永住権
2016-05-21 | 人
僕たちニュージーランドに住む、と言うか海外全てそうなんだろうけど、避けては通れない問題でビザの件がある。
小麦粉を練って薄く焼きその上にチーズなどの具を乗せて焼く食べ物ではないぞなもし。
パスポートにポンと押される、最近ではシールになっている書類のビザの話だ。
そもそもビザなんてものは国境があるから存在する問題で、僕の最終ビジョンには国境はないのでパスポートもないしビザも戸籍登録も住民票もない。
今の世は人間が国境を決めて、それであーだこーだやっている。
なんともはや人類というのは無駄なところにエネルギーを使っているものだ。
これだって原因を突き詰めていけば欲、利権、エゴという人の心にあり、政治、経済、教育、食、宗教、全てが絡む話なのだ。
政治家が悪いと言って人を指差していれば済む話ではない。
誰も悪くないし誰も良くない、自分を含めた全ての人に責任はある。
また話が脱線して違う方向に行きそうだな。
話を戻して、イタリアに立っている傾いた塔の話だったっけ?
しつこいね、ビザの話である。
ニュージーランドの場合、ほとんどの人は最初は観光かワーキングホリデー、そしてワークビザ、最終的には永住権を取ってここに住む。僕もそうだった。
この永住権というやつがやっかいもので、ほとんどの人はこれで苦労する。
苦労するのだが中には苦労しない人もいる。
友達のタイは1週間で取れたし、サダオもあっという間に取れた。
昔は住所があって仕事をしていればワーホリだろうが不法就労だろうが永住権を貰えた時もあった。
僕の場合は女房がすでに持っていて、結婚をして永住権をもらった。
僕がやったことといえば簡単な健康診断だけだ。
そうやって簡単に取れました貰えましたでは話が終わってしまう。
そこはそれ、話を盛り上げるためにえーちゃんに登場してもらおう。
北村家二軍筆頭のえーちゃんは以前にもこのブログのどこかに出てきているはずだ。
マウンテンバイクで骨折したり、買ったばかりの車で事故ったり、ブロークンリバーのロープトーにぶつかって肋骨を折ったり、バンジージャンプに行って一緒に行った女の子は飛んだけど自分は飛べなかったり、と言った武勇伝は数知れず。
自分が痛い思いをしてネタになる、おっちょこちょいでお人よし、落語に出てくる与太郎のような存在のえーちゃんである。
えーちゃんと一緒に住んだのは9年ぐらい前になるか、男3人で絶景の一軒家をシェアした時があった。
その時からえーちゃんはおみやげ屋さんで働いていたのだが、彼の英語力はひどいもので「ここに住んでいてそれはさすがにヤバイでしょ、えーちゃん」というレベルだった。
それでいて日本人以外のお客さんにも接客してしまうのだから、人柄と言うか心と心と言うか、まあコミュニケーションというものはなんとかなってしまうのだ。
ちなみに英語がからっきしでも友達が多い人はいるし、英語がペラペラでも友達がいない人もいる。
結局は人柄、人間性なのだな。
そんなえーちゃん、この国に惚れ込みここに住みたいと永住権を取ることにした。
それはいいのだが、取るにあたり電話でビザの係の人と対応しなくてはならない。
その時の事はまさに『お話にならない』ような状態だったようだ。
面と向かって話をすれば、目と目が合い心と心が繋がるえーちゃんのコミュニケーション能力も役人相手の電話ではどうしようもならない。
そこから彼は英語の猛勉強。
それまでは夜型の生活だったのだが、朝早起きして仕事前に英語の勉強をするという生活に切り替えた。
英語圏に住んでいながらわざわざフィリピンに行って英語の勉強をする?という努力を繰り返し、なんとか英語力もあがった。
ビザの審査に落とされては再度申請をしてと、そこには涙ぐましい努力があった。
「えーちゃんは取れるよ、ただしそこまでにはかなり険しい道のりがあるけどね」と予言すれば
「そうなんですよね、俺もそんな気がするんですよ」と返ってくる。
その言葉通り、山あり谷ありの苦節8年半。
一緒に住んでいる彼女も同時に申請した。
去年の暮れに飲んだ時には、コンピューター上では一応OKが出た、今は向こうからの連絡待ち。
あとはパスポートを送れという手紙が来るはずだと。
「コンピューターではOK出てもねえ、『ゴメンゴメン、やっぱ間違いだったよ、悪いけどもう一度これをやってくれる?』なんてことはあるかもね」
ワインを飲みながらそんな話をしたら「そうなんですよね、この自分なのでそんな笑えない事が起きそうで怖いんですよ。やはりこの目で見るまでは安心できないんですよね。」
今まで散々痛い思いをして笑い話のネタを作ってきたえーちゃんの言葉は信憑性がある。
夏が終わり、クライストチャーチに帰ってくる前に、彼の家でシーズン終わりの酒盛りをした。
「いよいよビザがおりましてパスポートも郵送されて、今日明日中には着くと思うんです」
「じゃあいよいよだね、今夜は祝杯かな」
「そうっすね、でも自分のことなので、やはり最後の最後まで自分の手にとってみるまで安心できないんです」
「そうだよなあ、えーちゃんのことだからな。郵便の車がどこかで事故にあってえーちゃんのパスポートだけが湖の底に沈んじゃったとか、他の郵便に紛れてパスポートがどこかへ行っちゃったとか」
「そうならないことを祈ります」
そんな感じでその晩は遅くまで飲んだ。
翌日の朝、僕が自分の荷物を車に運んでいる時のことだった。
黄色い郵便配達の車から人が降りてきて、その場に居た僕が包みを受け取った。
これってひょっとすると・・・
「おい!えーちゃん、来たぞ来たぞ!」
えーちゃんが包みを開き、パスポートを取り出しビザの確認。
彼女と喜びを分かち合う、感動の瞬間である。
「おめでとう!えーちゃん、ついにやったね」
「ありがとうございます。これもひとえにひっぢさんのおかげです。」
「いやいや、俺は何もしていないって」
えーちゃん曰く、ニュージーランドに来てから、人生の節目ごとに何らかの形で僕が居たり現れたりするんだそうな。
今回も又、感動の瞬間に居合わせたということだ。
たまたまそうなった、の『たまたま』は必然の流れ。
今までがんばってきたのもこのためにある。
山にたどりつく道のりが険しく長く辛いほど、登頂した喜びは大きい。
それはその人にしか味わえない感動である。
「永住権を取ることがゴールになってはいけない」という台詞はきっとイヤというほど聞いてきたことだろう。
それを分かっているえーちゃんはスタート地点に立った、と言った。
確かに新しいスタートでもある。
就労ビザでは決められた場所でしか働けないが、永住権があれば法律上はどこででも働ける。
実際に望んだ会社に雇われるか、望んだ場所で働けるかどうかはこれまた別問題だが。
少なくとも世界は開けた。
それに今までそれを取るために費やしたエネルギー、それはお金であったり時間であったり精神的な余裕であったり、膨大なものだろう。
そのエネルギーを別のことに使うことができる。
いずれお店をやりたいというえーちゃんはそのエネルギーを使いお店をもつことだろう。
ただしえーちゃんのことだから、紆余曲折山あり谷ありだろうが。
それでも精神的なストレスからは開放され気持ちに余裕ができるのも間違いない。
スタートに立ち、何をやるか。
何をするのも自由だし、何もしないのも自由である。
あとは本人次第であろう。
嬉しそうなえーちゃんを後に僕はクライストチャーチの家に帰ってきた。
そう言えば、今シーズンえーちゃんとフリスビーゴルフの勝負をして、何年ぶりかにえーちゃんに負けた。
えーちゃんの連続敗戦記録40ぐらい(数えるのがバカバカしいから数えない)を止めたのも、何かお告げのようなものだったのかもしれないな。
嬉しいことは続くものである。
オークランドに住む友達Mも永住権が取れたというニュースが入ってきた。
彼はクライストチャーチの地震の後で知り合った。
しばらく同じ会社で働き事、事あるごとに我が家へ遊びに来ていたが、ビザが下りず日本へ帰っていった。
日本へ帰ってからももやり取りは続き、去年日本へ行った時には浅草で寄席、屋形船、彼の高級マンションのレインボーブリッジを見下ろす最上階のペントハウスでお泊りとフルコースの歓待を受けた。
そんな都会の生活をしていた彼もニュージーランドの夢を捨てきれず、再びやってきてオークランドで仕事を探し、今回の永住権へ繋がった。
そのニュースを聞く前、4月の終わりに彼がクィーンズタウンへ遊びに来た時には一緒に部屋で飲み、「1年前はねえ」などと話をしたのだ。
彼の場合はかかった期間は4年半、えーちゃんの8年半にはかなわないが、長ければスゴイという話でもない。
そこで人と比べることに意味はない。
その人にはそれぞれのドラマがあり、自分の決断と行動、心の葛藤、人との縁、もろもろのタイミング、全てが揃い喜びの瞬間がある。
ビザが取れたら嬉しいのは当たり前だが、それを取ることは成功で取れなかったら失敗か、と言うとそうでもない。
そこで成功と失敗と区別することが間違っている。
勝ちと負けとに分けて考える世の風潮と似ているな。
我が家を訪れた人の中には、ビザがどうしても下りずに日本へ帰っていった人もいる。
僕が彼らに説いたのは、きっと日本でやるべきことがあるのだろうと。
そのうちの一人とはこの前日本で会ったのだが、生き生きとして北海道の生活に溶け込んでいた。
ここでなければ幸せではない、と言うのは何か間違っている。
ここでなければ幸せでないと言う人はどこに居ても幸せになれない。
ここに居ることが当たり前になってしまい、それがどんなに恵まれているのか気づかない愚か者にはなりたくない。
どこそこに住むというのは自分の意思はもちろんあるのだが、導かれてその場に来ることもある。
本人の意思さえも本人が気づかないまま大いなる流れの一環かもしれない。
たまたま偶然は全て必然。
僕がここにいるのも、あなたがそこにいるのも全て必然。
これもご縁というものだろう。
そうやって縁があった場所で、人として自分がやるべきことをする。
それこそがこの世に生まれてきた人生の意味なのだろうと思うのだ。
小麦粉を練って薄く焼きその上にチーズなどの具を乗せて焼く食べ物ではないぞなもし。
パスポートにポンと押される、最近ではシールになっている書類のビザの話だ。
そもそもビザなんてものは国境があるから存在する問題で、僕の最終ビジョンには国境はないのでパスポートもないしビザも戸籍登録も住民票もない。
今の世は人間が国境を決めて、それであーだこーだやっている。
なんともはや人類というのは無駄なところにエネルギーを使っているものだ。
これだって原因を突き詰めていけば欲、利権、エゴという人の心にあり、政治、経済、教育、食、宗教、全てが絡む話なのだ。
政治家が悪いと言って人を指差していれば済む話ではない。
誰も悪くないし誰も良くない、自分を含めた全ての人に責任はある。
また話が脱線して違う方向に行きそうだな。
話を戻して、イタリアに立っている傾いた塔の話だったっけ?
しつこいね、ビザの話である。
ニュージーランドの場合、ほとんどの人は最初は観光かワーキングホリデー、そしてワークビザ、最終的には永住権を取ってここに住む。僕もそうだった。
この永住権というやつがやっかいもので、ほとんどの人はこれで苦労する。
苦労するのだが中には苦労しない人もいる。
友達のタイは1週間で取れたし、サダオもあっという間に取れた。
昔は住所があって仕事をしていればワーホリだろうが不法就労だろうが永住権を貰えた時もあった。
僕の場合は女房がすでに持っていて、結婚をして永住権をもらった。
僕がやったことといえば簡単な健康診断だけだ。
そうやって簡単に取れました貰えましたでは話が終わってしまう。
そこはそれ、話を盛り上げるためにえーちゃんに登場してもらおう。
北村家二軍筆頭のえーちゃんは以前にもこのブログのどこかに出てきているはずだ。
マウンテンバイクで骨折したり、買ったばかりの車で事故ったり、ブロークンリバーのロープトーにぶつかって肋骨を折ったり、バンジージャンプに行って一緒に行った女の子は飛んだけど自分は飛べなかったり、と言った武勇伝は数知れず。
自分が痛い思いをしてネタになる、おっちょこちょいでお人よし、落語に出てくる与太郎のような存在のえーちゃんである。
えーちゃんと一緒に住んだのは9年ぐらい前になるか、男3人で絶景の一軒家をシェアした時があった。
その時からえーちゃんはおみやげ屋さんで働いていたのだが、彼の英語力はひどいもので「ここに住んでいてそれはさすがにヤバイでしょ、えーちゃん」というレベルだった。
それでいて日本人以外のお客さんにも接客してしまうのだから、人柄と言うか心と心と言うか、まあコミュニケーションというものはなんとかなってしまうのだ。
ちなみに英語がからっきしでも友達が多い人はいるし、英語がペラペラでも友達がいない人もいる。
結局は人柄、人間性なのだな。
そんなえーちゃん、この国に惚れ込みここに住みたいと永住権を取ることにした。
それはいいのだが、取るにあたり電話でビザの係の人と対応しなくてはならない。
その時の事はまさに『お話にならない』ような状態だったようだ。
面と向かって話をすれば、目と目が合い心と心が繋がるえーちゃんのコミュニケーション能力も役人相手の電話ではどうしようもならない。
そこから彼は英語の猛勉強。
それまでは夜型の生活だったのだが、朝早起きして仕事前に英語の勉強をするという生活に切り替えた。
英語圏に住んでいながらわざわざフィリピンに行って英語の勉強をする?という努力を繰り返し、なんとか英語力もあがった。
ビザの審査に落とされては再度申請をしてと、そこには涙ぐましい努力があった。
「えーちゃんは取れるよ、ただしそこまでにはかなり険しい道のりがあるけどね」と予言すれば
「そうなんですよね、俺もそんな気がするんですよ」と返ってくる。
その言葉通り、山あり谷ありの苦節8年半。
一緒に住んでいる彼女も同時に申請した。
去年の暮れに飲んだ時には、コンピューター上では一応OKが出た、今は向こうからの連絡待ち。
あとはパスポートを送れという手紙が来るはずだと。
「コンピューターではOK出てもねえ、『ゴメンゴメン、やっぱ間違いだったよ、悪いけどもう一度これをやってくれる?』なんてことはあるかもね」
ワインを飲みながらそんな話をしたら「そうなんですよね、この自分なのでそんな笑えない事が起きそうで怖いんですよ。やはりこの目で見るまでは安心できないんですよね。」
今まで散々痛い思いをして笑い話のネタを作ってきたえーちゃんの言葉は信憑性がある。
夏が終わり、クライストチャーチに帰ってくる前に、彼の家でシーズン終わりの酒盛りをした。
「いよいよビザがおりましてパスポートも郵送されて、今日明日中には着くと思うんです」
「じゃあいよいよだね、今夜は祝杯かな」
「そうっすね、でも自分のことなので、やはり最後の最後まで自分の手にとってみるまで安心できないんです」
「そうだよなあ、えーちゃんのことだからな。郵便の車がどこかで事故にあってえーちゃんのパスポートだけが湖の底に沈んじゃったとか、他の郵便に紛れてパスポートがどこかへ行っちゃったとか」
「そうならないことを祈ります」
そんな感じでその晩は遅くまで飲んだ。
翌日の朝、僕が自分の荷物を車に運んでいる時のことだった。
黄色い郵便配達の車から人が降りてきて、その場に居た僕が包みを受け取った。
これってひょっとすると・・・
「おい!えーちゃん、来たぞ来たぞ!」
えーちゃんが包みを開き、パスポートを取り出しビザの確認。
彼女と喜びを分かち合う、感動の瞬間である。
「おめでとう!えーちゃん、ついにやったね」
「ありがとうございます。これもひとえにひっぢさんのおかげです。」
「いやいや、俺は何もしていないって」
えーちゃん曰く、ニュージーランドに来てから、人生の節目ごとに何らかの形で僕が居たり現れたりするんだそうな。
今回も又、感動の瞬間に居合わせたということだ。
たまたまそうなった、の『たまたま』は必然の流れ。
今までがんばってきたのもこのためにある。
山にたどりつく道のりが険しく長く辛いほど、登頂した喜びは大きい。
それはその人にしか味わえない感動である。
「永住権を取ることがゴールになってはいけない」という台詞はきっとイヤというほど聞いてきたことだろう。
それを分かっているえーちゃんはスタート地点に立った、と言った。
確かに新しいスタートでもある。
就労ビザでは決められた場所でしか働けないが、永住権があれば法律上はどこででも働ける。
実際に望んだ会社に雇われるか、望んだ場所で働けるかどうかはこれまた別問題だが。
少なくとも世界は開けた。
それに今までそれを取るために費やしたエネルギー、それはお金であったり時間であったり精神的な余裕であったり、膨大なものだろう。
そのエネルギーを別のことに使うことができる。
いずれお店をやりたいというえーちゃんはそのエネルギーを使いお店をもつことだろう。
ただしえーちゃんのことだから、紆余曲折山あり谷ありだろうが。
それでも精神的なストレスからは開放され気持ちに余裕ができるのも間違いない。
スタートに立ち、何をやるか。
何をするのも自由だし、何もしないのも自由である。
あとは本人次第であろう。
嬉しそうなえーちゃんを後に僕はクライストチャーチの家に帰ってきた。
そう言えば、今シーズンえーちゃんとフリスビーゴルフの勝負をして、何年ぶりかにえーちゃんに負けた。
えーちゃんの連続敗戦記録40ぐらい(数えるのがバカバカしいから数えない)を止めたのも、何かお告げのようなものだったのかもしれないな。
嬉しいことは続くものである。
オークランドに住む友達Mも永住権が取れたというニュースが入ってきた。
彼はクライストチャーチの地震の後で知り合った。
しばらく同じ会社で働き事、事あるごとに我が家へ遊びに来ていたが、ビザが下りず日本へ帰っていった。
日本へ帰ってからももやり取りは続き、去年日本へ行った時には浅草で寄席、屋形船、彼の高級マンションのレインボーブリッジを見下ろす最上階のペントハウスでお泊りとフルコースの歓待を受けた。
そんな都会の生活をしていた彼もニュージーランドの夢を捨てきれず、再びやってきてオークランドで仕事を探し、今回の永住権へ繋がった。
そのニュースを聞く前、4月の終わりに彼がクィーンズタウンへ遊びに来た時には一緒に部屋で飲み、「1年前はねえ」などと話をしたのだ。
彼の場合はかかった期間は4年半、えーちゃんの8年半にはかなわないが、長ければスゴイという話でもない。
そこで人と比べることに意味はない。
その人にはそれぞれのドラマがあり、自分の決断と行動、心の葛藤、人との縁、もろもろのタイミング、全てが揃い喜びの瞬間がある。
ビザが取れたら嬉しいのは当たり前だが、それを取ることは成功で取れなかったら失敗か、と言うとそうでもない。
そこで成功と失敗と区別することが間違っている。
勝ちと負けとに分けて考える世の風潮と似ているな。
我が家を訪れた人の中には、ビザがどうしても下りずに日本へ帰っていった人もいる。
僕が彼らに説いたのは、きっと日本でやるべきことがあるのだろうと。
そのうちの一人とはこの前日本で会ったのだが、生き生きとして北海道の生活に溶け込んでいた。
ここでなければ幸せではない、と言うのは何か間違っている。
ここでなければ幸せでないと言う人はどこに居ても幸せになれない。
ここに居ることが当たり前になってしまい、それがどんなに恵まれているのか気づかない愚か者にはなりたくない。
どこそこに住むというのは自分の意思はもちろんあるのだが、導かれてその場に来ることもある。
本人の意思さえも本人が気づかないまま大いなる流れの一環かもしれない。
たまたま偶然は全て必然。
僕がここにいるのも、あなたがそこにいるのも全て必然。
これもご縁というものだろう。
そうやって縁があった場所で、人として自分がやるべきことをする。
それこそがこの世に生まれてきた人生の意味なのだろうと思うのだ。