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彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

7月21日、ハリス来日

2007年07月21日 | 何の日?
安政3(1856)年7月21日、初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが伊豆下田に到着しました。

ハリスはアメリカではニューヨーク市教育委員長として授業免除の大学の設立に貢献し(現・ニューヨーク大学)、下層階級者の高等教育の道を切り開いた人でした。

ハリスの理念は「教育に民族・宗教・貧富の差があってはならない」というモノで、日本に来日し、後進国と予想されていた国にアメリカの高等教育を広める事が一番の目的だったと言われています。


しかし実際に日本にくると、この当時で識字率80%を誇った日本に逆に驚かされる事になったのです(これはペリーも驚いている)。

以前、「寺子屋 力石」の項でも書きましたが、当時の世界的な識字率は、先進国と言われたイギリスやフランスで30~40%しかなく、しかも女性は字を読めないのが普通でした。これらの国の現在の識字率が80%と言われています。


日本では幕末時に現在のヨーロッパでの識字率を誇り当然女性や子どもでも読み書きをする事ができたのです。現在の日本の識字率は99.9%以上を誇っています。


これは、日本には寺子屋という制度があった為だと言われていますが、この事実はハリスを驚かせ、教育への介入を諦めさせました。
もしハリスの思う通りの教育に変わっていたら今の日本人は英語を話していたでしょうが、今では99.9%以上の人が字が読めるという日本人の識字率は下がっていたかもしれません。


でも、ハリスを派遣される自体がアメリカの日本への期待だったと考えてもいいんですよ。
やがて、ハリスの交渉と井伊直弼の英断によって日米修好通商条約が結ばれるのです。
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