あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ブルシットジョブ

2022-06-13 | 日記
ブルシットという言葉は直訳すると牛の糞だが、とんでもないとかでたらめとかくそったれとかコンチクショーとか、ロクでもない意味だ。
ちなみに英語の発音をカタカナ表記にするとボゥシッになるが、今回はブルシットで行こうと思う。
ブルシットジョブとはロクでもない仕事という意味で、デイビッド・グレーバーという人の本のタイトルでもある。
ブルシットジョブの定義は『被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で不必要で有害でもある有償の雇用の形態である。とは言え、その雇用条件の一環として、本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている。』 デイビッド・グレーバー
僕が自分の言葉で書くなら、本当はやりたくないクソバカバカしい仕事だけど金になるからやってるだけで、生活のために綺麗事ばかりも言ってらんねーよな。
そんな具合かな。
ここであらかじめ書いておくが、今回の話は読んでいてムカつく人が多く出てくると思う。そして長い。
仕事というのはその人が選択した生き方であり、それをけなされたら誰だって腹が立つ。
「なんでオメーにそんなこと言われなきゃならないんだよ、このクソ野郎が。だいたいテメーは偉そうなんだよ、何様のつもりだ!」と思われても仕方ない内容だ。
なのでそうなるかもしれないなという人は、途中でも読むのをやめて別の事をする方がいいだろう。本当に長いから。
ではなぜ書くかと問われたら、長年自分が投げかけてきた質問の答えがそこにあったからだ。長くても。
仕事と言うものを考え、構造を理解する点でうまく説明をしてくれたのがブルシットジョブだったという話。
まず仕事とは一体なんだろう、労働とは違うのか?
その答えは人によって違い、それこそがその人の持つ人生観であり価値観である。
「生きていく為にする事」「嫌いだけど仕方なくやる事」「お金を稼ぐこと」「ただ考えずにやる事」「楽しいこと」「自分がやるべき事」「社会の為にする事」「家族の為にする事」「何かよく分からないけどやらなきゃならないこと」「自分の使命」「人がいやがる事をすること」「うだうだ言ってないでだまってやれ!」
いくらでも出るがなにが正しいというのはない。
よく職業に貴賎はない、などと言うが僕は違うと思う。
この言葉も職業とは何かで意味合いが違ってくるが、ヤクザは職業だろうか?ヤクの売人は?サギ師は?殺し屋は?戦争仕掛け人は?
そこまで含んで考えると、例えば医者と殺し屋は同列か?ヤクの売人と消防士は同列か?となってしまう。
今回の話も前提に、職業に貴賎はある、ただしその貴賎とはどれだけ金を稼ぐのではなく、どれだけ社会に貢献しているかで決める、これをベースに考えていきたい。

さて、ここでブルシットジョブの種類をいくつかあげる。
1 取り巻き 誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わせたりするためだけに存在する仕事。
2 脅し屋 雇用主の為に他人を脅したり欺いたりして、その事に意味が感じられない仕事。
3 尻拭い 組織の中の存在してはならない欠陥を取り繕うだけの仕事。
4 書類穴埋め人 組織が実際にやっていないことを、やっていると主張する為だけに存在する仕事。
5 タスクマスター 他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシットジョブを作り出す仕事。
一つ一つは後で記述するが、全ての人が思い当たる事があるだろう。
職種そのものがブルシットジョブであることもあるし、仕事の一部がブルシットジョブということもある。
エッセンシャルワーカーの仕事でも時と場合によってブルシットジョブになりうる。
自分のやっていることが100%ブルシットジョブだという人は少ないと思う。
だが今の社会で生きていたら多かれ少なかれ誰もがブルシットジョブに巻き込まれる。
エッセンシャルワーカーというのは社会機能維持者と訳されるが、社会に必要な職種のことである。
食料生産、交通、流通、物販、生産、教育、医療、建設、消防、安全管理、通信、治安維持、他にもあるかもしれないがざっとこんなものだろう。
これをやっている人が全て立派かと言うとそうでもなく、職業として社会の為に必要でもそれをやっている人間はクソ野郎、というのはどこの世界にもいる。
あくまで仕事の構造の話で、おおまかに言ってエッセンシャルワーカーは社会に必要な仕事、ブルシットジョブはあってもなくてもどうでもいい仕事と考えていいだろう。
ちなみに社会には必要だけど賃金の低い仕事、農業とか看護師とか介護とか3Kのキツイ仕事は、シットジョブと区別されている。
そしてヤクザや売人のように目に見えて社会の毒となるような仕事もあるが、ブルシットジョブは表向きは毒気はないが実質は社会全体に害を与えている。
何と言って儲かるし金になるのがブルシットジョブなのだ。
ホワイトカラー、エリート、なんとかエグゼクティブ、なんとかコンサルタント、なんとかコーディネーター、全てではないがそういった人にブルシットジョブは多い。

ここで一つづつブルシットジョブについて具体的に述べる。
その1、『取り巻き』。誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わせたりするためだけに存在する仕事。受付係、ドアパーソンなど。
組織の派閥争いには必ず存在するし、ゴマをするなんてのはどの業界でもある。
昔あるスキーリゾートで働いていた時に年上の正社員が僕ら若手のアルバイト社員に偉そうに言っていたのを思い出した。
「私はオーナーが来る時は常にポケットの中でライターを温めておくんです。オーナーがタバコをくわえた時にさっと出して一発で火がつくでしょう。これが気配りです」
こいつはそんなくだらない事を考えて人生を生きているのか、と心の中で思った(さすがに言葉には出さなかった)だがこうやってネタに使わせてもらったんだから良しとしよう。
これを一言で言い表すなら『媚びる』という言葉だろう。
権力もしくは財産を持つ人間に媚びて自分を認めてもらいたい欲求。
そこにあるのは人間として平等というものではなく、常に上下関係だ。
しかも自分で上下関係を作り上げて、その関係の中に身を置いてぬるま湯に浸かるように思考を停止している。
そういうやつはたいてい上にはペコペコするが、下にはきつく部下の失敗は部下のせい、部下の成功は自分の業績とするんだろう。
そういう事だけで金を稼いでいる人はたぶん多いんだろう、しかもその金は大金なんだろうなあ。
今ここまで書いて気がついたが、例を挙げたスキー場のゴマすり野郎はそれで大金を貰っているわけでないからブルシットジョブではなく、単にバカなヤツという話だろう。
政治界とか財界とか、それから大学病院の中にもあるのをテレビドラマで見たが、似たような権力構造ではヤクザの社会でも同じだ。
客に媚びるという意味では、客商売でも無意味なサービスというものはある。
媚びることと正当なサービスというものは本来違うものだが、むやみに媚びる側とそれで気をよくするバカな客と1セットになっているのが現状だろう。

その2 『脅し屋』雇用主の為に他人を脅したり欺いたりして、その事に意味が感じられない仕事。
ロビイスト、顧問弁護士、テレマーケティング業者、広報スペシャリストなど雇用主に代わって他人を傷つけたり欺いたりする為に行動する。
言葉巧みに雇用主に取り込み、敵もしくは標的の弱みを見つけ出し脅して利益というエネルギーを奪う。
脅すという点ではヤクザや総会屋も似たようなものだが、彼らは直接的に利益を奪う。
どちらもコントロールドラマでいうところの脅迫者で、他人からエネルギーを奪うのでいくら奪っても満ち足りることはない。
奪ったエネルギーは人に回すことなく、自分だけでもしくは自分の所属する組織だけ溜め込む。
エゴ、自分さえよければいいという考えから脱却できない人々だ。

その3 『尻拭い』 組織の中の存在してはならない欠陥を取り繕う為だけに存在している仕事。
例えば粗雑なコードを修復するプログラマー、バッグが到着しない乗客を落ち着かせる航空会社のデスクスタッフ、客からの苦情電話係。
この話でも昔会った人を思い出した。その人は何か事あるごとに「ごめんなさい」を連発していた。
なぜそんなに謝り続けるのか聞いたところ、とある会社の苦情の電話番を長い事していたと言う。
そこではひたすらに謝り続ける仕事でそれが癖になり、プライベートでも事あるごとに謝るようになった。
自分自身が悪い事をしたわけでもないのに謝るなんて悲しいことだなぁ、と思った。
これが自分なら「自分が悪い事をして謝るのは納得がいくが、自分が悪くないのに謝るのは何か違う」という考えが態度に出て客を怒らせてしまう。
実際に若い時にはそういう事が原因で大クレーム問題になったこともあった。若気の至りだったんだなあ。
自分が悪くないのに謝るのは人として悲しい話だが、その仕事を選ぶのもその人の選択の結果なのだろう。
たまにあるのがクレームを受け続けた人が、立場が変わった時にクレーマーになってしまう事で、負の連鎖とはそうやってできる。

その4 『書類穴埋め人』 組織が実際にやっていないことを、やっていると主張するために存在する仕事。
例えば調査管理者、社内の雑誌ジャーナリスト、企業コンプライアンス担当者など。
役に立たない時に何か便利なことが行われているように見せる。
これは自分の身近にはいないので具体的な例は見つからないが、なんとなく想像できる。

その5 『タスクマスター』 他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシットジョブを作り出す仕事。中間管理職など。
これが僕が長年疑問に思っていて、誰も納得のいく答えを指し示してくれなかったことの答えの一つだ。
フランスのお茶工場の話だが、その工場がリプトンという会社に売られて放置された。
従業員はそのままで、新しくただ椅子に座っているだけという工場長がやってきた。
新しい工場長は何もしなかったが、古くからいる従業員が力を合わせ頑張って、いろいろな改善をして業績は以前の2倍半になった。
上の人が何もしないというのは時に良い結果を招く。
それで従業員の給料が上がったかというとそうでなく、新しい機械を導入したかというとそれでもなく、現場を知らない10人のスーツを着た人達が中間管理職としてやってきたという話。
ここからは僕の想像だがその人達は何をしたんだろう。
きっと何もしなくても給料をもらえるのだろうが、人間は何かしたという証が欲しい。
現場の人に必要のないレポートを提出することを命ずるかもしれない。
自分が仕事をしているという証が欲しいだけで、あれやこれや命令したかもしれない。
現場のことを知らない上司がしゃしゃり出て現場をかき乱す、そんなことは世の中にいくらでもあるし僕も今までの人生でいくつも見てきた。
そうやってブルシットジョブが増えて行く。
僕がツアーで仕事をしていた時、多分今もそうだがツアーレポートの提出を命じられた。
ホテルから空港まで1時間ぐらいの仕事で何も問題なく終わった時でもレポートを出せと言われる。
くだらない仕事だなと思いながら『何も問題なし』と書いていたら、「問題なしではなく、もっと具体的にお客さんの様子を書け」とまで言われた。
問題があった時に報告するのは当たり前だが、何事もなく終わった時にもするのは実にバカバカしい。
当時はファックスでそれを送っていたが、紙のムダ、通信費のムダ、労力のムダだ。
何故こんな作文をしなくてはならないのか、お客さんは満足して帰ったんだからめでたしめでたしでいいじゃん。
今となっては僕の何故?の答えは『それがブルシットジョブだから』で結論づけられる。

こうやって見てみると世の中はブルシットジョブで溢れている。
全く意味の無い会議、誰も見ないレポートの提出、接待ゴルフ、自分の仕事が終わったのに同僚が終わっていないという理由で帰れない残業、余った予算を年度末に使い切らなければならない理由でやる道路工事、自分の存在価値だけのためだけに部下に命ずる生産性の無い作業。
誰もが思い当たることがあるはずだ。
気をつけなければならないのは、それを悪だと決めつけてしまうことである。
悪だと言った瞬間に思考は停止してそれで終わってしまう。
一見ブルシットジョブは悪いと思いがちだが(確かに良いものではない)そこで一歩踏みとどまって冷静に考えなくてはならない。
まずはブルシットジョブの構造、そして世の中はブルシットジョブで溢れているというファクトを理解する必要がある。

ケインズという経済学者が考えた理論では、将来(僕らの現在)はテクノロジーが発達して人は週に15時間ぐらい労働すればいいという世の中になるだろうと予測した。
実際には週40時間どころか残業休日出勤で、人は休みなく働いている。
全然違うぞー。
一説では人類は産業革命以前よりも忙しくなっていると。
人間が楽に生活ができるように科学が発展したのに、どうなっちゃったんだよ、一体?
確かに生活は楽になった。
全自動の洗濯機はボタンを押せば機械が洗濯してくれて脱水や乾燥までしてくれる。
炊飯器はご飯を炊いてくれるし、掃除機ロボットが掃除をしてくれる。
昔の人から見れば夢のような生活なのだろうが、昔はブルシットジョブも無かった。
便利になり生活に余裕ができた、その分ブルシットジョブが増えたということだろう。
言い方を変えると新しい機械を買うためにブルシットジョブをやり、新しい機械を作って売る側もブルシットジョブをする。
なぜこんなにもブルシットジョブが増えたのか?
それは『自由市場経済では全ての物が商品となり労働者の労働時間というものも商品になる』というところだと思う。
要は資本家は労働者から時間を買っていて、労働者は自分の時間を売って生活をしているとも言える。
だから仕事に意味や生産性があろうがなかろうが、会社に居るだけで給料をもらえるという構造ができる。
これを考えるとブルシットジョブは資本主義が発達する上で当たり前に発生するものなんだろうな。

働かざる者食うべからず、という格言がある。
生きていくためにちゃんと真面目に働きなさいよ、という言葉だがこれについて一言もの申す。
まずこの言葉ができた昔は、人間の労働はほぼ全てがエッセンシャルワークであり、働くこと=家族を養う、ひいては社会の為でもあった。
そしていつのまにか人々の心に、労働=尊いもの、という概念ができた。
その概念が一人歩きすれば、家族を犠牲にしてでもするべき義務、となる。
誤解のないように言えば、僕も労働は尊いものだと思っているが、労働の質と言うものを忘れてはいけない。
働く事は大切な事だから、ブルシットジョブだろうがなんだろうが働けば良い、という考えから脱却すべきだ。
そして今の世の中では雇用を生むというのが、政策にもなっている。
オバマが大統領だった時の話、あるシステムを導入すれば1万人の人件費が節約できるという話があったそうな。
オバマは「そんなことをしたら1万人はどうやって食っていくんだ」と言ってそのシステムが導入される事はなかった。
結果は1万人分のブルシットジョブが残っただけだ。
似たような話は世界中に転がってる。
これからAIがもっと進めば、いやすでにそうなのだが、人間がやってきた事を機械ができる時代になっている。
そこで出てくる質問は、雇用がなくなって生活がやっていけるのか、これは絶対に出る。
これを打開するにはベーシックインカムの導入という方向に行くのだろうが、それも簡単な話ではないだろう。
でもまずは考え方を変える事からだと思う。
自分のやっているその仕事は本当に大切な仕事なのか、ブルシットジョブか。
それだけで世の中の見方が変わってくるはずだ。
ちなみに政治家のほとんどはブルシットジョブだ。

さて世の中には様々な仕事があるが、それが社会にどれだけ役立つかという興味深い話を聞いた。
これは言い換えれば、仕事のブルシット具合というものだ。
人間が1ドル分実際に働いて、その1ドルが社会の中でどれだけの価値になるか。
例えば保育士の1ドル分の仕事は、社会では7ドル分の価値がある。
ナルホド、理解できるぞ。
看護師の1ドル分の仕事は社会では9ドルの価値がある。
仕事きついし、それぐらいの価値はあるわな。
ゴミ収集車の人の労働は10ドルの価値があるという。
面白いことに医者はそれほど高くなく、看護師の方が高い。
実際の社会では高い給料をもらって威張っているのは医者だ。
それだけ医者はブルシットにまみれている一面もあるという話。
対極では銀行員が1ドル分働くと、社会では7ドルの損失になると言う。
損失っていうのもありなんだね。
極め付けは広告代理人、この人が1ドル働くと11、5ドルの損失になる。
ああー、なんとなく分かるぅ。
この値を指標にして、各職業がどの辺りに位置するかおぼろげに見えてくる。
ただしこれは職業の平均値であろう。
医者でも現場で患者に寄り添って仕事をする医者もいれば、ふんぞりかえって威張っているだけの医者もいるだろう。
これはあくまで全体を見る話であって、個人の働き方や生き方とは区別して考えなくてはならない。

ブルシットジョブの定義に一度戻ると、社会において意味がないもしくは害になっていて本人も認めているのがブルシットジョブだ。
深読みすれば、本人が「自分がやっているのはブルシットジョブではない」と言い張ればブルシットジョブではないわけだ。
これは面白い観点で、それを決めるのは周りでなく自己申告制というのがいい。
統計では欧米諸国の3割から4割ぐらいの人が、自分がやっているのはブルシットジョブだと認めている。
人間はそれぐらいの割合で理性と良心を持ち合わせているのだな。
そしてまたブルシットジョブをやり続けるのはある意味つらいものだと思う。
たとえブルシットジョブで大金持ちになって社会的に成功をしたように見えても、虚しさからは逃れられないだろう。
僕の考えでは仕事というのは何かしら社会に奉仕する一面が必要だ。
それがエッセンシャルワークでなくても、たとえ何も産み出していなくても、人を幸せにする仕事はある。
よく聞く話だが家事は仕事かどうか。
家事自体は直接的にお金を生み出していないので、低く見られている。
だが労働者に次の日も元気で働けるエネルギーを与える大切な役割だ。
こういう仕事のことをケア労働という。
ケア労働もエッセンシャルワークだ。
その他にも音楽家、画家などのアーティストなども人を幸せにする仕事だと思う。
他人を幸せにするということだけで、どの仕事でも社会的意義はある。
それを自分が選択するかどうか。
その想いが社会を作り上げていく。


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