彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

べらぼうの話(3)

2025年01月19日 | その他
安永4年(1774)蔦屋重三郎は、平賀源内に序を書いてもらい改として『吉原細見』に関わるようになりました(吉原細見の話はまた後日)が、その約半年後に自らの手で初めて刊行した本が『一目千本』です。

『一目千本』は『花すまう』(花相撲)とのタイトルがついていて、最初に土俵の絵から始まります
(以下、写真は国立国会図書館のデータベースより
紅塵, 陌人ほか. 華すまひ, 蔦屋重三郎, 1774. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I010560006441073 )


絵は、北尾重政
重政は、伊勢国の名門・北畠氏の子孫といわれている版元・須原屋茂兵衛の家に生まれた絵師で若くして「北尾派」を立ち上げました。
そんな重政の協力で、吉原の花魁たちを当時流行っていた生花に重ねる今で言う画集のような本ができたのです。
蔦屋重三郎は、企画を吉原の妓楼に持ち掛け、出資した妓楼の花魁のみを掲載しました。

著名な重政が花の絵を描くこともあり、『一目千本』は花の絵と花魁の源氏名を載せて謎解きの様な楽しみを作り、客たちの話題を作ったのです。
逆に言えば『一目千本』を持っていないと話題に乗れないため客はこれを欲しがりました。しかしこの本は一般販売されず吉原の馴染みに配られたので、粋を称する男たちの必需品となったのでした。

山葵や葛葉

個人的には、藤が好き

ドラマに登場する「松の井」も


三年後、『一目千本』は妓楼と花魁の名を削って『手ごとの清水』との題で一般販売されます。
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