あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

シーズン終了

2016-10-06 | 日記
今シーズンも冬が終わった。
思い起こせば変な冬だった。
先ずシーズンに入る直前に大雪が降った。
ロープトーは雪で埋まり、メンバー達が掘り起こし、公式オープン前のパウダーを滑った。
今年はいい年になりそうだという期待の矢先に大雨が降り、雪が全て流れて消えた。
オープン予定の日が来ても雪は降らずオープンできず、結局開いたのは7月の終わりだった。
予定よりも1ヶ月以上も遅いオープンだったが8月はそこそこ。
9月にはいつもなら何回か雪は降るのだが1回降ったきり。
積もり方はいつもとは違いあっという間に雪は消え、あっというまにシーズンが終わった。
全てが今までとは違う。
行く途中にレイクリンドンという湖があるのだが、今までに見たことがないくらい水位が低く湖自体が小さくなってしまった。
世界に目を向ければ湖が消滅してしまったり、川がなくなってしまったり、はたまた川や池の色が急に変わったりそんなニュースはいくらでもある。
今までにないことが起こっている。
植物だってそうだ。
花の咲き方が違う。
こちらでも桜がありこの時期は見事に咲く。
桜という花は見事に咲き、その散り様も見事なものだが、今年は咲いている期間が異様に長い。
曇りの日が長く続いたのが直接の原因だろうが、これだって今までとは全く違うものだ。
ニュージーランドのブナの木は3年から6年に1回、大量に花を咲かせ大量に種を落とす。
今まではそうだったのだが、最近ではこの周期も変わり毎年のようにこれが起こっている。
植物も今までとは違うということに気がついているのだろう。
もちろん動物だってそうだ。
魚や動物の大量死というニュースは世界のどこかで常に起こっている。
そして空から魚が降ってくるなんて、普通では考えられないようなことが起こっているのだ。
クライストチャーチの地震だって、今までにない所で地震が起こった。
世界でも今までに地震が起こらなかった場所が揺れている。
そういう世の中で僕らは生きている。
闇雲に恐怖をあおっているわけではない。
気象をはじめ、自然のパターンが今までとは違うのだ。
そしてこれからも『今までにないこと』は起こり続けることだろう。
そういうものなのだ。
そこに恐怖を見るのか希望を見るのかは個人の判断である。

話を気象に戻すと、ジェット気流というものがあるそうで、これは北半球には北半球の、南半球には南半球のジェット気流があり、グルグルと回っているそうな。
この北半球のジェット気流が赤道を越えて南半球のジェット気流に混ざってしまったというニュースを見た。
もちろん今までには無かったことらしい。
その影響かどうかは分からないが、中近東や東南アジアなど今までに雪など降ったことがないような場所で雪が降った。
逆に今まで降っていた場所で降らなくなったとも言える。
それでもどこかに行けば雪はあるのだから、金を出してヘリに乗ったり、自分の足でえっちらおっちら登ったり、どらえもんに頼んでどこでもドアをだしてもらったり。
そうすれば雪山へは行けるのだから、スキーというものはなくならない。
ただスキー場というものを考えるとそうはいかない。
スキー場というものは雪がふんだんにある場所に造られるものだ。
まあそりゃそうだわな。
今までは雪がふんだんにあった場所なのだが、その今までが通用しない世界になっているのはしつこいくらいに書いた。
ある場所は人工降雪機という機械を導入して雪を降らせるだろう。
その為には金もかかる。
当然リフトの料金も上がる。
これは仕方なかろう。
そしてそれができない場所は閉鎖となるだろう。
これもまた自然の道理で仕方のないことだろう。
ニュージーランドのクラブフィールドは非営利目的で経済に依存しないシステムなので、たとえ悪いシーズンが続いても存続できる。
だが営利目的のコマーシャルフィールドはそうはいかない。
スキー場だけの問題ではなく周辺の交通機関、宿泊施設、商店など地域全体の問題でもあるし、もっと視野を広げると道具や衣類のメーカーなどにも影響を与える。
つくづくスキー業界というものは水商売なのだと思う。
雪が溶ければ水となって流れてしまうのだ。
そしてまた消えてしまうものだからこそ、その瞬間ごと季節ごとの感動もある。
これからの世界がどうなるかは分からないが、今はただ一休さんが残した言葉を信じるのみ。

「大丈夫、なんとかなるから心配するな」



コメント
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