彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

10月1日、石田三成斬首

2008年10月01日 | 何の日?
慶長5年(1600)10月1日、石田三成が京都の六条河原で斬首となりました。享年41歳

二年前にも書いている話ですので、三成の人生や処刑までに至る経緯は省略しますが、最後の有名なエピソードについて以前からの疑問を投げかけてみたいと思います。


それは、市中引き回しの最中での事。
喉の渇きを訴え白湯を所望した三成に対して引き回しを警護していた田中吉政の兵が、「白湯は無いが柿ならあります」と言い、三成が「柿は痰の毒であるから遠慮する」と言うと警護の人々がクスクスと笑うので「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」と大望ある者は最後の瞬間まで命を大切にする事を説いたという話。

この話は三成の最後の瞬間を語る話としてどんな本にもドラマにも登場し管理人も二年前に紹介していますが、実話なのでしょうか?
管理人にこの疑問を最初に抱かさせたのはジェームス三木さんの『葵~徳川三代~』でした。
ここに、「恐らくこのエピソードは、売文の徒の作り話である。もし事実であれば、筆者は三成のサービス精神と捉えたい」と書かれています。

管理人も、この話は作り話であると思います。三成らしくないと言うか、柄ではありません。
三成は、真面目にやったことが他人の感覚とはズレていて笑い話となる逸話を残す事がありますが、柿のエピソードにはらしさが無いような気がしませんか?


もし、モデルとなる話があったとするなら、三成が白湯を求めたのに対して生水しか用意できず、腸が弱かった三成が、生水を飲んで首を斬られる時に腹痛を発して不覚となるのを恐れた。くらいの話だったのではないか?と思います。

だいたい、あれだけの警護の兵が居て「白湯は無いが柿はある」って返答の方がとって付けたようで不思議ですよね。


みなさんはどう思われますか?
コメント
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