彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

会津若松と平泉訪問記 その8~平泉へ、二つの御所と無量光院~

2012年10月02日 | 史跡
一関で泊まり、翌朝早くに宿を出ました。
8時には平泉駅に到着し、レンタルサイクルを借りて中尊寺まで往復する計画を立てました。帰りに東京駅に寄ることも考えると午前中だけが活動時間となりますので、早い時間から動き始めるのが賢明との判断でした。
しかし平泉駅に7時半ごろに到着。
時間がもったいないので、荷物を身軽にまとめてコインロッカーに預け、近くに史跡まで歩いて行くことにしたのです。

目的地は加羅御所跡と柳之御所跡
奥州藤原氏は、藤原経清が前九年の役に敗れて処刑されたあと、その息子である藤原清衡が後三年の役を勝ち抜いて奥州に巨大な黄金文化を築きました、これ以降、初代清衡・二代基衡・三代秀衡に続き四代泰衡の時に源頼朝に滅ぼされるのです。
そんな奥州藤原氏の居館があったのが二つの御所でした。

・清衡と基衡は柳之御所
ここは広大な敷地を歴史公園として残しています。
 

 
深く掘られた濠や、それぞれに残されている後世の曲輪のようなイメージの作りは、単なる居館や政庁ではなく、城その物を連想させます。
当時の武士屋敷が単郭単濠だったことを考えても、とてつもない規模です。そしてそれが残っているこの土地のあまり開発されていない状況にも奇跡を感じます。

・秀衡と泰衡は加羅御所
こちらは案内板がメインで土塁や濠などが残っているくらいらしいのですが、土塁らしきところが個人の敷地に囲まれているようで近づけずでした。

宿を出る時は、雨が降りそうな様子がありながらも、それほど気にしなくてもよさそうだったのですが、この二つの御所を訪れた時、急に豪雨に見舞われました。
途中で聞いた話では、1ヶ月ぶりくらいに振った雨だったそうです。前日の会津での雨といい、どうも今回も何かを連れているようでした。

そのまま雨に打たれながら無量光院へ
奥州藤原氏は、当主ごとに大伽藍を建立していて、無量光院は三代秀衡が宇治の平等院を真似て、鳳凰堂を越える伽藍を建立させた物でした。
残念ながら今は建物は残っておらず、東日本大震災に伴う現地調査中で池の水もありませんでした。
 

 
残っている礎石や、池と島を隔てる境を見ながら、その上に建つ平等院らしき建物を想像すると、圧倒されてしまいます。


さて、このまま駅に戻れば自転車を借りることもできたのですが、ここで歩くという選択肢を選びました。駅まで戻るのと次の目的地である義経堂に行く距離がほとんど変わらなかったためです。
こうして、高館を経由して中尊寺に向かうという予定変更を行います。そして無量光院以降に雨に振られることはありませんでした。
コメント
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