あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

シーズンオフの修行

2015-03-24 | 日記
夏の仕事を終えてクライストチャーチの我が家に帰ってきた。
犬のココは尻尾を振って熱烈歓迎、娘の深雪は少し生意気っぽくなりそれなりに歓迎。
女房の手料理は旨く、いつもの言葉「やっぱり家がいいのお」
クィーンズタウンでの最後の数日はあわただしかった。
仕事もそれなりにあったしトークライブもやったし、タンケンツアーズの飲み会やら知り合いのパーティーやら、昼も夜も充実だ。
トークライブは友達を含め、初めての人も来てくれた。
手ごたえは上々。想像どおりできたところが八割、あとは課題が残った。
やっぱり実際にやってみると、上手く行かない所が見えてくる。
そして改善するためにやるべき事が見えた。
これは大きな収穫だったと思う。
行動、これこそが全て。
失敗を怖れて行動に移せないというケースは多々ある。
先ずはなんでもやってみること。
僕は今までなんでもそうやってきた。
石鹸を作るのも、納豆を作るのも、野菜を育てるのも、ニワトリを飼うのも、その他もろもろ。
一回で上手く行った時は「なんだ思ったより簡単だったな」案ずるより産むが易し。
上手く行かなかった時は、欠点が見つかり改善してその後上手くいった。失敗は成功の母である。
それもこれも全て行動から。
僕がスキークラブの老人を尊敬するのは、彼らが実際に行動をしてきて、なおかつ今もやり続けているからだ。
そりゃ誰でも体は衰える。
だが衰えたら衰えたなりに行動を続ける。
そういう老人の言葉には重みがある。
自然と敬う気持ちが生まれる。
「昔の自分はすごかったんだぞ」と過去の栄光にすがる老人にはなりたくないね。
言うは易く行うは難し、ということわざもあるぐらい行動できないのが人間か。
その行動の奥にあるのは判断と責任。
成功すればいいが失敗するのも自分の責任。
判断と責任を持っていない人に行動せよというのは無理がある。
結局、行き着くところは自分の心の中なのだな。

さて我が家に戻って来たはいいが、やる事は山ほどある。
毎日の炊事洗濯掃除などの家事仕事に菜園の仕事。
日本に行く前にクライストチャーチでもトークライブを聞きたいという声もあるのでどこかでやろうと思う。
知り合いには寄稿を頼まれているし、このブログを楽しみにしている人も少なくない。
日本行きの準備、留守をする前にやっておく事などなど。
だがどれもおろそかにしてはいけないと思う。
そういった全ての事がリンクして自分という人格を作り上げていく。
作務とは禅僧が日頃の家事から悟りを学ぶこと。
家事に限らず、日々の全ての行いが修行なのである。
修行などと書くと滝に打たれるなど苦しいイメージが湧くが、それは苦行。
苦しいものもあるにはあるが、修行を楽しんでならぬということはない。
要は森羅万象全てのものに感謝をしつつ、瞬間ごとに自分のやるべきことをやることではないか。
常に行動あるのみ。
だから楽しい庭仕事も修行。
楽しく料理をするのも修行。
拡大解釈でビールを造るのも修行。
実によろしい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする