彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

禁門の変の彦根藩を追いかける

2018年10月16日 | 史跡
明治維新150年で、彦根藩の動向を調べていますが、その流れて禁門の変での彦根藩を追いかけるために京都御所を訪問しました。

行ったのは台風21号の直後だったために傷跡もまだ残っている時期です。

元治元年、池田屋事件の前辺りから京都は不穏になり彦根藩も孝明天皇の勅により藩主井伊直憲自ら京都に入ります。
軍の一部は伏見や坂本に派遣し、本隊は御所に入り直憲は天皇に拝謁。
そのまま、御所北面の朔平門外の警備を命じられました。
その朔平門外


そして、彦根藩の主要な部隊である木俣土佐隊などが中立売門と蛤御門


宇津木兵庫、貫名筑後、新野左馬助隊などが堺町御門

と広い範囲の警備をしました。
蛤御門は、会津藩に譲られた頃、長州藩が攻撃、禁門の変が始まります。
今でも、蛤御門には弾の跡などが残っているとされていますが、違うとの説もあります。


この戦いでの彦根藩の評価はあまり良くないですが、中立売門から蛤御門の間のこの辺りも彦根藩兵が戦っていた可能性も高いと考えると感慨深いです。
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