彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『清盛政権はなぜ生まれたか』講義受講報告

2011年11月08日 | 講演
ひこね市民大学講座 歴史手習塾セミナー10『平清盛とその時代』
1回目は『清盛政権はなぜ生まれたか』というお話でした。
講師は、東京大学史料編纂所准教授の本郷和人さん。
来年の大河ドラマ『平清盛』の時代考証を担当されます。


まずは、中世の400年の間に日本の人口が800万人から1000万人までしか増えなかったことを指摘されて、江戸時代に入って平和な100年が過ぎた1700年に2500万人まで増えていたことからも、清盛の時代から関ヶ原の400年間は、疫病、飢餓、戦争が原因となる人口が増えにくい時代とのことでした。
そんな平安時代に武力を持つことは自分を守ることであり、平和をもたらすもので、平家の武力は都の人々を守るものだったのだそうです。


この時代は、平安時代に藤原氏が天皇の外戚として権勢をふるった時代から、藤原の血が入っていない白河天皇の即位により院政が始まることになり、母方の藤原から父方の天皇家が政治を行うことになるそうです。

そして、藤原氏が源氏を重用していたので、白河上皇は平家を用いて、僧兵との武力的な対立や、瀬戸内などの西国の国守に登用して財政支援をさせたのでした。

こうして、清盛の父である忠盛は公卿になる直前まで位を極めて、清盛によって太政大臣という位まで登り詰める登りです。

そのきっかけになるのが、天皇家のお家騒動である保元の乱で、これが武力が政治を決める決定的なものとして機能し武士自身がそれを認識することになったとのことでした。


内容が目から鱗がたくさんありました。
見えにくい時代なだけに、新鮮です。

本郷先生の話は、書けない部分も面白いですので、聴きに行かれることお勧めします。
コメント
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