あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

日々の暮らし

2018-05-22 | 日記
クィーンズタウンの夏の仕事を終え、クライストチャーチへ戻ってきて1ヶ月が経った。
ブログの更新もしていなかったが、ぼちぼちと書いていこうと思う。
朝は娘の弁当を作り、送り出してから犬の散歩が日課である。
近所のだだっ広い公園を犬と歩く。
平野の空は広く太陽を遮るものはない。
低い角度から日は昇り、1日中、大地を照らし低い角度で日が沈む。
朝の太陽に手を合わせて拝む。
今日という1日、できるだけ多くの人が幸せに過ごせますように。
遠くを走るトラックの運転手が無事に仕事ができ、無事に帰宅できますように。
上空を飛行機が飛び去る。
空を旅する人々もご安全に。
風に乗って近所の小学校から子供達の声も届く。
ガキ共よ、すくすく育てよ。
その日の仕事を終えて帰途につき、家でまったりとした時間を過ごす。
当たり前の事だが、ひとつ何かあればそれは簡単に崩れる。
事故、事件、病気、怪我、その他トラブル諸々。
安泰というものは、いともたやすく崩壊するからこそ、愛おしく大切なものなのだ。
だが当たり前すぎて、人は感謝の念を忘れる。
太陽が昇って当たり前だが、そこに人は気づいているだろうか。
せめて自分だけでも、それは忘れたくないので、朝日に手を合わせて拝む。
「今日も上がってきてくれてありがとうございます。」

散歩から帰ってきて天気が良ければ洗濯をする。
洗濯をすると言っても実際にするのは洗濯機で、人間は干すだけだ。
昔に比べればずいぶん楽になったものだろう。
洗濯板でゴシゴシやっていた頃はそれに費やす時間も馬鹿にならかったと思う。
洗濯機を発明してくれた人、誰か知らないがありがとう。
そして庭仕事。
庭仕事なんてものは終わりのない無限のループだ。
この事を片付ける為にこっちのことをやらなきゃ。
いやいや、それにはあっちをやらなくてはいけないな。
その為にはそっちの事もしなくては。
どの作業も必要で大切なものである。
手は抜かない。
一つの事柄で手を抜けば、別の場所にそれが現れる。
行動、これこそが人の心の現れであり、行動なくしての思想はない。
雑草を抜かなければ畑もできず野菜も作れないのだ。
そしてその行動とは自分の心を映し出す鏡でもある。



仕事がないこの時期、僕は専業主夫となる。
炊事、洗濯、掃除、その他もろもろ。
買い物も仕事の一つである。
僕は肉は肉屋で、魚は魚屋で、野菜は八百屋で買う。
時間がなければ仕方が無いが、時間がある時はできるだけ小売の店で買う。
肉は近所に韓国人の家族でやっている小さな店で買う。
近くには安売りの大型肉屋もあり、値段だけ考えればそちらの方が安い。
だが個人商店を応援したいという気持ち、そして何と言っても買い物をして気持ちが良い。
そこの肉屋は、僕と同年代の夫婦に従業員が一人、たまに娘も店を手伝っている。
普通の肉も売っているが、ブルコギや骨付きカルビの味付けなど、韓国風のお肉も売っている。
娘のリクエストでトンカツを作る事になり、その日は豚ロースの固まりを買った。
同様に野菜は八百屋で、そこの八百屋も活気があり気持ちが良い。
トンカツと言えばキャベツの千切りだろう。
庭のキャベツは夏の収穫後、育てていないのでキャベツを買った。
ちなみに豆腐は近所に豆腐工場で買う。
そこは看板も出していない所だが、行けば小売もしてくれる。
なんといっても豆腐は鮮度が命。
出来立ての豆腐は旨いのだ。
『買い物は投票』という言葉がある。
お金をどういうように使うかで社会に投票をするのだと。ナルホド。
安いという理由で買い物をするのもその人の選択である。
だが安さの裏側には何があるのだろう。
物には正当な値段というものがある。
安さを追求するあまり、生産者が辛い思いをしているのが今の世の中ではないか。
日本の日野商人の言葉で三方良しというものがある。
作り手、売り手、買い手、これらがすべて幸せになるには正当な値段は守らなくてはいけない。
そういう世の中になる事を僕は夢見る。



買い物から帰り、再び野良仕事。
夕方、日が沈む頃に再び犬の散歩。
遠くの山に沈むお日様に再び手を合わせ拝む。
「今日も1日ありがとうございました。また明日もよろしくお願いします。」
そして夕餉の支度。
リクエストにお応えしてトンカツ。
女房殿はパン屋で働いているので食パンの耳をもらってくる。
それをブレンダーで細かくパン粉を作る。
生パン粉で揚げるフライは旨い。
思えば僕が子供の頃も我が家では古くなったパンをパン粉にして揚げ物にしていたなあ。
パンをそのまま食べるのもありだが、パン粉にして冷凍しておけばハンバーグなどのつなぎにも使える。
塊の肉をそれなりの厚さに切って塩コショウ。
小麦粉を振り、溶き卵に浸し、パン粉をつけて揚げる。
トンカツといえばキャベツの千切り。
それにつけるマヨネーズも我が家の卵の自家製だ。
そして作りたての豆腐の味噌汁。
味噌はネルソン産の手作り味噌。
特別なものではないがご馳走である。
料理とはどれだけ真摯にその作業に向かうかだと思う。
手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。
煮物一つとっても、灰汁を取らなくてもできるが、その作業をやるかやらないかで結果は変わる。
それを作る自分自身を甘やかさずに、きっちりとやる。
他人の目は欺けても、自分の心には偽れない。
これは禅僧が修行としてやる作務に繋がるものでもある。
これは料理だけに限るものではないな。
全ての家事仕事がそこに繋がるものだろう。
そしてこういう仕事に休日は無い。
毎日がその積み重ねであり、それが人の生き様ではないかと、トンカツを揚げながら思う今日この頃である。

コメント
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