あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

分かれば分かるほどに何も分からない事が分かった。

2021-07-10 | 日記
世の中では色々な事が起こっているが、そんな事知らん、というように季節は移る。
秋が深まったなどと風流な事を言っていたと思ったらあっというまに冬至が過ぎ、冬になった。
歳を取ると時間の流れが速く感じる、という話を聞いた事があるが的を得ているものだ。
この時間の流れの感じ方は加速するらしく、爺いになればなるほど速く感じるそうだ。
それはそれで楽しみでもある。
時が流れ冬になったが、今年も又、雪不足・・・。
大手のスキー場はオープンしたが、僕が行く小さなスキー場はオープンできない。
若い時はこういう状況にやきもきもしたが、最近は悟ったというか諦めたというか、開き直りのような気持ち。
自暴自棄とか無気力ではなく全てを受け入れる、なすがままにしなさいという、あの歌の如くの毎日である。

毎日の楽しみはラベンダー畑で働きながら、コテンラジオで歴史を学ぶことだ。
最終学歴が工業高校ということで、世界史というものは全く勉強したことがなかった。
日本史は嫌いだったが中学校で勉強したので、貴族社会から武家社会を経て戦国時代、江戸時代、明治維新といった流れは知っていた。
だが世界史なんてものは、はるか遠い過去の出来事で、今までの人生において全く接点が無かった。
ヨーロッパへ行けば嫌でも歴史的建造物を目にすることもあるだろうが、僕はヨーロッパに行ったことがない。
ニュージーランドの歴史はある程度知っているが、この国は世界史に大きな影響を与えていない。
「そんな昔の人が何をしたなんて知るかよ。今の俺らに関係ねーよ」
そこまでやさぐれていないが、無知、無学、無教養、無関心の僕が世界史にハマりにハマった。
世界史にと言うより、コテンラジオで聴く世界史にハマった。
これが1862年に誰が何をした、というように教科書のような話だったら嫌になるだろう。
だが彼らの話では細かい年号は一切出さず、考え方として大まかな年代ぐらいだ。
そして何よりその当時の時代背景そして社会構造を重要視している。
アレキサンダー大王から始まり、ローマ帝国、オスマントルコ帝国、宗教革命、アメリカ開拓史、フランス革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦。
通して聴いてみると、ナルホド全てが複雑に繋がって現代に至っている。
そして所々に出てくる豆知識などで目が覚めるような話もある。

例えば第一次世界大戦でテクノロジーが戦略を変えたというような話があった。
鉄道の発達により大量の部隊を前線に送ることが可能になったとか。
それまで石炭を燃やし水を沸騰させ蒸気の力を回転エネルギーにしていたのを、石油の発見により燃料を燃やし直接ピストンを動かす内燃機関の発明、その初代がベンツという人だったとか。
ベンツの歌を時々歌うが、ベンツってのは人の名前だったのか。
学校教育とは国家事業であり、当時の国家に都合の良い教育をしたとか、これは今も同じだな。
第一、学校というのは今の僕らにとって当たり前であり、それが国家事業なんて考えたことも無かった。
それが始まったのその頃であり、それまで民衆が意識していなかった愛国心をあおるようなものだったと。
これは日本でも同じことで、昔の国語の教科書は「ススメ、ススメ、兵隊さん」だった。
これを『良い』と『悪い』で判断しないことが大切なのである。
よく昔の出来事を『誰が愚かだった』『あの政策は間違いだった』などと批判する人がいる。
こういうのは後出しジャンケンみたいで気に入らない。
僕が歴史を通して学んだのは、時代背景と社会構造が今とは徹底的に違うということだ。
人はどうしても今の自分が持っている価値観で物事を判断しようとする。
それを外して考えるという、とても難しい作業が必要だ。
今の僕らの道徳では、「人を殺したり傷つけてはいけません」とか「人の物を盗んではいけません」こういうのが基本で社会が成り立っている。
でもそういう考えが成り立たない時代や社会もあった。
その時の人々の心情は僕らには想像がつかない。
想像がつかないが、それでもそのことを知りつつ過去を見る。
そうする事によって、社会を俯瞰して見ることができる。
これが社会構造というやつだ。
そうすると同じようなパターンが時代や地域を超えて存在するのがわかる。
そのパターンは今の社会でもあちこちにあるし、個人レベルのいざこざでも存在する。
歴史を知ることにより、今の社会というものが見えてくるのである。
これは面白いぞ。
この歳になって、こういう形で学ぶ楽しさを知るとは思わなかったなあ。

この歴史の授業は1回の番組が30分ぐらいで、一つのテーマが長いものだと10話以上になる。
10話だとしても5時間か。
喋るのも大変だろうが、聴く方も集中力が要る。
車の運転をしながら聞いていると、何かの拍子の時に話が飛んでしまうことがある。
まあ、それが正常な反応だろう。でないと危ないからね。
これがラベンダー畑なら瞬間的な身の危険は無いので、話が複雑になった時に手を止めて考えることができる。
一人で仕事をするから邪魔もされない。
基本的に仕事中はずーっと聞いているから、「今日はこの話」というように一つのテーマに没頭できる。
ガイドの仕事なら、こうはいかないな。
そんな具合に彼らのラジオを延べ時間で言えば100時間以上も聞いた。
こんなことが出来るのも技術の進化のおかげだ。
ありがたや、ありがたや。
歴史を学ぶことは、過去の偉人の考えを学ぶことでもある。
そうやって自分自身を磨き鍛え上げていくとどうなるか。
まず自分の思考が変わった。
今ある常識は昔の常識ではなく、自分の当たり前は他人の当たり前ではないことを思い知らされた。
そうやって不完全ながらも、自分を取り巻く社会さえも俯瞰的に見るようになるのだろう。
そしてそれがどんどん進めば、哲学につながっていくのだと思う。
知れば知るほどに、学べば学ぶほどに、何も分からないことが分かるのだ。
そしてまた、分からないからといって思考を停止させることなく、分からないままに分かろうとするのが人間というものであろう。
そう言えば「人間は考える葦である」とどこかの誰かが言ってたなあ。

コメント
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