僕がこの世でブラザーと呼び合う男が何人かいる。
どいつも価値観が似ていて、どいつも酒飲みで気前良く、どいつも男気があり、どいつもおっさんである。
その一人がこの南場というおっさんだ。
日本では売れっ子添乗員、ニュージーランドではマウントクックでガイドをする。
いつのころからか僕らは知り合い、いつのころからか酒を酌み交わす仲となった。
僕がマウントクックで泊まりの日は向こうで飲み、シーズン頭やシーズン終わりには向こうがこっちに来て飲む。
互いにおっさんと呼び合う、そんな関係が何年か続いている。
時系列が混乱してしまうが、このおっさんが手下のユイと一緒にアロータウンの家にやってきたのが、僕の最後のツアーが終わった日。
キャンプして焼肉やろうぜ、と南場のおっさんが奮発して熟成肉だのラムラックだの買い込んでスキッパーズへ出かけたが雨が降り出したので撤退。
結局いつものようにアロータウンの家で、七輪炭火焼肉の宴となった。
その時点ですでにニュージーランド航空は日本行きの飛行機は3月30日まで、その後は6月30日まで飛ばさないという発表をしていた。
ちなみにこのおっさん、もともとの帰国予定は3月14日だったが、ちょっと延ばして遊んでいこうと予約を変更した。
予約を変更した日付が3月31日なのだ。
3月30日以降の予約の人は、こちらから連絡をするから待てと。
ちなみに日本で買ったチケットなのでオンラインでは予約の変更ができないらしい。
電話をしてもなかなか繋がらず、予定日の72時間前まで連絡するなというメッセージになってしまうようだ。
しかもマウントクックでの仕事の契約が終わったので寮に居続けることもできず、フラフラとキャンプ生活をしている。
その時はまだこんなに大事になるなんて思っていなかったので、酔っ払いながらおっさんの唄を作った。
タイトルは『日本に帰れない・・・オレ』
そしてさらに演歌調の『南場エレジー』 キーはCm 1番と2番の間に語りが入る。
日本に帰っても 仕事は無いし
そもそも会社が つぶれそう
30日までは飛行機が飛ぶのに
俺のチケット その次の日
やることなすこと 裏目裏目でござんす
齢54歳にて 住所不定無職となりやした。
流れ流れてニュージーランド
明日は風の向くまま 気の向くまま
NZにいても 仕事は無いし
住む場所さえ 無くなった
黄色い車で 眠ればいいさ
財産はバックパックとカセットコンロ
こんなどうしようもない唄をゲラゲラ笑いながら作って、その場でレコーディングまでした。
ちなみに歌は僕が歌ったが、語りの部分は本人に語らせた。
手下のユイが録音してPVを作るそうだ。
おっさんとユイはそのまま南の方へキャンプへ出かけ、僕はバンドのメンバーと楽しい週末を過ごしたのが、つい先週の話。
そこからは先の話に書いた通り。
僕はクライストチャーチに戻り、その日の夕方におっさんも我が家へやってきた。
おっさん同士が集えば飲むしかないだろう。
その日のメニューは我が家の餃子。例の絶品の餃子だ。
晩遅くには娘もウェリントンから帰ってきて、一気に我が家は賑やかになった。
犬のココちゃんは尻尾を振りながらおっさんの傍に寄り添っているのが良い。
おっさんのチケットは相変わらず31日のまま。
日本のニュージーランド航空に電話したら、せっかく繋がっても待機の音楽が流れている間にお金が無くなって切れてしまったそうな。
次の日にダメモトで空港へ行く、それも一人では心もとないから僕が一緒に行くということで、その晩は飲みつぶれたのだ。
ロックダウン前日
こんな長期のロックダウンなんて初めてである。
もっとも僕だけでなく全ての人にとって初めての体験であろう。
これから1ヶ月、スーパーで買える物以外で買っておくものを考える。
ホームセンターや大型の家電ショップなどだろうか。
ギターの換えの弦とドラムのスティックは前日に楽器屋で買っておいた。
家族会議を開き必要な物をリストに上げる。
それから南場のおっさんの黄色い車のタイヤがパンクしてるので、それも今日中にやってもらう。
やることはいくらでもある。
ホームセンターではフェンスを塗るペンキ、予備の電球、野菜の苗など。
その近くの家電ショップでは女房は探していたアイパッド、僕はブレンダーを即時に購入。
時間は1日しかない。安い物を探して店をはしごするわけにはいかない。
魚屋に行ったら活きのいい鯵があったので買った。最後の一匹だったらしい。ついでに冷凍の秋刀魚も。
肉は手に入るが新鮮な魚はこの先に手に入るかどうか分からない。
ジャパレスをやっている友達に連絡して、石鹸を作る為の油をもらいに行く。
彼の店もこれからは閉店。サーバー内のビールを処分するというので、みんなでその場で立ち飲み。
「ああ、ここでラーメンとおつまみにチャーシューなんか注文したくなっちゃったよ」
これから最低1ヶ月は外食もできない。
昼飯の後、おっさんと一緒に空港へ向かった。
列で待たされている間に、係員のおばちゃんにあれこれ聞かれて事情を説明するも「オンラインで予約を変更しろ」の一点張り。
それができないからこうやって来ているのに、頭が固い人というのはどこの世界にもいるものだ。
幸いカウンターの人は日本人女性で、説明すると話を聞いてくれてチケットを調べてくれた。
と彼女の表情が曇り、何やら同僚と話し始めた。
彼女が言うことには、おっさんのチケットは予約がキャンセルされてクレジットに変更されている。
誰がいつそれをやったのかは分からないし、そこのカウンターでは変更できない。
おっさんが泣きついて、そこのカウンターの電話で日本のニュージーランド航空へ電話してもらった。
彼女はカウンター業務があるので、そこからはおっさんが日本の人と延々1時間ほど話をした。
僕はその間ウロウロと待っていたのだが、さすがに建物内にいるのが嫌になり外で待った。
いい加減待ちくたびれた頃におっさんが出てきて言うには、どうにもできないから自分で新しくチケットを予約して、とにかく日本に帰ってからなんらかの手続きをすると。
「危ねえ、危ねえ、そのまま馬鹿正直に向こうからの連絡を待っていたら、帰れなくなるところだったぜ。」
「全くだな。それが分かっただけでも空港に行った価値はあるじゃん」
その後、ビールの材料を買い足して夕方に帰宅。
これでやり残したことはないはずだ。
帰ってから、南場のおっさんは帰りのチケットを予約するという大仕事がある。
ニュージーランド航空のサイトでは空席が出たり、それがすぐに売れたりという状態らしい。
よその国を経由して帰るという選択も、今の情勢では難しかろう。
確かにこの状態ならどこも混乱しているはずである。
今を逃せばこの先最低3ヶ月は帰れない。
その先のことも誰にも分からない。
空席が出ておっさんが喜び、それを買おうとしてモタモタしているうちに売れてしまって落胆して、というのを鯵を捌きながら見ていた。
見るに見かねて女房が助けを出して、なんとか翌日の席を確保したところでイヤミを一つ。
「なんだあ、明日か。じゃあビール作りもこんにゃく作りもペンキ塗りもできないじゃん」
我が家に滞在する間は、家の事を何でも手伝うと豪語していたのだ。
僕としてはこのままおっさんが日本に帰れなくなって家に居候なんてことになったら、それはそれで面白いなと思ったがなかなかそうはいくまい。
「ゴメンゴメン、この埋め合わせは絶対するからさ」
「よし、じゃあ、まずは乾杯だな」
ビールで乾杯して、鯵のなめろうを肴に日本酒を飲んだ。
翌朝、僕はおっさんを空港まで送っていった。
早朝だからなのか、ロックダウンだからなのか、車の通りはほとんどない。
空港のドロップオフの場所で握手をして別れた。
ダラダラとチェックインまで付き合うようなことはしない。
おっさん同士の別れはドライだ。
黄色い車を我が家に人質にして、おっさんは旅立って行った。
この車、燃費も良いし荷物も積める、買い物には便利そうだし、街乗りの足として使わせてもらおう。
余談だがその後、ロックダウンが始まりNZ国内の移動も難しくなり、28日以降の予約だったら本当に日本に帰れなくなるところだった。
サダオがコメントでうまい事を言っていた。
「あの人、こういう船に乗り遅れそうっていうふうに見えて、周りの人をドキドキハラハラさせながら、上手ーくギリギリで乗っかってっちゃう人ですね。良い意味で。こういうキャラが良い味出してて、俺は大好きです!」
まさにその通りだな。それも人徳。
この日の夜、成田のホテルで風呂に入って浴衣を着てキリンビールを飲んでいる写真が送られてきた。
こうしておっさんは無事日本に帰り、ニュージーランドではロックダウンが始まった。
どいつも価値観が似ていて、どいつも酒飲みで気前良く、どいつも男気があり、どいつもおっさんである。
その一人がこの南場というおっさんだ。
日本では売れっ子添乗員、ニュージーランドではマウントクックでガイドをする。
いつのころからか僕らは知り合い、いつのころからか酒を酌み交わす仲となった。
僕がマウントクックで泊まりの日は向こうで飲み、シーズン頭やシーズン終わりには向こうがこっちに来て飲む。
互いにおっさんと呼び合う、そんな関係が何年か続いている。
時系列が混乱してしまうが、このおっさんが手下のユイと一緒にアロータウンの家にやってきたのが、僕の最後のツアーが終わった日。
キャンプして焼肉やろうぜ、と南場のおっさんが奮発して熟成肉だのラムラックだの買い込んでスキッパーズへ出かけたが雨が降り出したので撤退。
結局いつものようにアロータウンの家で、七輪炭火焼肉の宴となった。
その時点ですでにニュージーランド航空は日本行きの飛行機は3月30日まで、その後は6月30日まで飛ばさないという発表をしていた。
ちなみにこのおっさん、もともとの帰国予定は3月14日だったが、ちょっと延ばして遊んでいこうと予約を変更した。
予約を変更した日付が3月31日なのだ。
3月30日以降の予約の人は、こちらから連絡をするから待てと。
ちなみに日本で買ったチケットなのでオンラインでは予約の変更ができないらしい。
電話をしてもなかなか繋がらず、予定日の72時間前まで連絡するなというメッセージになってしまうようだ。
しかもマウントクックでの仕事の契約が終わったので寮に居続けることもできず、フラフラとキャンプ生活をしている。
その時はまだこんなに大事になるなんて思っていなかったので、酔っ払いながらおっさんの唄を作った。
タイトルは『日本に帰れない・・・オレ』
そしてさらに演歌調の『南場エレジー』 キーはCm 1番と2番の間に語りが入る。
日本に帰っても 仕事は無いし
そもそも会社が つぶれそう
30日までは飛行機が飛ぶのに
俺のチケット その次の日
やることなすこと 裏目裏目でござんす
齢54歳にて 住所不定無職となりやした。
流れ流れてニュージーランド
明日は風の向くまま 気の向くまま
NZにいても 仕事は無いし
住む場所さえ 無くなった
黄色い車で 眠ればいいさ
財産はバックパックとカセットコンロ
こんなどうしようもない唄をゲラゲラ笑いながら作って、その場でレコーディングまでした。
ちなみに歌は僕が歌ったが、語りの部分は本人に語らせた。
手下のユイが録音してPVを作るそうだ。
おっさんとユイはそのまま南の方へキャンプへ出かけ、僕はバンドのメンバーと楽しい週末を過ごしたのが、つい先週の話。
そこからは先の話に書いた通り。
僕はクライストチャーチに戻り、その日の夕方におっさんも我が家へやってきた。
おっさん同士が集えば飲むしかないだろう。
その日のメニューは我が家の餃子。例の絶品の餃子だ。
晩遅くには娘もウェリントンから帰ってきて、一気に我が家は賑やかになった。
犬のココちゃんは尻尾を振りながらおっさんの傍に寄り添っているのが良い。
おっさんのチケットは相変わらず31日のまま。
日本のニュージーランド航空に電話したら、せっかく繋がっても待機の音楽が流れている間にお金が無くなって切れてしまったそうな。
次の日にダメモトで空港へ行く、それも一人では心もとないから僕が一緒に行くということで、その晩は飲みつぶれたのだ。
ロックダウン前日
こんな長期のロックダウンなんて初めてである。
もっとも僕だけでなく全ての人にとって初めての体験であろう。
これから1ヶ月、スーパーで買える物以外で買っておくものを考える。
ホームセンターや大型の家電ショップなどだろうか。
ギターの換えの弦とドラムのスティックは前日に楽器屋で買っておいた。
家族会議を開き必要な物をリストに上げる。
それから南場のおっさんの黄色い車のタイヤがパンクしてるので、それも今日中にやってもらう。
やることはいくらでもある。
ホームセンターではフェンスを塗るペンキ、予備の電球、野菜の苗など。
その近くの家電ショップでは女房は探していたアイパッド、僕はブレンダーを即時に購入。
時間は1日しかない。安い物を探して店をはしごするわけにはいかない。
魚屋に行ったら活きのいい鯵があったので買った。最後の一匹だったらしい。ついでに冷凍の秋刀魚も。
肉は手に入るが新鮮な魚はこの先に手に入るかどうか分からない。
ジャパレスをやっている友達に連絡して、石鹸を作る為の油をもらいに行く。
彼の店もこれからは閉店。サーバー内のビールを処分するというので、みんなでその場で立ち飲み。
「ああ、ここでラーメンとおつまみにチャーシューなんか注文したくなっちゃったよ」
これから最低1ヶ月は外食もできない。
昼飯の後、おっさんと一緒に空港へ向かった。
列で待たされている間に、係員のおばちゃんにあれこれ聞かれて事情を説明するも「オンラインで予約を変更しろ」の一点張り。
それができないからこうやって来ているのに、頭が固い人というのはどこの世界にもいるものだ。
幸いカウンターの人は日本人女性で、説明すると話を聞いてくれてチケットを調べてくれた。
と彼女の表情が曇り、何やら同僚と話し始めた。
彼女が言うことには、おっさんのチケットは予約がキャンセルされてクレジットに変更されている。
誰がいつそれをやったのかは分からないし、そこのカウンターでは変更できない。
おっさんが泣きついて、そこのカウンターの電話で日本のニュージーランド航空へ電話してもらった。
彼女はカウンター業務があるので、そこからはおっさんが日本の人と延々1時間ほど話をした。
僕はその間ウロウロと待っていたのだが、さすがに建物内にいるのが嫌になり外で待った。
いい加減待ちくたびれた頃におっさんが出てきて言うには、どうにもできないから自分で新しくチケットを予約して、とにかく日本に帰ってからなんらかの手続きをすると。
「危ねえ、危ねえ、そのまま馬鹿正直に向こうからの連絡を待っていたら、帰れなくなるところだったぜ。」
「全くだな。それが分かっただけでも空港に行った価値はあるじゃん」
その後、ビールの材料を買い足して夕方に帰宅。
これでやり残したことはないはずだ。
帰ってから、南場のおっさんは帰りのチケットを予約するという大仕事がある。
ニュージーランド航空のサイトでは空席が出たり、それがすぐに売れたりという状態らしい。
よその国を経由して帰るという選択も、今の情勢では難しかろう。
確かにこの状態ならどこも混乱しているはずである。
今を逃せばこの先最低3ヶ月は帰れない。
その先のことも誰にも分からない。
空席が出ておっさんが喜び、それを買おうとしてモタモタしているうちに売れてしまって落胆して、というのを鯵を捌きながら見ていた。
見るに見かねて女房が助けを出して、なんとか翌日の席を確保したところでイヤミを一つ。
「なんだあ、明日か。じゃあビール作りもこんにゃく作りもペンキ塗りもできないじゃん」
我が家に滞在する間は、家の事を何でも手伝うと豪語していたのだ。
僕としてはこのままおっさんが日本に帰れなくなって家に居候なんてことになったら、それはそれで面白いなと思ったがなかなかそうはいくまい。
「ゴメンゴメン、この埋め合わせは絶対するからさ」
「よし、じゃあ、まずは乾杯だな」
ビールで乾杯して、鯵のなめろうを肴に日本酒を飲んだ。
翌朝、僕はおっさんを空港まで送っていった。
早朝だからなのか、ロックダウンだからなのか、車の通りはほとんどない。
空港のドロップオフの場所で握手をして別れた。
ダラダラとチェックインまで付き合うようなことはしない。
おっさん同士の別れはドライだ。
黄色い車を我が家に人質にして、おっさんは旅立って行った。
この車、燃費も良いし荷物も積める、買い物には便利そうだし、街乗りの足として使わせてもらおう。
余談だがその後、ロックダウンが始まりNZ国内の移動も難しくなり、28日以降の予約だったら本当に日本に帰れなくなるところだった。
サダオがコメントでうまい事を言っていた。
「あの人、こういう船に乗り遅れそうっていうふうに見えて、周りの人をドキドキハラハラさせながら、上手ーくギリギリで乗っかってっちゃう人ですね。良い意味で。こういうキャラが良い味出してて、俺は大好きです!」
まさにその通りだな。それも人徳。
この日の夜、成田のホテルで風呂に入って浴衣を着てキリンビールを飲んでいる写真が送られてきた。
こうしておっさんは無事日本に帰り、ニュージーランドではロックダウンが始まった。