今回も細かい部分が出てきますので大きい画像でアップさせていただきます。
『吉祥のデザイン―鶴と亀―』では、能装束も4領展示されています。
写真の物は「紅白段向鶴菱花菱亀甲文様」という大正から昭和時代に作られた物です。
能は江戸時代の武士にとって嗜みとなっていましたので各藩で多くの能役者が召抱えられ、能装束も収集されました。
彦根藩でも四代藩主直興や十二代藩主直亮は文化に対して深い造詣がありましたのでこれらの時代を中心に能装束が収集されたのです。
しかし、今の彦根城博物館に残っているのは藩政時代の物は少ないです。
井伊家では十五代当主の井伊直忠が能好きで知られた人物で、後に彼がモデルになった人物を登場させた『迷路』という小説を野上弥生子が『迷路』が描いていますし、井伊直弼の『茶湯一会集』が世に知られるようになったのも明治45年に直忠が井伊邸で催した演能会に高橋箒庵(数寄者・三井の大番頭と呼ばれた実業家)が招かれて、屋敷内の茶道具コレクションの中に直弼の著書を見つけた事がきっかけでした。
そんな当代きっての文化人であった井伊直忠は住まいであった東京に大好きな能装束を集めていたのです、そして関東大震災によって灰となったのでした。
ですから、博物館の能装束はこの後に直忠が再び収集した物です。
そんな中でこの「紅白段向鶴菱花菱亀甲文様」をじっくり見ていただくと、紅白の色分けだけではなく、紅の色の中には向かい合っているつがいの鶴が菱形に白の色の中には亀甲文様と細かい細工がなされています。
しかもこの上にまだ着物を重ねるので、この模様は能を演じる時にほとんど目にすることは無いのです。
ちらっと見えた時に、本当に気が付く数寄者だけが満足する仕事。
能装束にはそんな奥深い、そして贅沢な細工が施されてるんですね。
『吉祥のデザイン―鶴と亀―』では、能装束も4領展示されています。
写真の物は「紅白段向鶴菱花菱亀甲文様」という大正から昭和時代に作られた物です。
能は江戸時代の武士にとって嗜みとなっていましたので各藩で多くの能役者が召抱えられ、能装束も収集されました。
彦根藩でも四代藩主直興や十二代藩主直亮は文化に対して深い造詣がありましたのでこれらの時代を中心に能装束が収集されたのです。
しかし、今の彦根城博物館に残っているのは藩政時代の物は少ないです。
井伊家では十五代当主の井伊直忠が能好きで知られた人物で、後に彼がモデルになった人物を登場させた『迷路』という小説を野上弥生子が『迷路』が描いていますし、井伊直弼の『茶湯一会集』が世に知られるようになったのも明治45年に直忠が井伊邸で催した演能会に高橋箒庵(数寄者・三井の大番頭と呼ばれた実業家)が招かれて、屋敷内の茶道具コレクションの中に直弼の著書を見つけた事がきっかけでした。
そんな当代きっての文化人であった井伊直忠は住まいであった東京に大好きな能装束を集めていたのです、そして関東大震災によって灰となったのでした。
ですから、博物館の能装束はこの後に直忠が再び収集した物です。
そんな中でこの「紅白段向鶴菱花菱亀甲文様」をじっくり見ていただくと、紅白の色分けだけではなく、紅の色の中には向かい合っているつがいの鶴が菱形に白の色の中には亀甲文様と細かい細工がなされています。
しかもこの上にまだ着物を重ねるので、この模様は能を演じる時にほとんど目にすることは無いのです。
ちらっと見えた時に、本当に気が付く数寄者だけが満足する仕事。
能装束にはそんな奥深い、そして贅沢な細工が施されてるんですね。