あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

美味い酒、不味い酒

2021-02-21 | 酒人


ブログを始めて10年以上になるが、文を書き始めて完成しないままにタイミングを逃してしまうことがある。
そうやってお蔵入りした話も多々ある。
この話は去年9月に蔵で働いた時の話だ。
タイミングが合わずに載せなかったが、ボツにするのは惜しいので加筆修正してこの話も日の目を当たることになった。





全黒は小さい酒蔵であるが故に、全員で多様な仕事をこなす。
これが大きな工場のような酒蔵ならば、流れ作業のような具合になるのかもしれない。
効率を考えたらそっちの方がいいのだろう。
だが小さい酒蔵ならではの楽しみや喜びもある。
仕込みの時には米や麹や水の分量を計る作業から始まり、米を洗う洗米、水に浸す浸漬などが下準備。
その翌日には米を蒸して、蒸しあがった米を冷ましてタンクに水と共に入れる。
同時に杜氏か蔵頭が麹や酵母の量を測り調合する。
そうやってできたもろみを4週間の間、毎日かき混ぜて温度管理をする。



役4週間後に布の袋に入れて数日吊るして吟醸酒を絞る。
絞った後のものを上手く並べて、上から重石を乗せてさらに絞る。
絞ったものは数日置いて、上澄みを取る澱引きという作業があり、次は火入れという作業がある。
それをフィルターにかけ、数ヶ月寝かせ、配合して瓶詰め、それを再び火入れをして、ラベルを貼り商品となる。
ざっとまあこんな具合であり、すべてが作業の連続だ。
小さい酒蔵なので、酒造りの最初から最後まで全て関われるのが良い点である。
発酵途中のもろみの状態から、絞り、澱引き、フィルター、火入れという要所要所で味見もする。
そうやって仕事をしていれば、どの時点での酒が一番旨いかということも分かる。
逆に言えば、どういう状態の酒が不味いかも分かるわけだ。





旨い酒と言えば、吟醸や大吟醸というものが一般的だ。
全黒も純米吟醸を作っていて、最近は純米大吟醸も作り始めた。
ここで吟醸と大吟醸の違いを書いておこう。
酒に使う米の旨みの成分は、米粒の中心に集まっている。
そこで米を精米して削っていき、外側にある雑味などを取って中心の旨さを残していく。
吟醸だと米粒の4割を削り、残りの6割の米で造る。
これが大吟醸だと5割削り、残り5割で造る。
米粒の大きさも大吟醸は小さくなるし、同じ量の酒を造るのにも大吟醸は米の量が多く必要となる。
そういう贅沢な酒なので、当然ながら値段も高くなる。
贅沢な酒だけあって、香りは良いし味も良い。
極めていくと精米を7割削り3割で造るといった大吟醸もあるようだが飲んだことはない。



全黒の大吟醸も順調に醸され、絞りの日となった。
毎日、もろみからサンプルを取り分析後の酒を味わってきたので旨いのは分かる。
けれどサンプルはサンプルであり実際に絞ったものとは味も違う。
実際にどんな味になるのか、ワクワクしながら僕もユーマもアキさんもニコニコ顏で仕事をこなす。
もろみというものはドロドロのゆるいお粥のような状態だが、それを11リットルづつ布袋に入れて棒で吊るす。
袋からは液体が染み出しポタポタと落ちて、船と呼ばれる大きな容器の下に溜まる。
釣り終えてわずか数時間で40リットルぐらいは溜まっただろうか。
さてお楽しみの利き酒の時間だ。
みんな仕事を一段落させ集まり、味を見て感想を言い合う。
この初日に絞ったものを『荒ばしり』と呼ぶ。
その名の通り、荒い味がするのだ。
荒いと言っても大吟醸。
風味もあり、飲み口良く、旨い。
今の時点では荒いが、時間が経って落ち着いたら旨い酒になることは想像できる。



その翌日の夕方、再び船から大吟醸を取る。
二日目に絞る酒を『中取り』と呼び、これが一番旨い。
昨日の味見で美味いのは分かっているが、1日置いてどんなに旨くなっているのか。
そんな期待を胸にワクワク、ニヤニヤしながら仕事をこなす。
楽しい時が来るのが分かっているので、妙にテキパキと仕事をこなす。
そして夕方、みんな集まり、味見をする。
香りが少し弱いが、吟醸香は確実に感じられる。
口の中に含むとすっきりとした味わいが広がり、喉を通ると同時にすべてが消える。
「何これ?このすっきり感!」
「これは危険だ。喉が渇いていたら一気飲みできちゃうな」
「この消えゆく感じ、桜の散り際のようだ。」
「これは侍だ。侍の潔さだよ」
みんなそれぞれに言葉は違うが、それぐらいにすっと消える旨さ。
ううむ、これが大吟醸なんだな。
そのスッキリ消える感じも含めて酒の旨さなのだ。
安い酒とか飲むとアルコール臭さがいつまでも口の中に残るが、さすが大吟醸そんな感覚は微塵も無い。
特に搾りたてなんてあーた、美味い所の先取りだ。
これを飲みたきゃ、蔵で働くしかない。
本当に美味い物は人に感動を与える。
この仕事をやっていて良かったと思える瞬間だ。



美味い物ばかりではない。
僕たちは勉強熱心なので、工程ごとに品質を自分の舌でチェックする。
もろみを袋に入れて吊るして絞り、さらにそれを平積みにして上から重石をして絞る。
その後で袋を積み上げて1週間ぐらい置くと、また数リットルの酒が出る。
これをカス酒と呼ぶ。
このカス酒は不味くてとても売り物なる代物ではない。
こういう酒は作業用に使う。
新品の瓶を酒に鳴らす作業を酒慣れと言い、それに使ったり、フィルターを通す前に流す『流し酒』などである。
勉強熱心なので、このカス酒さえも味を見る。
香りは飛び、味は甘すぎで苦味も感じられる。
同じ大吟醸でも、とどのつまりはカス酒になり、はっきり言って不味い。
だがこの不味い酒が料理に使うと化ける。



この酒を熱してアルコールを飛ばすと、みりんのように使える。
これはれっきとした和食の技術で、高輪プリンスの和食レストランの板前さんに昔教わった。
これを使った煮物は絶品で、得意技は豚肉の全黒煮である。
今ニュージーランドにある日本食はどれも甘すぎる。
砂糖べったりと醤油で味付けを濃くすれば売れるので仕方がないが、本来の和食とはかけ離れている。
逆に甘くしないと売れないのだろう。
砂糖の甘さは中毒になりやすく、自分でも気がつかないうちに味付けがどんどん濃くなっていく。
出汁をきかせ甘みを抑え素材の旨さを引き出す料理を、自分は目指している。
そうやって作った親子丼、卵は家の卵を使ったものは絶品である。
時々、全黒スタッフの賄いランチに出す。
みんなで美味い物を食べると自然に笑顔があふれる。
美味い物を食べる時に人間は不機嫌になれない。
親子丼に合わせ杜氏のデイブが気前よく新しい酒を品質チェックという名目で開けてくれたりする。



そうやって和気あいあいで仕事をして美味い酒ができる。
和醸良酒の話は以前書いたが、最後は心だろうな。
心が通っていればこそ、いい仕事ができる。
逆に言えば心が無ければ良い物は産まれない。
そんな心がこもった大吟醸、これは美味いぞ。
どれだけ美味いか、こればっかりは飲んでくれ、という他ない。
この話が遅れたのは、話を書いた時にはまだ大吟醸は製品になっていなかったからだ。
売り出したら話を載せようと思っていたらズルズルと時間が経って、年を超えてしまった。
まあ話も酒と同じで、ある程度熟成して味が出る、ということにしておこう。



コメント
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