこと、ニュージーランドに住めること、家族と一緒にいること、生きて山から帰ること、音楽を奏でること、犬の散歩ができること、もっとマクロで見れば地球上に住めるということ。
全ての事は当たり前であり、ありがたやなのだ。

さて仕事は休みなのだが、帰宅中の僕は忙しい。
やることは山ほどある。
昨日やったことはと言えば、温室のトマトの剪定、イチゴの収穫、庭の芝刈り、ニンニクの収穫と雑草抜き、野菜の植え替え、マヨネーズ作り、洗濯、トイレ掃除、娘と買い物、そして友達が来たので庭の野菜と卵でご馳走を作った。
お金は産まないが、全て人間が生きるうえで大切な仕事である。
こういう一つ一つの仕事を丁寧に感謝の気持ちを持ちながらやることが作務、禅の教えなのだ。
今日の予定はニンニクを収穫して空いた場所にネギを植えること、石鹸の乾燥保存、堆肥作り、ズッキーニの植え替え。
時間があったら自転車で犬の散歩もしようかな。
時間に追われるのでなく、その瞬間ごとに自分のできることをする。
そして笑顔でやる。
ゴミ拾いも以前の僕は「こんな所にゴミを捨てて」と怒りながらやっていたが、どうせ同じ事をするならば笑いながらやった方がいい事に気がついた。
ゴミを捨てる人を責めるより、そこがきれいになって喜んでいる地球に意識を当てる。
それがこの星に住まわせてもらっている僕のささやかな恩返し。
そしてやっぱり出てくる言葉はありがたや、なのである。


コメント (6)
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