無量光院から1キロほど歩くと、義経堂に行けます。
ここは、源義経が衣川の戦いで藤原泰衡に敗れ自害した地だと伝わっています。この為に義経の供養堂が建立されました。
ちょっと急な階段を登ると、

松尾芭蕉の句碑
「夏草や 兵どもが 夢の跡」

幕末の学者の頼三樹三郎の碑

などがあります。
義経堂は、こじんまりとした物でした。

中には義経象が安置されていて

建物の横には供養塔もあります。

司馬遼太郎さんが「日本最初のアイドル」と評した義経の供養堂にしては、静すぎるくらいに静かでした。
以前にも書いた通り、管理人の友達の家には「先祖が義経を追いかけて青森まで行って、そこで哀れに思って逃がした」という伝承があるそうです。俗に言う義経北行説ですが、もしその伝承が正しいとするなら、ここで亡くなったのは他人ということになってしまいます。
このあまりにも意外な素朴で静かな空間に立つと、もしかしてここから義経は逃れることができたのかもしれないとも思います。
それも含めて歴史のロマンではあります。
ちなみにここは毛越寺の管理になっています。御朱印も受けました。
ここは、源義経が衣川の戦いで藤原泰衡に敗れ自害した地だと伝わっています。この為に義経の供養堂が建立されました。
ちょっと急な階段を登ると、

松尾芭蕉の句碑
「夏草や 兵どもが 夢の跡」

幕末の学者の頼三樹三郎の碑

などがあります。
義経堂は、こじんまりとした物でした。

中には義経象が安置されていて

建物の横には供養塔もあります。

司馬遼太郎さんが「日本最初のアイドル」と評した義経の供養堂にしては、静すぎるくらいに静かでした。
以前にも書いた通り、管理人の友達の家には「先祖が義経を追いかけて青森まで行って、そこで哀れに思って逃がした」という伝承があるそうです。俗に言う義経北行説ですが、もしその伝承が正しいとするなら、ここで亡くなったのは他人ということになってしまいます。
このあまりにも意外な素朴で静かな空間に立つと、もしかしてここから義経は逃れることができたのかもしれないとも思います。
それも含めて歴史のロマンではあります。
ちなみにここは毛越寺の管理になっています。御朱印も受けました。
