彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

平安京跡・聚楽第跡 現地説明会

2012年10月08日 | 史跡
「聚楽第の本丸遺構が出た!」
この週末、歴史関係者にある意味で衝撃的なニュースが駆け巡りました。聚楽第付近は今までも発掘が無かったわけではなく、北部では北ノ丸跡の石垣も見つかっていますし、金箔瓦も出土したことはありますが、本丸遺構は見つかりませんでした。
今回の発掘地のすぐ近くも調査があったのですが、堀だったために本丸に迫れなかったのです。
しかし、ついに出ました本丸遺構。
たぶん歴史的な発見の一つです。


今回の一番のメインは、本丸遺構が初めて見つかったことであることはさっきも書きました。しかし見つかった物は本丸遺構だけではなく、当然それ以外の時代の遺構も見つかります。
この辺りは、平安時代には平安京の一部でしたし、江戸時代には土が掘削されて聚楽土として重宝されていたのです。
ですからさまざまな時代の遺物が出てきます。



発掘現場では、江戸時代の掘削の跡と、そこにゴミを捨てた跡が出てきたそうです。



それも歴史の流れなんですね…

そして聚楽第跡として出てきたのは、やはり金箔の瓦

織部焼などもあったようですね。


遺構はこんな感じであり、とくに2か所の遺構が注目されました。


○石垣

今回は7mに渡って2段確認されたようです。ほとんど加工されることなく割っただけの石ですが、大きさや形が揃えられていたとのことです。
そして栗石も他の城郭に比べると丁寧に数多く並んでいたとのことでした。

○盛土

京都は北部が高く南部が低いという高低差があるのですが、この高低差を利用して、人工的に2mの高低差を持った壇状を作っていることが解りました。
つまりは、石垣を越えて、2mの人工的な崖がありその上に本丸があったということです。これは高低差を生かすとともに、外から見ればより豪華にそして威圧的に見えたことになります。

聚楽第の新たな姿を垣間見る発見になったことは間違いなさそうですね。
コメント
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