前回挙げた記事は、松本大学の中島教授に依頼され書いたもので、普段あおしろみどりくろで書いている事の要約のようなものだが、これがトークライブの骨組みになった。
中島教授とはこの前の夏ルートバーンを一緒に歩き、年が近かったこともありその場で意気投合してしまったのだ。
まあ波が合ったのだろうな。
僕はこの原稿のコピーを常に持ち運び、行く先々でライブに来れなかった人に名刺代わりに渡していた。
ライブはこの話を掘り下げて喋り、ギターでマオリの唄なんぞいれながら大体1時間半から2時間ぐらいで行った。
新潟の能生から始まり白馬、大阪、三重、北海道では浦河、ニセコ、札幌とまさしくツアーのごとく駆け回った。
ツアーの間には松本大学で特別講義もした。
大学の講義なんて初めてだし、第一自分が大学なんて場所とは無縁の世界で暮らしてきた。
そんな訳分からないヤツが講義なぞしていいものか、と思ったが中島教授は「大丈夫、大丈夫、好きなように喋ってください」と話がまとまった。
講義の資料という事で寄稿文の「成熟した大人の社会」を先生が全員に配った。
大学の講義ではさすがにギターはないが、90分ぶっ通しで百人以上もの学生の前で話をした。
おもしろかったのは目を輝かせながら聞いていたのが約2割、後ろの方で寝ていたのが2割、残りは何か書いていたり読んでいたりおしゃべりしたり。
まあそんなところだろうな。
講義の終わりにレポート提出が課題のようで、終わった後で僕は全員分のレポートを読んだ。
さすがに百人分のレポートを読むのは骨が折れたが、これは自分がやる事だろうなと思いながら目を通した。
全体の9割は僕の文と話の要点をまとめただけで、それについて自分はどう思うという事は一切書いていなかった。
残り一割がきっちりと自分の考えを述べていた。
「お話を伺いながらレポートをまとめるのはお話に集中することができず残念でした。」なんてうれしくなるようなコメントを書いてくれた人もいた。
他にもすばらしい言葉が次々と出てくる
「自然と共存していくためには便利な物に依存せず、ある程度の不便さが大切だと感じた」
「私も日本という型にはまるのではなく視野を広げる為に他の国に行ったり、今までやったことのないことに挑戦してみたいと思いました」
「限られた環境、物、それで幸せと思える人々。環境、周りに恵まれていながら完全には満足できない私達。人によって物の見方や価値観は違うと思います。しかし私はこういう国民性のニュージーランド人は素晴らしいと思うし少し羨ましく思います。限られた環境の中で恵まれている事に感謝をしながらこれからの生活を送って生きたいです。」
「周りと比べて初めて日本が分からなくなった。今私たちに必要な事はたくさん分からなくなって、たくさん考え直し見つめ直していくことだ」
「日本にも世界に誇れるものは多くある。しかしニュージーランドを見て良い所、学ぶ所は学ぶということは大事なのではないかと思った。と同時にニュージーランドだけでなく他の国からも当然学ぶべき所は多いのではないかと思った。今回の講義は外に目を向ける貴重な機会となった。」
「ニュージーランドでは困っている人がいればすぐに助ける。きっと同情しているからではなくニュージーランドに住んでいる人の本能みたいなものなんだと思う。個性を尊重しそれを認め自分自身も認めるからこそ自立という物が出来ると思いました。自分自身がニュージーランドに住む人々のように広い心で人や物と接することができたら、何か新しいものが見えてくるような気がします。」
なかなかどうして、今時の若者だってまんざら捨てたものでもないぞ。
ぼくはそれらをコピーしてもらい、自分へのおみやげとした。
それにしても大学というのはすごいもので、僕にしてみればトークライブも大学の講義も同じ事をしゃべっているのに、「トークライブで話をします」と言うと「?」という顔をする人も「大学で講義をしました」と言えば「それは偉いねえ」と誉めてくれる。
世間とはそんなものだろうね。
その晩は中島先生と馬が合うものということで、信州名物の馬刺しと地酒の真澄をたらふくいただきました。
じっくりと内容の濃い話もできて、ここでもまた人のご縁のありがたさなのである。
でもまさかこの学生達も、自分のレポートがブログネタにされるとは思わなかっただろうね。
中島教授とはこの前の夏ルートバーンを一緒に歩き、年が近かったこともありその場で意気投合してしまったのだ。
まあ波が合ったのだろうな。
僕はこの原稿のコピーを常に持ち運び、行く先々でライブに来れなかった人に名刺代わりに渡していた。
ライブはこの話を掘り下げて喋り、ギターでマオリの唄なんぞいれながら大体1時間半から2時間ぐらいで行った。
新潟の能生から始まり白馬、大阪、三重、北海道では浦河、ニセコ、札幌とまさしくツアーのごとく駆け回った。
ツアーの間には松本大学で特別講義もした。
大学の講義なんて初めてだし、第一自分が大学なんて場所とは無縁の世界で暮らしてきた。
そんな訳分からないヤツが講義なぞしていいものか、と思ったが中島教授は「大丈夫、大丈夫、好きなように喋ってください」と話がまとまった。
講義の資料という事で寄稿文の「成熟した大人の社会」を先生が全員に配った。
大学の講義ではさすがにギターはないが、90分ぶっ通しで百人以上もの学生の前で話をした。
おもしろかったのは目を輝かせながら聞いていたのが約2割、後ろの方で寝ていたのが2割、残りは何か書いていたり読んでいたりおしゃべりしたり。
まあそんなところだろうな。
講義の終わりにレポート提出が課題のようで、終わった後で僕は全員分のレポートを読んだ。
さすがに百人分のレポートを読むのは骨が折れたが、これは自分がやる事だろうなと思いながら目を通した。
全体の9割は僕の文と話の要点をまとめただけで、それについて自分はどう思うという事は一切書いていなかった。
残り一割がきっちりと自分の考えを述べていた。
「お話を伺いながらレポートをまとめるのはお話に集中することができず残念でした。」なんてうれしくなるようなコメントを書いてくれた人もいた。
他にもすばらしい言葉が次々と出てくる
「自然と共存していくためには便利な物に依存せず、ある程度の不便さが大切だと感じた」
「私も日本という型にはまるのではなく視野を広げる為に他の国に行ったり、今までやったことのないことに挑戦してみたいと思いました」
「限られた環境、物、それで幸せと思える人々。環境、周りに恵まれていながら完全には満足できない私達。人によって物の見方や価値観は違うと思います。しかし私はこういう国民性のニュージーランド人は素晴らしいと思うし少し羨ましく思います。限られた環境の中で恵まれている事に感謝をしながらこれからの生活を送って生きたいです。」
「周りと比べて初めて日本が分からなくなった。今私たちに必要な事はたくさん分からなくなって、たくさん考え直し見つめ直していくことだ」
「日本にも世界に誇れるものは多くある。しかしニュージーランドを見て良い所、学ぶ所は学ぶということは大事なのではないかと思った。と同時にニュージーランドだけでなく他の国からも当然学ぶべき所は多いのではないかと思った。今回の講義は外に目を向ける貴重な機会となった。」
「ニュージーランドでは困っている人がいればすぐに助ける。きっと同情しているからではなくニュージーランドに住んでいる人の本能みたいなものなんだと思う。個性を尊重しそれを認め自分自身も認めるからこそ自立という物が出来ると思いました。自分自身がニュージーランドに住む人々のように広い心で人や物と接することができたら、何か新しいものが見えてくるような気がします。」
なかなかどうして、今時の若者だってまんざら捨てたものでもないぞ。
ぼくはそれらをコピーしてもらい、自分へのおみやげとした。
それにしても大学というのはすごいもので、僕にしてみればトークライブも大学の講義も同じ事をしゃべっているのに、「トークライブで話をします」と言うと「?」という顔をする人も「大学で講義をしました」と言えば「それは偉いねえ」と誉めてくれる。
世間とはそんなものだろうね。
その晩は中島先生と馬が合うものということで、信州名物の馬刺しと地酒の真澄をたらふくいただきました。
じっくりと内容の濃い話もできて、ここでもまた人のご縁のありがたさなのである。
でもまさかこの学生達も、自分のレポートがブログネタにされるとは思わなかっただろうね。