彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

6月3日、宇野内閣発足

2011年06月03日 | 何の日?
昨日の菅内閣不信任騒動など、昨今の政治情勢が乱れていますので、ちょっと内閣に関わるような日付ネタ…


平成元年(1989)6月3日、宇野宗佑が第75代内閣総理大臣に任命され、宇野内閣が発足しました。
先代の竹下登は、消費税を導入しリクルート事件に関わっていたことから総辞職に追い込まれ、その後を引き継いで首相に選ばれたのが宇野宗佑だったのです。

宇野は、当時としては珍しい派閥を持たない人物で、そのうえで党三役になったこともないほど知名度の低い人物でしたが、その分リクルート事件などの汚名を持っておらず、福田赳夫内閣では科学技術庁長官として日米原子力交渉を行い、アメリカ側から「はっきり物を言う初めての日本人」との評価も受けるような人物でした。
また、竹下登内閣では外務大臣を務め、まだ確定されていなかった北朝鮮の拉致問題について、仮定としながらも「強い憤り」を公式に国会で答弁したのです。

こうして、知名度は低いながらも自民党の汚名返上の期待を背負った宇野内閣でしたが、就任3日後に糸山英太郎(こののちにJALの筆頭株主やエグゼクティブアドバイザーまで務めますが、経営が悪化した平成21年にエグゼクティブアドバイザーを辞任)の一言で女性スキャンダルが発覚し、7月23日の参議院議員選挙で歴史的な敗退。翌日に退陣を発表します。この時「鏡明止水の心境であります」との言葉を残しました。
8月8日に海部俊樹内閣が発足し、任期69日の短期政権は終わったのです。
宇野内閣からは、閣僚の資産公開を妻子まで含むようにしますが、これはリクルート事件が多いに関係しているのです。


滋賀県での宇野宗佑は文化振興などで評価が高く、若い頃にシベリアで抑留された時の体験を書いた『ダイモ・トウキョウ』は『私はシベリアの捕虜だった』という映画になったり(僕は観たことはありませんが…)、近江天保一揆で名が出てくる土川平兵衛を描いた『庄屋平兵衛獄門記』という著書を著したり、近江の歴史で独自の説を展開したり、多くの句碑建立に尽力したりもしているのです。
管理人も幼い頃に参加していたスポ少の大会で、何度かお姿を見かけたことがありますが、ああいう場ではとくににこやかな人だった記憶がありますね。
コメント
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