彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

三成道「戦国無双×近江タクシー『タクシー出陣式』」

2017年08月06日 | イベント
映画『関ヶ原』に絡んで、滋賀県で行われている『三成道』のイベントの一環として、そして米原市と長浜市、彦根市が協力している『三成会議』として「戦国無双×近江タクシー『タクシー出陣式』」が行われました。


個人的に朝一で予定があり、昼前に会場である米原市の観音寺に行こうと思い長浜駅に到着したら、イベントが始まる前に観音寺に着くバスが無い!
ならばと長浜駅のレンタルサイクルを借りに行くと、「16:30までに帰って来なかったら、罰金あります」と言われ、戻る時間を16:30と書いたら「早めに戻って来ないと困ります」と言われちゃいました。
その上で、「ギアを変えるのは自転車停めてから」と言われたので、「えっ?動いてる時じゃないとアカンでしょ?」と言っちゃったので先方が凄く不機嫌に…
そんなレンタルサイクルのMさんのご機嫌が帰るまでに戻るか心配しながら出発。ブレーキの効きにくい自転車だったので注意しながら出発。

たぶん5キロ弱無いくらいの距離でしたが、猛暑で少し向かい風、そして滋賀県は琵琶湖から離れるのは登り坂。
つ、辛い…

何とか頑張って、観音寺に到着。
寄ると、彦根から参加する筈だった方の代理にと言われ来賓席の末席に座らせていただきました。
渡された袋の中には三成イベントで受取れた物もあり、ちょっと嬉しい気持ち。

さて、戦国無双とコラボした近江タクシーさんの車体は、すでに石田三成や島左近、大谷吉継が走っていますが、ここに近江に絡む織田信長、明智光秀、豊臣秀吉らが加わり、大河ドラマで話題の井伊家から直虎と直政も加わり10人で12台のタクシーが出陣したのです。







直政

そして直虎

今思えば、バスが無かったりレンタルサイクルで嫌な想いで気を使わないといけないくらいなら近江タクシーでくれば良かったです。
そんな時は、やっぱり武将タクシーを狙ってかな。
ちょっと遠目になりますが、乙訓戦国つつじのお二人も場を盛り上げておられました。



その後、本堂にてオンライン三成会の中井俊一郎先生の三成講演。
三成の残した文書からその人柄を分析していくお話で、文禄の役で日本軍が快進撃を続けている時から戦の危うさを指摘して戦をやめるように進言している姿や、忍城水攻めが三成の策ではなく秀吉からの命であったことの検証。
十三ヶ条の掟書から読み取る、細かいところまで決まりを作り公平な政を行う様子、そして自らを冷静に見つめること、決断力は遅く無いこと、秀吉没時は家康との仲が悪かったわけではなく、徳川、前田に続く三つ目の派閥を持っていた話がありました。
そして、田附清子先生も加わり、田附先生から真田信之と三成の友人としての交流や、長崎の26聖人殉教の時に三成が見せた秀吉の命を逆らった姿からローマ法皇が知る当時の日本の政治家が信長でも秀吉でもなく三成だったとの話がありました。

観音寺の本堂に百人近くが集まり、開放的に扉が開けられる様子はもしかしたら開山以来かもしれませんね。


ゆっくりできず、講演終了次第慌て自転車走らせましたが、帰り道は下りなので少し楽だったかな?
余裕持って帰れたからか、Mさんのご機嫌は収まってたみたいでした。
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